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仏界を開いた人生とは?―釈尊《5》


ある時、鹿野苑(ミガダーヤ)で釈尊が休息していると、一人の若者が「苦しい······」「辛い······」と、ため息まじりにつぶやきながら、歩いてきた。



彼は長者の息子で、耶舎(ヤサ)という若者であった。



ヤサは、たくさんの侍女にかしずかれ、何不自由ない豪奢な暮らしをしていた。



しかし、彼の心は満たされなかった。


ヤサは、その華やかな生活に、むしろ、はかなさを感じ、まるで墓場のようにさえ思えるのであった。




そして、家を飛び出して来たのである。



釈尊は、ヤサを呼び止めて言った。




「あなたは、何を悩んでいるのですか。


私のいる所には、何も煩わしいことはない。


さあ、こちらにいらっしゃい」




釈尊は、自分が座っていた敷布にヤサをまねいた。 


だが、すぐには「生命の法」を説かなかった。



彼を包み込むように、人間の生き方について語っていった。



そして、欲望に翻弄されて生きることの愚かさを教えるのであった。



話を聞くうちに、ヤサは心が洗われる思いがした。



若者が穏やかな心を取り戻したことを見て取ると、釈尊は、彼の会得した「法」の一部を説いた。



頬を紅潮させ、教えに耳をかたむけていたヤサの胸に、帰依の心が芽生えた。



釈尊は、この時、憂いに沈んだヤサを、励まし、勇気づけることから始めている。



悩める人に、一個の人間として、いかなる言葉をかけるか――その慈愛のなかに、布教の原点があるといってよいだろう。



さて、ヤサの家出を知った屋敷は、大騒ぎになっていた。



父の長者は、八方に使いを走らせ、捜索にあたらせた。



しかし、それでもいたたまれず、自ら捜しに歩き、鹿野苑(ミガダーヤ)にやってきたのである。



そこで、息子を教化した釈尊と出会った。



釈尊は、父にも法を説いていった。



父も、その教えに、強く心を打たれた。富と名声だけが人生ではないことを、自覚したのである。



そして、人間の永遠なる道に目覚め、釈尊に帰依しようと思った。



しかし、家業を捨てて出家するわけにはいかなかった。彼は在家信者として、仏道を志すことになった。



さらに、ヤサの出家も許したのである。



釈尊は長者の家に招かれた。仏陀に会った長者の妻とヤサの妻も、ともに帰依することになる。



一人の発心は、一人にとどまらない。一波が十波、百波となって広がっていくように、そこに連なる幾多の人間へと波動していく。




ヤサは人柄のよい青年であった。その彼の出家は、瞬く間に、友人から友人へと伝えられた。



彼らは、ヤサがそこまで魅了された釈尊とは、いかなる人か、また、その「法」とはどのような教えかと、強い関心を寄せ、釈尊を訪ねた。



そして、青年たちは相次ぎ出家し、その数は五十余人に達したのである。


これによって、釈尊を師と仰ぐ、六十人の出家者が、鹿野苑(ミガダーヤ)に集まったことになる。


それは、小さいながらも、一つの教団を成していた。



釈尊は、ある日、弟子たちに言った。




「比丘たちよ。さあ、弘教の旅に出よう!


人びとの幸福のため、世の平和のために、


諸国を巡って、法を説くのだ」




皆、驚いて釈尊を見た。




誰も予想していなかったことであった。





釈尊は弟子たちの決意をうながすように、強い口調で言葉をついだ。




「その弘法の旅は、二人で連れ立って行くのではなく、それぞれ、一人で行かねばならない。


そして、道理正しく、明瞭に法を説き、高潔な振る舞いを示しながら、布教にあたって欲しい」




皆の驚きは増したが、釈尊の射抜くような視線を浴びると、いよいよ自分たちが、巣立つべき時が来たことを自覚した。




最後に彼は告げた。




「私も法を説くために、悟りを開いたあのウルベーラーの村に行く。」




彼は、弟子たちを一人で布教に旅だたせることに、ためらいも感じていた。




しかし、仏法は、単なる哲学や、瞑想の世界に閉じこもることではない。




法を求めて、その理を得たならば、法の流布を自己の使命とし、衆生を救済する実践のなかに、真実の仏法がある。




また、釈尊は弟子が一人で法を説くことで、受け身的な受け止め方を排し、【自立した信仰】を身につけさせようとしていたのかもしれない。




布教の責任をもってこそ、信仰も磨かれ、深められていくからだ。




ともあれ、一人ひとりに独自で法を説かせ、民衆のなかへ入ることをうながした釈尊の育成の方法には、




 実践を第一義とする仏法の特色




が鮮明に示されている。




弟子たちは布教の決意に燃えて、鹿野苑(ミガダーヤ)から、各地へと散っていった。




釈尊も一人、成道の地であるウルベーラーへと歩みを運んだ。




マカダ国の首都である王舎城には、著名な宗教家、思想家が多く、新しい文化の都でもあった。




その王舎城に近いウルベーラーは、弘教の天地としては、最もふさわしかった。



釈尊の布教は、道中からすでに始まっていた。




とある森のなかで、彼が座していると、血眼になって誰かを追っている何人もの男女に出会った。




そのうちの一人の若者が釈尊に尋ねた。




「女が一人、逃げて来るのを見ませんでしたか」




彼らは妻を伴い、森に遊びに来ていたが、独身の仲間の青年は遊女を連れて来た。




ところが、皆が遊びに熱中しているうちに、その遊女が金品を盗んで逃げてしまった。




そこで、遊女を捜しているというのだ。




話を聞くと、釈尊は質問には答えず、静かに青年たちに聞いた。




「あなたたちは、逃げた遊女をさがすことと、まことの自分を探すことと、人間としてどちらが大切だと思いますか」




意外な問いであった。




釈尊は青年たちを黙って見すえた。




彼らは、穏やかななかにも、凛然とした聖者の前に立つと、享楽ばかりを、追い求めている自分たちが惨めで、恥ずかしく思えてきた。




青年の一人が答えた。




「······それは、当然、本当の自分を探すことのほうが大切だと思います」




釈尊は頷いた。




彼は、「快楽を追い求める人生」から、「永遠の幸福を築く人生」のありかたに目を向けさせようと、親身になって話していった。




それは、慈愛と触発の対話であった。




この語らいで、青年たちは全員、釈尊に帰依することになった。




彼は、ちょっとした機会も逃さずに法を説いた。




すべての衆生に「生命の法」を教えようとする彼にとって、人との出会いは、そのまま弘教の対話となった。




釈尊は、久しぶりに、尼連禅河のほとりに立った。



あの成道の朝と同じように、木々の緑は、鮮やかに太陽の光に映えていた。




いよいよここで、彼の本格的な弘教の戦いが始まるのだ。




「仏界を開いた人生とは?―釈尊《6》」へつづく······



※なお、本稿の内容は、以下の著作より、一
 部、抜粋、紹介したものです。

「新・人間革命 第三巻」(池田大作:著)





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