【小説】 『東日本大震災 チーム3・11』 ~神奈川から一人も孤独死を出さない! (第3部)
被災地へ
女性センターの避難所の滑り出しは順調だった。ひと月足らずという短期間に、休日を返上しての準備作業はかなりハードだったが、岡本のがんばりや水沢たちボランティアの献身的な協力に助けられて、なんとか開設にこぎつけることができた。少しでも過ごしやすくと願った心配りが通じたのだろうか、避難者たちの評判は上々だった。
この頃になると、支援チームにかかってくる県民からの問い合わせの電話はめっきり減っていた。三月のピーク時には一日三百件を越えていたが、今は十数件にまで落ちている。夜間の電話は、数件あるかないかといったところだった。
そろそろ相談体制を縮小しても大丈夫だろう。桂木はそう判断して、交代勤務のシフトを、二十四時間から夜十時まで、さらに午後七時までと、段階的に縮小することにした。
一方、被災地からは、これまでの物的支援に加えて人的支援への要請が増えていた。
神奈川県警は、震災直後から連日三百人以上の職員を被災地に派遣していた。彼らは、現地での交通規制、行方不明者の捜索、遺体安置所における検死、パトロール、防犯指導、犯罪捜査支援、警戒活動などに当たっている。
消防は横浜市や川崎市の消防本部をはじめ、県下各市町の消防本部で支援隊を編成し、連日、現地で消火活動や救急搬送業務に当っている。特に、仙台市には三月十一日から二十一日まで、毎日二百人を越える消防職員が派遣され、津波で流されて行方不明となった被災者の捜索活動に参加していた。
このほか、県や市町村は、医師や保健師、福祉・土木・建築などの専門職や事務職員を現地に派遣し、被災地の復旧活動を支援していた。
その業務は、避難所の運営、健康相談、心のケア、放射線量の測定、医療、看護、宅地の危険度判定、港湾復旧、応急給水、水道復旧、下水管の調査、被災美術品の応急処置、し尿収集、人員輸送、物資の運搬、廃棄物収集、生活保護業務、罹災証明の発行、災害弔慰金の支給、土砂のかき出し、家屋の清掃、窓口業務支援など、復旧に必要なあらゆる業務にわたっていた。
五月の連休前には、神奈川県からの人的支援は、延べ二万五千人に達していた。
桂木たち災害支援チームも、四月の初めから、被災地にチーム員を送り込む準備を進めていた。主に、現地の避難所の運営を支援するためだった。宮城県石巻市に設置された九つの一時避難所に、各部局から募った職員十名ずつを、一週間交替で送り込む。
この作業の指揮は、四月から新たに戦列に加わった担当部長が取っていた。担当部長は自ら先遣隊として事前調査を行い、四月八日、仙台市内に駐在事務所を設置した。
こうした新たな業務をこなすため、桂木は四月中旬から、災害支援チームを三班に分けることにした。
一班は、当初からの電話応対、情報収集、支援物資
二班は、女性センター避難所
三班は、宮城県駐在事務所
をそれぞれ担当する。
電話応対が減った分、江ノ島と仙台に多くの人員を振り向ける。このため、この時期の勤務ローテーションは複雑を極めた。
ここでも課長代理の野崎がコンピュータ並みの精度で、見事に勤務表を組んでいった。
桂木が書類整理に没頭していると、
「課長、これ食べてください」
と、突然、大きな声が降ってきた。驚いて見上げると、松木が見慣れない果物を両腕に抱えて、にこにこしながら立っている。
「どうしたの、それ?」
「親父が課長に食べてもらえといって、田舎から送ってきたんです」
夏みかんほどの大きさの果物は、鮮やかな黄色に輝いていた。
「これ、ブンタンです。高知県の特産品なんです。この時期にしか出ないんですよ」
「そうなんだ。いやあ、おいしそうだね。ありがたくいただくよ」
松木は抱えていたかたまりの中から、色艶の良さそうなものを三個ばかり選んで、机の上に置いた。
「そんなにいらないよ。一つでじゅうぶん」
桂木が遠慮しても、松木は承知しない。
「いいえ、親父が課長に食べてもらえと言ってきたんです。いっぱい食べてもらわないと叱られます」
そう言って、さらにもう一つ、机に置こうとする。
「分かった。でも、大きいから三つでじゅうぶん。あとはみんなで分けて。それから、親父さんによろしく伝えてください」
松木は大きな目を細めた。
「まっちゃんは、高知の出だったのか。うちの祖父もそうだよ」
「えっ、課長も高知出身ですか」
「いや、祖父は高知だけど、私は北海道生まれだ」
「そうでしたか。課長は北海道ですか。うらやましいな」
松木はそう言いながら、大きなブンタンを手で器用に剥き始めた。柑橘類の甘酸っぱい香りが部屋中に広がる。電話をしていた山下が鼻をくんくん鳴らしながら、こっちを向いた。
「うらやましい? 北海道は旅行にはいいけど、住むのは大変だよ。もっとも、私は小さい頃に引っ越してきたから、あまり覚えてはいないんだけどね」
松木とこんな話をしていられるほど、チームには余裕が出てきていた。
