雲の上から操縦席へ。外資系CAの私が選んだ“無理な道”
憧れていた制服を着て、雲の上を飛ぶ仕事に就いた。
何度も面接を受けて、英語を磨いて、ようやく手に入れた場所だった。
フライトのたびに、新しい景色と、新しい出会いがあった。
それでも、いつの間にかその毎日は、静かに“日常”になっていった。
好きな仕事だった。
空も、旅する生活も、嫌いになったことは一度もない。
ただ、心のどこかで、私はこう思っていた。
——もっと、何かに挑戦していたい。
そのきっかけは、ある日のブリーフィング後だった。
コックピットの扉の前で、ひとりのパイロットが立ち止まった。
「今日の雲、すごくきれいだったよ。
ああいう日は、操縦席からの景色が一番好きなんだ」
そう言った彼の目は、まるで空そのものみたいに光っていた。
その瞬間、私は思った。
——いいな。私も、自分の仕事をこんなふうに語れる人になりたい。
その夜、ホテルの部屋で“パイロット”という言葉を検索した。
年齢制限、費用、合格率、適性検査。
画面に並ぶ現実は、どれも簡単じゃなかった。
女だから。
24歳だから。
今さら遅いんじゃないか。
そう思っていた私に、彼は笑いながら言った。
「女だからなに?24?若いよ。全然間に合う。
30から目指してる人なんて、山ほどいるよ」
その一言で、私の中の“無理かもしれない”が、
“やってみたい”に変わった。
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その夜、私はノートパソコンの前に座っていた。
画面には「フライトスクール」「パイロット養成」「費用」という文字が並ぶ。
出てくる数字は、どれも現実的じゃなかった。
1000万円。1500万円。2000万円。
新卒で入社して、社会人としての時間はまだ2年にも満たない。
貯金も、胸を張れるほどはない。
——この道は、簡単には進めない。
それでも、ページを閉じる気にはなれなかった。
ふと、自分の働いている航空会社の制度を調べた。
一年以上CAとして働いたあと、パイロットの道に応募できる仕組みがあることを知った。
もしかして。
日本の航空会社にも、同じような道があるんじゃないか。
そこから、私の“調べる夜”が始まった。
国内の航空会社をひとつずつ検索して、採用ページを開いて、応募条件を読み込む。
スクロールする指が止まったのは、「既卒・社会人応募可」という文字だった。
——まだ、間に合う。
海外で働く今の生活も、嫌いじゃない。
それでも私は、日本が好きだった。
この国の空港で、この国の空を飛びたいと思った。
目標は、今年じゃない。
来年の応募に向けて、できることを全部やる。
机の上には、視力検査や健康診断のメモ。
英語のテキスト。
面接対策用のノート。
座学も、体調管理も、準備は自分次第で積み重ねられる。
合否だけは、コントロールできない。
それでも——
やりきった、と胸を張れる一年にしたいと思った。
私のモットーは、シンプルだ。
人生は一度きり。
やりたいと思ったことには、手を伸ばす。
英語が好きで、
これまで大きな病気もなくて、
学生時代は皆勤賞だった。
特別な才能じゃない。
でも、挑戦できる条件は、ちゃんと揃っている。
落ちたら、そのとき考えればいい。
そう思える自分の、少し楽観的なところも、きっと悪くない。
窓の外には、夜の滑走路の灯りが並んでいた。
あの光の先に、未来の自分がいる気がした。
いつか、あの制服を着て、
操縦席から空を眺めながら、
今日の雲がきれいだと、誰かに話せる人になれますように。
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これは、私の #未来に向けた挑戦 だ。

