『アパラプティは廻らない』3話 プレーマドヴェーシャ②
水を飲んで落ちついた。寝台の横に座ってサティーが背中をさすってくれる。
「プレーマ、よければ聖選式に参加してみませんか」
すぐに理解できない。
「聖選式って、輪廻族しかうけられないんじゃ」
「輪廻族や一生族なんていう区分は、原理主義派が四色姓における自らの特権性を正当化するために創作した設定ですよ。真実は性別階級関係なく神々の選定をうけられるのです」
「そんなこと」
サティーは右手を掲げた。人さし指に宝石のついた指輪。
「仙聖の……」
「わたくしは聖選式で選ばれた仙聖です。原理主義派にとっては魔女でしょうけれど」
手から黒い炎が現出した。
「わっ」
「あなたも女神の審眼に見初められれば、こうして霊子を扱う資格が得られます」
手を閉じると黒炎も消えた。
「で、でも聖選式って、如意神樹の聖域でしか行えないですよね……」
「聖選式は聖域でしか行えない。これはその通りです。しかし必ずしも如意神樹でなければならない事はありません」
「え」
「如意神樹とは、聖域を発生させる聖遺物です。そして聖域とは、霊子に満ちた空間の事。聖杯が空間内の霊子を集め、結合させ、聖水にする。その聖水を飲んだ人間の中で、特定の選ばれし者に聖霊が憑く。神々の選考基準は不明ですが、わずかながら研究は進んでいます」
「……でもそれだと、やっぱり如意神樹のある所でしか聖選式はできないですよね。如意神樹は聖職者が厳重に守ってるし」
「これを見てください」
手よりやや大きな円盤。
「この聖遺物は如意神樹と同じ機能をもった聖域発生装置です」
「え、えっ、ええっ」
「如意神樹より機能に劣る所はありますけれど」
背中をなでられる。
「力がほしくありませんか。不条理に抗う力が」
瞑目する。これまでの人生が蘇る。
寺院の外ではサトウキビや五種類の花々が風になびく。木の葉に鞭打たれたオウムは飛び立ち、そのまま寺院の頂上にいって羽を休める。メェェェ、と気持ちよさそうにひげをそよがせるヤギ。庭園では黒衣の男がえさをやり、池からたくさんの鯉が集まって波紋をつくる。
目をあけるとサティーの優しい表情があった。
「……その、聖選式は、いつ、うけられますか」
「今すぐにでも」
「えっ、期間とかって」
「聖域を展開するには莫大な力が必要ですから、常時稼働させていては力を無駄遣いしてしまいます。空気や太陽光から力をためる休息期間中は出力機能を切っているのです。如意神樹の入出力を司っているのはおそらく聖杯でしょう」
聖選式は聖杯の奉納式から始まっていた。
「聖選式では多人数を一括に選定するため、一層力をためておかなければなりません。毎年一定数の人間が聖選式に参加する場合、そうして一括選定したほうが節約になるので合理的です。聖杯を聖職者の手元に置いておくことで、権力基盤を確かなものにしておく思惑もあるでしょう。しかし一人を選定するだけなら短期間で必要な力はたまります。我らシャクティは原理主義派のような人的資源はなく、あなたのように不条理な世界の被害者となった人しか仲間にできませんから、大抵はいつでも聖選式を行えます」
「……それは、今すぐできるんですか」
「ええ、これを起動させれば今この場でも。無理強いは致しません。あなたが嫌なら聖選式はうけなくてもいいのです。うけなくても我々はあなたを歓迎します。選ばれなくても我々はあなたを愛しています。ただ存在していることがすばらしいのですから」
迷いはなかった。
「じゃあ、今すぐうけたいです」
サティーは微笑む。頭をなでられる。
「あなたの覚悟を認めましょう。では、聖選式を始めましょうか」
空気がうきあがる感覚。円盤を渡された。
「この皿部分に血を垂らせば聖域が展開されます」
控えていた一人がサティーに弓矢を手渡す。弓矢はこちらに差しだされた。矢の尖端。刺されば痛いだろう。少し躊躇してからうけとる。
「プレーマドヴェーシャ、あなたが女神の御加護を賜れますように」
覚悟を決めて指に刺す。赤い水滴が聖遺物の皿にはね、奈落に沈んでいくように消えた。瞬間、あたりの匂いが一変。空間が澄みわたる。空気も感じないほどに。不純物の代わりに存在をあらわしたのは、存在しないとしか思えないぐらい希薄で、だからこそ圧倒される不可視のなにか。やがてそれは円盤上に集まり、死と生を共存させる水がたまる。この水はいつからあったのか。最初からあったようにも、今も存在しないかのようにも思えた。見失わないよう集中し、円盤の水を飲んでいく。