松木はブンタンの分厚い皮を皿代わりに机に置き、一粒ずつ中袋を丁寧に剥いては載せていく。慣れた手つきだ。
「こうやって、剥いて食べるんですよ」
松木は、一粒口に放り込んでから、桂木にも勧めた。
口に含むとさっぱりした甘さの中に、微かな酸味が広がる。桂木は、その酸っぱさの中に、遠く離れた息子を思う切ない親心を感じた。直属の上司として、若い職員を預かる責任の重さを痛感するのだった。
支援チームのメンバーは、予定どおり、四月の中旬から、仙台に二人ずつ、二週間交替で派遣されるようになった。
女性センターの避難所が無事オープンしたので、桂木と岡本もこのローテーションに加わることになった。二人ともはじめて、被災地に出張する。
桂木はかねてから、被災地の現状をこの目で確かめたいと思っていた。刻々と変化する現地の状況を踏まえた上で、今後の支援方針を決めなければならない。しかし、二週間は長すぎる。チームリーダーがそんなに長い間、席を空ける訳にはいかない。桂木は担当部長とも相談し、四日に短縮した。
仙台行きが決まると、
「とうとう、被災地に行くのね」
と、妻はいかにも不安そうに言った。
心配するのも無理はなかった。東北では、未だに大きな余震が続いている。加えて原発事故だ。
都内で一人暮らしの娘からも、すぐにメールが届いた。
「余震が続いているから、いつもヘルメットを被っていてね。放射能の体内被曝を少しでも避けるために、マスクも忘れないでね。外から戻ったら、上着を払うくらいはしてね」
娘は人一倍心配性だった。これまでも、放射能汚染の実態や健康への影響について、丹念にインターネットで調べては、毎日のように、長文のメールを送ってきていた。
福島第一原子力発電所では、震災直後に一号機が水素爆発を起こして以降、予断を許さない深刻な事態が続いていたが、メルトダウンの事実は、まだ国民に知らされてはいなかった。
東北新幹線は、大型連休を前にして、全線でようやく運転を再開したばかりだった。
五月五日早朝、桂木と岡本は仙台へと向かった。東北新幹線は心配した遅れもなく、快適に飛ばしている。
震災からわずか四十九日での運転再開のニュースは、幹線道路の応急復旧の早さとともに、世界中を驚かせた。
そればかりではない。震災直後に、暴動が起こらず、商店の略奪もなかったことを、海外のメディアは驚きを持って報道していた。被災者同士が助け合い、整然と避難する様子が、日本人の美徳として賞賛されていた。
車窓からの風景は、インフラの復旧が急ピッチに進んでいることを実感させた。震災の傷跡らしきものは、どこにも見当たらなかった。
桂木は列車が福島県内に入ってからは、それこそ額を窓にくっつけるようにして凝視していたが、車窓にはのどかな田園風景が広がるばかりだった。
まもなく、仙台市内に差しかかろうとする時だった。遠くに海が見えた。時折、雲の合間から射す陽の光が、灰色の海を鈍く照らしている。
海岸線の手前が、ぼんやりと異様に白っぽく見えた。あの辺りが津波で流された場所なのかもしれない。長く連なる一条の白い帯が不気味に光っていた。
ほどなく、列車が仙台駅に滑り込む。東京から二時間、三百五十一キロの行程はあっという間に終わった。
ホームから駅構内を歩いて、改札口へと向かう。
「たしか、この新幹線のホームは、地震で天井板が剥がれ落ちたんじゃなかったかな」
いくら辺りを見回しても、その形跡は見当たらない。行き交う人々の表情は、穏やかそのものだった。
「案外、落ち着いているみたいですね」
岡本も同じことを考えていたのだろう。ぽつんと独り言のように言った。
改札口を出たところで、交替職員の西沢が二人を待っていた。彼は午後の便で帰る予定だ。もう一人は午前中に、一足先に帰ったという。
桂木は西沢に、仙台市内や被災地の様子を聞いた。
「市の中心部では、被害は少なかったようです。大雑把に言って、山側では地震の被害が、海側では津波の被害がひどかったようです。特に、海岸線を走っている高速道路から海側の土地は壊滅状態です」
西沢の説明に、桂木ははっとした。仙台の手前から遠く海側に見えた、不気味に白く光る平坦な土地を思い出したのだった。
「そこには行けるんですか」
すかさず岡本が聞いた。
「車でなら大丈夫です。今日にでも行ってみてください」
この二週間、西沢は仙台市内から、石巻や気仙沼など、津波の被害にあった海岸線の被災地をつぶさに見て回ったという。
「まずホテルに寄って、手荷物を降ろしてから、県庁に行きましょう」
西沢の言葉に、桂木は頷いた。
駐在事務所は宮城県庁の中にあった。石巻には先遣隊として防災課の担当課長が派遣されていたから、担当部長は当初、駐在事務所もそこに置こうと考えたようだ。しかし、石巻は津波の被害がひどくて、市内には適当な宿泊場所が見つからなかったらしい。
「県庁の駐車場に車を停めてありますから、石巻に行くときはそれを使ってください」
