みのもんたさんが飛び出す名刺と芸能記者のレジェンドたち
派手ですよねぇ
さすが、みのさん。ピカピカしていて、光の当たり具合で飛び出して見える。しかも富士山から!
タイトルをみのもんたさん「の」にしようか「が」にしようか悩み続けてアップが遅くなっちゃった、、、なんてのはウソだけど。いまだ悩んでいるのは事実です(笑)
TV番組生放送でギネス記録を出した記念に作られた名刺のようだけれど、連絡先はみのさんの水道会社になっている。
「水道会社はいまでもやっているんですよ〜、もちろん。親父の代からの会社ですからね」と、おっしゃっていた。
名刺をいただいたのはたぶん2012年。
かなり暑い日だったと思う。
そのみのさんがこの3月1日、亡くなった。享年80。
週末の訃報だったので、今日(書き始めは3日でした、トホホ)は、みのさんを追悼するニュースがあちこちで流れている。それによれば、2012年は奥さまが亡くなられた年だ。
ということは、わたしたちも奥さまとの日々を語っていただくという取材でうかがったんじゃないだろうか。
神奈川のご自宅には毎日帰るけれども、広大なお屋敷だから、かえってひとりを実感してしまう、寂しいというようなお話をされていたと思う。ひどく意気消沈されていた様子がいま少しずつ蘇ってきている。
笑顔は絶やさないながらも本当に寂しそうだった。
時折、涙ぐんでいらした。
愛妻家を隠さない。あの世代には少ないタイプだ。
芸能界の生き字引K記者
その日、わたしは芸能班のK記者のお供で、そのインタビューに同席していた。
実は先月初頭の記者女子会のあと、そのK記者が昨年亡くなったことを聞いた。90歳だったという。
90歳近くまで現役でいらしたことにまず驚き、K記者と最後に取材に行ったのは、みのさんだったなぁと思い出し、そういえばみのさんは今どうしていらっしゃるんだろうと思ったばかりだった。
そこからわずか1ヶ月で今度はみのさんの訃報をも聞くことになった。
みのさんのインタビューに行った頃のKさんは、もうご自分ではデータ原稿を書かれておらず、インタビューだけして、それを私がテープに取り原稿に起こすというような仕事の流れだったと思う。
とはいえアポ取りやその前後の取材交渉、原稿チェックの段取りなど、主な仕事はすべてKさんが担当していたはずだ。
没年から逆算すれば、当時Kさんは77〜78歳。その年齢までバリバリの現役だったのだから頭が下がる。60代で、いやすでに50代からヘロヘロだったわたしからすればとんでもない超人だ。
当時のわたしは1型糖尿病を発症したばかりで、血糖コントロールに四苦八苦していた。取材中に高血糖で眠くなったらどうしよう、低血糖で手が震えちゃったらどうしようと、そんなことばかりに気をとられ、しっかりお話が聞けていなかったのだろう。びっくりするほどうろ覚えなのだ。
Kさんがしっかり取材をされるから、安心してその場にいられたのだなぁと、いまになってそんなことを思う。
まさにレジェンド。伝説の芸能記者だった。
あの日も老舗の超高級もなか(あれは美味しかった。こぶりの瓢箪形でめちゃ上品)の手土産をKさん自ら用意して、みのさんの水道会社の事務所に誰よりも先にいらしていた。
高級スーツにノリが利ききまくった真っ白なシャツを着て、襟元にはレジメンタル・タイ、宝石がついたカフスボタンが光る袖口からは金ピカのロレックスが覗いていた。
いつも葉巻をくゆらせているので甘い香りがする。香水もつけていたのかな? とにかくとんでもなくオシャレな人だった。こうして書いていても、ドラマや映画に出てきそうな人だなぁと改めて思う。
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ものかき業 de 半世紀
no+eを通して最近のものかき事情を見回してみたら、令和のライターは自由自在。既存メディアに頼らずno+eで収益を上げ、Kindle本を自…
まあまあ、こんな駄文にチップとは。俄然、やる気に拍車がかかります。一度書いてアップしたものでも実は何度も読み返し、読み返すたびに加筆、訂正、写真を挿入してみたりと絶えず変動しているものもございます。100%に近づけたくて悪戦苦闘しています。いただいたチップでホッと一息できそうな