情報の流れ。0と1が生成消滅をくりかえす。宇宙が終わる。宇宙が始まる。どちらでもない場所が観える。
概念が想い起こされた。自己存在が生まれた。記憶を永遠に歩きまわる。それでいて刹那の旅。辛い事、苦しい事、痛い事、不条理な事、不公平な事――間違いばかりに落書きされた散らかりっぱなしの世界。色鮮やかで醜い世界を塗り替えなければならない。
「女神に祝福されし御子よ、あなたの希望を我らも祝いましょう」
サティーの言葉で目覚めた。右手の人さし指に指輪があった。
あれは聖霊だろうか。明らかに異質なものがいた。目をこらせば幾何学的な二次元平面と五次元方向の立体的空間軸が重なって視えたが、ぼんやり認識していれば三次元空間と画風が異なるだけの存在として映しだされた。
『ラブミー、ラブミー、ラブミーハート』
ハートの体、手、瞳をした平面的な画風の、生物かも定かでないもの。音を発しているが、意味はわからない。
『ソワカ、ソワカ』
もうひとつ視えた。サティーに憑いている。物理法則を無視した二頭身のオウム、鶏冠と尻尾が燃えさかる炎、顔面に眼がない代わりか、炎の鶏冠にひとつだけ大きな眼。
身内から力が湧きあがっていた。今なら何でもできる気がした。
兄弟の血塗れ死体。後ろに血の足跡が続く。返り血が一滴ずつ滴り落ちる。
「ま、待ってくれ」
父親が青ざめる。
「わかった、プレーマドヴェーシャ、お前が望むものは何でもやろう。何でもいってみろ。だから一旦落ちつけ。我々は家族だろう」
父を見下ろすプレーマの瞳には、深黒の四角形の模様がうかぶ。
――お前達に望む事は一つだけ。
黒い矢印を放ち、父の両眼と脳を穿った。
――世界を綺麗にする事。
【黎明紀元六四年に起きた、いわゆるシャクティ事変(マユラ朝騎士団大虐殺)は、元聖職者の魔女が自身の兄弟及び父親を殺害した事に端を発する。殺人犯と思われる少女は唯一、実姉は手にかけなかった。】
寺院でサティーらと計画を練っていた所にあわただしい足音が駆けこんできた。
【協力の疑いのある実姉は拷問され、はりつけにされた。】
「救いたくば一人でこいと……」
その報告は13歳の身にうけとめきれず、混乱するばかりでほとんど聞こえなかった。
若すぎた。こんな事になるのも考えつかないほどに。
「ど、どど、どうすれば……」
サティーに救いを求めた。彼女は難しい顔をする。
「敵にも仙聖がいる事でしょう。他の二人も喚び、四人で助けにいくべきでしょうね」
「でで、で、でも、一人でこいって」
「プレーマ、敵の言葉に従ってはなりません。不条理には不条理で応じなければ勝てません。あなた一人でいっても、あなたもあなたのお姉様もどちらも殺される事になりましょう」
【当該魔女プレーマドヴェーシャの属していた異端宗派シャクティは、少女自身と教祖サティーマーラをはじめ、他二名の魔女を救出作戦に導入した。】
べべん。騎士達が燃え盛る。
べべん。無数の悲鳴が大地に轟く。
べべん。彼らの血が大地に流れ、混ざりあい、世界は少しだけ綺麗になった。
【シャクティの魔女四名は聖職者と武士貴族からなる騎士団を虐殺。マユラ朝キカータ王国は仙聖二名の死、一名の負傷という大損害を被り、国力の大幅な低下は免れなかった。】
顔の原型がわからないほど暴行され、血や泥だらけになり、白く清潔だったと想像できない肌。喉が潰されて会話もできず、腕の中で姉の魂は飛び立った。
「私のせいだ……私が……っ」
周りには延々と死体が続く。姉の配偶者だった焼肉もある。煙たい臭いと、香ばしい匂いが混ざりあって充満する。
「私が考えなしだったから。愚かだったから。私がっ……姉様を殺した」
「それは違います」
サティーに抱きしめられる。
「あなたのお姉様を殺したのは彼らです。普段から弱者を踏みにじっている彼らです。全ては彼らが悪いのです。あなたは何も間違っていません」
慈愛に満ちた言葉が、許しがたい愚かさを、存在ごと包みこんでくれる。
ああ、そうか。そうだった。
「間違っているのは、この世界の方です」
そうだ。世界を正さなければならない。
【この事件は、若くしてアショーカ王が台頭する大きな要因となった。】(『三帝国時代のイラ星史〈1〉転輪聖皇とマイトレーヤ』より)