と、西沢が言った。
この時期、被災地を巡るには車が不可欠だった。主要な幹線道路は復旧していたが、まだ海岸線の道路や鉄道は、あちこちで寸断されたままだったからだ。
仙台から石巻までは車で二時間足らずだ。駐在員は、滞在中、毎日、石巻まで往復し、派遣職員の受け入れや避難所の運営を支援する業務に当たっていた。
その合間を見て、各地の被災地を視察して回ることも、駐在員の重要な任務の一つだった。
ホテルは駅から歩いて十分ほどだった。五階建てのビジネスホテルだ。見た目より、年数は経っている。
二階の狭いフロントで、チェックインを済ませる。
桂木の部屋は、四階のシングルルームだった。中に入るとタバコ臭さが鼻についた。薄汚れたカーペットには、何箇所も焼け焦げた跡が付いていた。
これから四日間、この部屋で過ごすのかと思うと、桂木はいささか気が滅入った。この建物はもう一度大地震が来たら、もたないかも知れない、そんな不安もよぎる。
しかし、贅沢は言えなかった。被災して家を失い、窮屈な避難所や仮設住宅で暮らす被災者の惨状を思えば、暖かいベッドで寝られるだけでも幸せなのだ。
急いで防災服に着替えて部屋を出ると、岡本と西沢がフロントで桂木を待っていた。
県庁までは歩いて五、六分の距離だった。この近さはありがたい。
宮城県庁は、十八階建ての超高層ビルだった。築二十三年の堂々とした建物は、今回の地震にびくともしなかったという。
駐在事務所は二階の講堂にあった。そこには臨時に、宮城県の災害対策本部が置かれている。優に三百人は収容できる広大なフロアーに、事務机やロッカー、OA機器などがところ狭しに並べられ、その間を縫うように、大勢の職員があわただしく行き交っていた。
西沢は宮城県の災害対策課長を探し出して、桂木に紹介した。課長は四十代後半だろうか。がっしりとした体格に似合わず、人懐こそうに微笑んでいる。
「桂木と申します。今日からよろしくお願いします。何かお手伝いできることがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」
「ご支援ありがとうございます」
疲労が限界に達しているはずだが、気力が全身をかろうじて支えているのだろう。彼は穏やかな表情を崩さなかった。目の下の濃い隈が痛々しい。
各県の駐在事務所は、講堂のステージの上に割り当てられていた。神奈川県はいちばん右端だった。フロアーからはカーテンに隠れて見えない位置にある。
駐在事務所といっても、小さなテーブルが一つと、折りたたみ椅子が二脚あるだけだった。テーブルの上にはノートパソコンとプラスチック製の書類ケースが載っている。
ステージの上には、十数県の駐在事務所がひしめきあっていた。これ以上増えると、ステージから追い落とされてしまいそうだった。
桂木はさっそく、各県の職員にあいさつをして回った。近県をはじめ、遠く九州や関西からも来ていた。阪神淡路大震災を経験した兵庫県は、近畿各県と合同チームを組んで、いち早く駆けつけたという。
その近畿チームを中心に、毎朝、情報交換のためのミーティングが開かれている。後発組の神奈川にとっては、重要な情報源になっていた。
そこで、西沢からこまごまとした業務の引継ぎを受けてから、駐車場に向かった。桂木は一刻も早く、被災地の現状を確かめたかった。
車は地下一階に停めてあった。市内のレンタカーを長期で借りているという。照明が薄暗いのと、車体がグレーのせいで、遠くからは目立たなかったが、近づくと車は泥だらけだった。桂木の視線に気づいたのか、西沢が、
「汚れていますでしょう。津波の被災現場では、土埃が舞い上がってひどいんです。雨が降ると、そこらじゅうぬかるんで、泥だらけになります」
と、説明した。
「毎日、ガソリンスタンドで洗車をしているんですが、すぐに汚れてしまいます」
彼はすまなそうに頭を掻いた。
岡本が免許を持っていないので、運転は桂木が引き受けた。
不案内な土地の上に、被災地の道路事情は予測が困難だ。桂木は、運転は嫌いではなかったが、被災地での運転は出来れば避けたいところだった。
「石巻までは通常だと二時間足らずですが、被災地に向かう道路はどこも復旧車両などで混んでいて、夕方のラッシュアワーには市内は大渋滞になります。帰りは早めに戻ってきた方が無難です」
ハンドルを握る桂木の横で、西沢が道路事情を説明した。
仙台駅前で、西沢を降ろす。
「ご苦労様でした。戻ったら、しばらくゆっくり休んでください」
「ありがとうございます。お二人もお気をつけて」
西沢の顔に笑顔が浮かんだ。二週間の滞在は、さぞきつかったことだろう。
桂木はそのまま津波の被災地に直行しようとも考えたが、すでに午後一時を回っている。空腹は感じなかったが、どこか市内で昼食を済ませた方が無難だろうと思い直した。
「最近まで青葉城は通行止めで行けませんでしたが、ようやく数日前に再開したようです。観光客が戻ってきているといいですね」
桂木は西沢の話を思い出した。
「昼食ですが、視察がてら、青葉城へ行ってみましょうか」
桂木の提案に、岡本も異存はなかった。
青葉城跡に着いてみると、意外にも観光客で賑わっていた。
「例年に比べると、客足はまだまだよ」
みやげ物屋の女性店員は、渋い顔で言ったが、表情にはどこか余裕が感じられた。
ゴールデンウィークを前にして、マスコミは、被災地に限らず観光地はどこも軒並みキャンセル続きで、人手は例年の半分以下だと報じていた。横浜のみなとみらい地区にある高級ホテル群でさえ、半額セールを打たなければならない状況に追い込まれていたのだ。
震災直後には、観光はおろか、コンサートやお祭りなど、人が集まるあらゆるイベントが中止になっていた。
最近になって、ようやく極端な自粛モードは解消されつつあったが、被災者の苦しみを慮って、贅沢な観光は控えようという気分が根強く残っていた。まだ、被災地に観光に行くことが復興の手助けになるという発想はなかった。
ここに来るまで、桂木は、被災地では観光という言葉自体が禁句かも知れないと思っていたから、この賑わいはまったく予想外だった。
青葉城跡には、陸奥の遅い春が一気に到来していた。まばゆいばかりの萌黄色の若葉の中に、山桜の淡いピンクや、八重桜の鮮やかな桃色が互いに競い合い、引き立てあっている。
「東北は、桜と若葉がいっぺんにくるんですね」
そう言いながら、岡本が忙しくシャッターを切っている。
城跡の展望台からは、市内が一望できた。杜の都はケヤキの杜だ。箒を逆さにしたような樹形を、柔らかな黄緑色の若葉が包み込んでいる。新しい命を纏ったケヤキの街路樹からは、この街を襲った悲劇は想像すらできなかった。
仙台に来たら、何をおいても牛タンだ。
名物料理を食べて、被災地の復興に少しでも貢献しようと、桂木は東北の名物を、かたっぱしから味わうつもりでいた。その望みがどこまでかなうかで、復興の程度もわかるだろう。
土産物屋の二階が、牛タン料理の専門店だった。さっきの店員が愛想よく手招きしている。レストランには、長い順番待ちの列ができていた。
店員は二人が横浜から来たと聞いて親しみを持ったのか、仙台の牛タン焼きのいわれや、この店の仕入先がオーストラリアであることなど、淀みなく話し続けた。
「お客さんは運がいいですよ」
「どうしてですか」
「だって、地震で城址の石垣が崩れて、ついこのあいだまで、ここは閉鎖されていたんですよ」
「そうらしいですね。それにしては、意外に混んでいて驚きました」
「地震でしばらくどこにも行かれなかったから、みんな行楽に出てきたんでしょうね」
東北は寡黙の人が多いと勝手に思い込んでいたから、桂木はこの女店員の快活さに面食らいながらも、被災地の人と笑顔で話せることに安堵していた。
小一時間ほど待たされてから、ようやく名前が呼ばれて二階に上がった。案内されたのは、十人ほどが座れる大きな丸テーブルだった。二組の子連れの若い夫婦と合席になった。家族同士は知り合いのようで、子供たちがテーブルの周りではしゃいでいる。この家族にはもう日常が戻っているのだろうか。夫婦で楽しそうにメニューを選んでいた。
桂木はこの店のお勧めだという、塩と味噌漬けがセットになった牛タン定食を注文した。岡本はしばらく迷っていたが、結局、同じものにした。料理がくるまでの間に、これからの行程を打ち合わせる。
周りの子供たちの賑やかな笑い声を聞いていると、ここが被災地で、これから津波の現場に向かうということが、どうしてもピンとこなかった。
ほどなく定食が運ばれてきた。オーストラリア産にしては柔らかい。牛たんの熟成された風味に、二人は舌つづみを打った。
「今度は、仙台牛のステーキに挑戦しましょう」
岡本は黙々と口を動かしている。桂木はオーストラリア産の牛タンをほおばりながら、仙台牛もあるのかと心配していた。
これは現実なのか!
青葉城跡の高台を下って仙台駅を通過し、いよいよ海岸線へと向かう。桂木は、津波の被害がどこまで続いているのか確かめたいと思い、名取市まで南下してみることにした。
仙台市内の道路は広くて快適だった。両側にはケヤキ並木が続いている。所々で、桜がケヤキを押しのけるように、満開の花をつけた枝を大きく広げていた。市街地を走っている限り、津波の爪あとはどこにも見当たらなかった。
左右の街路樹に気を取られているうちに、どうやら道を間違えたらしい。名取市に着く前に、いつの間にか仙台東部道路に接続する道に紛れ込んでしまった。この道は海岸線と平行に走っている高速道路で、このまま行くと仙台市街に逆戻りしてしまう。
どこかで降りなければと左右に首を振ると、桂木は両側の景色が極端に違うことに気がついた。まるで道路を境に、天国と地獄が分かれているようだった。その瞬間、あの日、テレビで観た巨大津波の映像が、脳裏に鮮明に蘇った。
そうだ、これがあの道路なんだ!
三月十一日のあの日、テレビは大津波に襲われる被災地の惨状を繰り返し放映していた。
押し寄せる黒い濁流が次々に家や畑を飲み込んでいく。無数の車がおもちゃのように、波に揉まれながら流されていった。中に人がいるのかどうかも分らない。
これは映画のシーンなのか。
あまりにも現実離れした映像に、思考の回路がうまく働かなかった。
濁流がまた一つ家を飲み込んでいく。そのすぐ手前のあぜ道を、豆粒のような車が走っていた。
そっちじゃない!
早く逃げないと飲み込まれるぞ!
テレビを観ながら、必死に叫ぶ。
その時、画面が切り替わった。
今度は、一直線に連なった黒い濁流が、もうもうと土埃を巻き上げながら、今まさに一本の道路に襲いかかろうとしていた。道路には何十台もの車が、まるで何事もないかのように行き交っている。
何でそんなところを走っているんだ!
早く逃げろ!
もうだめだ!
と思った瞬間、津波が道路の土手に跳ね返された。
奇跡が起こった!
高く盛り上げられた高速道路の土手が、防波堤の役割を果たしたのだった。
そうだ、これがあの道路なんだ!
桂木は、今まさにその道路を走っていると分かって、言い知れぬ恐怖に身震いした。
この一本の道路が生と死を分けたのだ。左側の緑色と右側の灰色が、残酷なまでに、現実を象徴していた。
岡本も押し黙ったまま、延々と続く灰色の世界をじっと見つめている。
「この先のインターチェンジで降りて、海側に行ってみましょう」
桂木が声をかけると、岡本は小さく頷いた。
仙台東インターチェンジで高速道路を降りて、県道二十三号線から海岸線へと向かった。片側一車線の狭い道路だった。
高速道路の高架橋の下を潜ると、辺りの景色が一変した。そこから先が、巨大津波の被災地だった。
道の両脇には、泥を被った車が灰色のまま放置されている。壊れた家屋の残骸が、畑の跡らしい土地に散乱していた。かろうじてその場に踏みとどまった家屋も、一階部分の壁は完全に崩れ、むき出しの鉄骨の柱が無残な姿を晒している。その隣の家は丸ごと流されていた。コンクリートの土台だけが、まるでこれから家を建てるかのように、部屋の間取りの跡を残していた。
どんな言葉も浮かんでこなかった。灰色一色の世界。想像を絶する恐怖の跡……。
桂木はただひたすらハンドルを握っていた。道はまっすぐに海岸線に続いている。
あの日、間違いなく、この道を今とは逆方向に、津波に追われながら運転していた人がいたのだ。バックミラーには、迫りくる濁流が映っていたはずだ。テレビに映っていたドライバーはその後どうなったのだろう……。
桂木は息苦しさにいたたまれなくなって、少しだけ窓を開けた。風はなかった。土埃を気にする必要はなかったが、マスクを外す気にはなれなかった。
岡本は相変わらず黙ったまま、まっすぐ前だけを見つめている。
海岸まであと少しという所で、急ごしらえのバリケードに遮られた。
『ここから先、関係者以外立ち入り禁止!』
と書いてあった。
我々は関係者なのだろうか。桂木は一瞬迷った。
車を停めると、作業服を着た男が近寄ってきた。ヘルメットの先を持ち上げながら、無遠慮に車内を覗き込んでくる。仙台市から委託を受けた業者だった。
桂木は窓を半開きにして、できるだけ丁寧に尋ねた。
「ご苦労様です。神奈川県の者です。現地の視察に来たのですが、ここから先へは行けませんか」
男はじろりと二人を見てから、
「どうぞ」
と言って、バリケードの棒を上げた。着ていた防災服と腕章が効いたのだろう。
「ありがとうございます」
礼を言うと、男は、
「遠くからご苦労様です。ここから先は、道が悪いので気をつけてください」
と丁寧に頭を下げた。
ゲートを潜ってしばらく行くと、砂浜に突き当たった。道はそこから右に折れている。
海岸線の松並木は、軒並みなぎ倒されていた。流された砂や泥が道路を覆い、アスファルトの道が判然としない。
桂木はゆっくりと車を走らせながら、左右の景色を一つひとつ確認していった。あちらこちらに水溜りができている。
ここには何があったのだろう。あそこには……。
道路わきの残骸からは、何も推測することができなかった。
さらに進むと、遠くに数軒の住宅が見えてきた。一見すると、どれも立派に建っているようだったが、近づくにつれて、何かがおかしいと気づいた。
よく見ると、手前の家は、一階の窓ガラスが全部なくなっていた。壁や窓が残っているのは二階だけで、一階は枠組しかない。窓や戸がすっぽりと抜けて、大きな口を開けていた。その口の向こうには、灰色一色の景色が覗いている。
家のすぐ前まで来た。立派な構えの戸建ての家だった。庭には、一かたまりになったがれきが転がっていた。壊れた家具や古タイヤや、ぐじゃぐじゃに折れ曲がった鉄骨が複雑に絡み合い、まるで現代アートのオブジェのようだった。周囲には、赤レンガの塀が、かろうじてその痕跡を留めている。
がれきの横には、小さな看板が立っていた。
『宅地内のがれき等の撤去に関するお願い 仙台市環境局』
そこには、撤去作業の前に、地権者に確認したいことがあるので、至急連絡して欲しい、と書いてあった。
がれきといえども所有権があるので、地権者に確認してからでないと、市も勝手に処分することができないのだろう。
しかし、あの巨大津波だ。どこから、どんなものが流されてきたか分からないだろう。だいいち、地権者が戻ってくるのかさえ定かではない。この非常事態に、ここまでていねいにする必要があるのだろうかと、桂木は疑問に思った。
岡本が車を降りて、辺りの写真を撮り始めた。強張っていた顔が、少し緩んでいる。あちこち歩き回っては、しきりにシャッターを押していた。
その時、桂木はカメラの視線の向こうに、年配の男女の姿を認めた。どうやら、壊れた自宅のがれきを片付けているらしい。
岡本も気づいたようだ。あわててカメラを降ろし、小さく頭を下げた。それを見て、二人は安心したように、作業を再開した。
桂木は被災者から話を聞く良いチャンスだと思ったが、彼らの心情を慮ると、どうしても声をかけることができなかった。
桂木はその場で軽く会釈をしてから車に戻った。その時、一足先に戻っていた岡本と目が合った。
それで良かったのですよ!
目が、そう言っている。
「さあ、行こうか」
「はい」
その場を離れるまでずっと、岡本は窓ガラス越しに、彼らに頭を下げていた。
その先は、さらに通りにくくなっていた。道の真ん中まで、なぎ倒された松の小枝が散乱している。道路の半分が、水浸しの所もあった。
行き止まりになるのではないかとヒアヒアしたが、意外にも途中から急に道幅が広くなった。新しく整備されたアスファルトの道だった。
前方から、数台の大型ダンプカーが走って来た。
どこかの建設現場にでも、迷い込んでしまったかな……。
すれ違いざまに、荷台の横の「仙台市環境局」という文字が見えた。
環境局はごみ処理を所管する部署だから、近くに清掃工場か何かがあるのかもしれない。あるいは、がれきの処分場か。
桂木の勘は当たった。しばらく進むと、前方に、灰色の巨大な山が見えてきた。うず高く積み上げられたがれきの山だった。
廃墟のかたまりのような山。
平凡な日常が突然奪われ、押し流されてできた絶望の山。
一瞬にして破壊された現代文明の墓場の山だ。
がれきの山は、道の両側に、高い山脈のように連なっている。その膨大な量に、桂木は圧倒された。しかも、これから先、処分しなければならないがれきは、この何千倍、何万倍にもなるだろう。
何か手伝えることはないだろうか……。
そう考えながら、奥まで進んでいくと、灰色一色だった山にさまざまな色がつき始めた。
驚いたことに、がれきは種類ごとに分別されていたのだ。
黒い土砂の山、白いコンクリートの山、茶色の木材の山、透明なプラスチックの山、金色や銀色に輝く金属の山。なかには、まるで煎餅のように、ぺちゃんこに潰された車両が積み重なっている山もあった。そのカラフルなサンドイッチのような山は、ユーモラスでさえあった。
岡本も隣で、白い歯を見せている。
それにしても、この短期間に、よくここまで分別できたものだ。普段から徹底していなければ、こうはできない。
この時期、災害廃棄物の処分方法は、自治体ごとに異なっていた。処分を優先させるため、分別せずに全て埋め立てている自治体もあった。
桂木は廃棄物行政に携わったこともある。その経験から、廃棄物を安全に処分することの難しさはよく承知していた。まして、災害で発生した廃棄物ともなれば、分別作業は困難を極めるに違いない。これから被災自治体が直面する気の遠くなるような作業量を考えると、ハンドルを握る手が、鉛のように重くなるのだった。
二人は西沢の助言どおり、夕方の渋滞が始まる前に、かろうじて仙台市内に戻ることができた。
宮城県庁の地下駐車場に車を戻し、そこからホテルまで歩く。
日が落ちると、とたんに冷え込んできた。
「夕食はどうしましょうか」
あちこち動き回った割には、空腹感はなかった。
「お任せします」
岡本も同じなのか、気のない返事だった。今日はいつもより際立って、口数が少ない。
「せっかく仙台に来たんだから、何か美味しいものを食べましょう。何がいいですか?」
「ええ……」
「お昼が牛タンだったから、和食の方がいいかな?」
「そうですね……」
岡本もまだ、昼間の衝撃から立ち直れないでいるのだろう。疲労も溜まっているに違いない。
そうこうするうちに、ホテルに着いてしまった。二人は、着替えや休憩の時間を考えて、一時間後にロビーで待ち合わせることにした。
桂木は部屋に戻ると、その足でシャワールームに行った。埃だらけの体を洗い流すことで、一刻も早く、灰色一色の異常な世界から、平凡な日常に戻りたいと思ったからだ。
熱めのシャワーを浴びると、全身の疲労と緊張が体の芯から溶けていくようだった。これまで、シャワーがこんなに気持ちよいと思ったことはなかった。
防災服ではなく、いつものジーンズとトレーナーに着替えると、ようやく気分が落ち着いた。普段どおりでいられることのありがたさを、桂木ははじめて知った。
緊張がほぐれたせいか、急に眠気が襲ってきた。待ち合わせには、まだ少し時間がある。
ベッドに横になると、思った以上に体は疲れていた。意思に反して、重い瞼が下りてくる。すると、舞台の幕が開くように、忘れかけていた光景が蘇ってきた。
高速道路から覗いた天国と地獄、
灰色一色の巨大津波の跡、
がれきを片付ける老夫婦の不安な顔、
巨大な災害廃棄物の山……。
これでもか、これでもかと、容赦なく迫ってくる無情な現実を、脳が頑なに拒んでいた。
こんなひどいことが、あってたまるか、
だれも、何も、悪いことをしていないのに、
この世に、神も仏もあるものか、
いったい、何を信じて生きていけばいい、
何を信じてはいけないのか……。
いつの間にか寝入ってしまったようだ。目尻には、涙の跡がこびりついていた。
時計を見ると、待ち合せの時間がとっくに過ぎていた。桂木はあわてて部屋を飛び出した。
ロビーで待っていた岡本は、桂木と目が合うと、ほっとしたように小さく手を振った。厚手の白いセーターの上から、暖かそうなベージュのコートを着ている。
「ごめんなさい。お待たせしました」
「いいえ、私も今きたところです」
二人はホテルを出ると、これといった当てもなく歩き出した。桂木は、仙台は初めてだった。駅に向かえば、きっと繁華街があるだろう。
広瀬通りまで来ると、歩道も車道も、信じられないほど、人と車で溢れていた。昼間の観光客といい、夕方のビジネスマンといい、市内は、震災などなかったかのように賑わっている。
「落ち着いて食事ができそうな処だと、お寿司屋さんはどうですか。せっかくだから、地酒も飲みたいし」
この提案に、岡本は今日一番の、はずんだ声を返した。
「いいですね。私、日本酒大好きなんです」
岡本は、仙台には何度か来ているという。たしかこの辺りに、国分町という繁華街があるはずだと、歩を早めた。
人通りの多いネオン街を歩いているうちに、桂木はにわかに空腹を覚えてきた。岡本も食欲が出てきたようだ。タイミングよくこぎれいな店を見つけると、桂木は躊躇うことなく暖簾をくぐった。
店の中はかなり混んでいたが、運よくカウンター席が空いていた。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」
威勢のいい声が降ってきた。白髪頭を手拭いできりっと締めた、貫禄のある板前だった。
「とりあえず、生ビールを二つお願いします。それと、地魚は何がありますか」
「すみません。あいにく市場が閉まっていて、近海の魚は入ってこないんです」
「え、そうなんですか。やっぱり地震のせいですか?」
「はい。漁港が津波でやられてしまって、漁ができないんですよ」
桂木の脳裏に、また、あの忌まわしいテレビ画像が浮かんできた。
「じゃあ、ネタはどこから?」
「全国から取り寄せていますから、さし当たって影響はありませんが、あまり長引くようだと心配です」
東北の沿岸域は、津波でどこも壊滅的な被害を受けていた。漁港だけでなく、漁船や養殖施設も流されていたのだった。
近海で魚が獲れないとなると、全国から取り寄せるしかないが、コスト面で厳しくなる。漁業が復興するには、かなりの時間がかかるだろう。
板前の話を、岡本も沈んだ顔で聞いていた。
ビールが運ばれてくると、二人は気を取り直して、
「乾杯!」
と、ジョッキを鳴らした。
「やっぱり、うまいなあ」
桂木が呟くと、岡本も顔をほころばせた。考えてみると、今日は午後から、二人ともほとんど水分を取っていなかったのだ。岡本は小さな水筒を用意してはいたが、すぐに飲み干してしまったようだ。桂木のペットボトルも、昼前には空になっていた。あの灰色一色の世界で、水が調達できるはずもなかったのだ。
喉の渇きが癒されると、強烈な空腹感が襲ってきた。メニューに地魚がないのは残念だったが仕方がない。その分奮発して、二人ともいちばん高そうな、特上のにぎりを注文した。
「地酒はどうですか。そちらも被害がありましたか?」
岡本が、カウンターに身を乗り出すようにして聞いた。
桂木も気になっていたところだ。
「ええ、醸造元もかなりやられたと聞いています。でも、なんとか難を逃れた蔵もあって、地酒は今のところ、いつもどおり入荷しています」
岡本は素直に喜んでいいものかと、複雑な表情で、
「そうなんですか……。それで、今は何があるんですか?」
と尋ねた。
「浦霞、一ノ蔵、澤乃泉に……、あと、日高見もありますよ」
「日高見?」
岡本にも聞き覚えのない銘柄だったようだ。桂木には日本酒の知識はまるでない。
「はい、日高見です。石巻の地酒です」
石巻と聞いて、桂木は興味を持った。明日は、石巻市内の避難所を見て回る予定だったからだ。
桂木は、岡本も同じ銘柄を注文するだろうと思い、
「じゃあ私も、日高見をいただきます」
と言ってから、念のため、
「岡本さんは?」
と聞くと、岡本は即座に、
「私は、一ノ蔵にします」
と答えた。
岡本は酒も料理も気に入ったようだ。桂木も日本酒には疎かったが、日高見は口に合った。桂木はいつも、ビール一杯で顔が赤くなるが、今日は特に酔いが早かった。岡本も酒好きというわりには進んでいない。口は多少滑らかになっていたが、いつもの明るさは戻っていなかった。
無理もなかった。ハードスケジュールに加えて、想像を絶する体験に、二人は心身ともに疲れきっていたのだ。
今夜は長居は禁物だ。桂木が頃合を見計らって、
「今日は疲れたでしょう。明日も早いので、そろそろ引き上げましょうか」
と言うと、岡本は頷きながら、手早くコートを引き寄せた。
ホテルに戻ると、二人はフロントで、翌朝の朝食の時間を確認してから鍵を受け取り、エレベーターで別れた。時計は九時を少し回っていた。
桂木は、すぐにでもベッドに潜り込みたい衝動を抑えて、今日の記録を取ろうと、いつものノートを開いた。しかし、ものの五分と経たないうちに、睡魔に引きずり込まれてしまった。
真夜中だった。桂木は緊急地震速報の、けたたましい音にたたき起こされた。その直後、下から突き上げるような、激しい揺れが襲ってきた。ベッドの下にもぐりこむ余裕はなかった。そのまま、布団を頭から被った。このホテルはかなり古そうだ。耐えられる震度は、高が知れているだろう。
ここで死ぬのか……。
本気でそう思った。
揺れはなかなか収まらなかった。仙台に着いてから、小さな地震は何回もあったが、今度のは大きい。
これがまた、巨大地震の引き金にならなければよいのだが……。
揺れが小さくなったところで、桂木はテレビのスイッチを入れた。
震度は三だった。震源地は福島県浜通り。最大震度は五弱。東日本大震災の余震の一つだと報じていた。
それにしては揺れが大きいと感じたのは、被災地にいる緊張感からだろうか。恐怖心が尋常ではなかった。
これほど頻繁に余震が続いては、神経の休まる暇がない。しかし、被災地の人々の恐怖心は、桂木たちのような一時滞在者とは比較にならないだろう。
桂木は岡本のことが気になった。彼女の部屋は最上階だった。ここより激しく揺れたに違いない。
夜中の二時だったが、岡本も起きているはずだ。
「桂木です。大丈夫ですか」
内線電話で確かめると、
「はい、大丈夫です。課長は?」
と、落ち着いた声が返ってきた。
「私も大丈夫。けっこう揺れましたね。また余震があるかもしれませんから、気をつけて。じゃあ、おやすみなさい」
そうは言ったものの、どう気をつけろというのか、桂木は苦笑した。
復興に何ができるのか!
翌朝は、六時に目が覚めた。朝食は七時からだった。桂木は少し前にロビーに降りたが、岡本のほうが早かった。
食堂はすでに満席に近かった。震災直後から、被災地では、復興関連のビジネスマンや工事関係者が長期滞在していた。市内のホテルはどこも満室で、このホテルも押さえるのが大変だったと、担当部長が言っていた。
二人は窓際のテーブル席を確保してから、料理を取りに行った。和食と洋食のビュッフェスタイルだった。
桂木は和食にした。アジの干物と白いご飯が美味そうだった。岡本はちょっと迷ってから、ハムエッグとトーストを選んだ。
天気予報では、朝から晴れるとは言っていたが、外はまだ暗い。桂木は石巻の天候が気になった。
二人は早めに食事を済ませ、防災服に着替えてから県庁に向かった。早朝の刺すような冷気に、キリリと身が引き締まる。岡本は今朝も口数が少ない。
今日は、どんな一日になるのだろうか……。
午前八時半、講堂にはすでに各県の応援職員が詰めていた。
九時から、近畿チームのミーティングが始まった。岡本が熱心にメモを取っている。復旧作業や支援活動の進捗状況、現時点での課題や今後の支援方針などについて、兵庫県から一時間ほど、ブリーフィングがあった。
その後すぐ、宮城県の災害対策本部会議が始まった。近畿チームのミーティングは、この会議に合わせてセッティングされていたのだ。本部会議には、各県の職員もオブザーバーとして参加できた。
桂木は、被災県の本部会議がどんなふうに進められているのか、興味があった。
知事が着席すると、各局から順に報告が始まった。会議の進め方は同じようだったが、時間は三十分と短かった。資料も少ない。各局長からの報告も、ポイントを絞った簡潔なものだった。
うちの県もこうでなきゃな……。
桂木は、やたらと長い神奈川県の会議に、うんざりしていたのだった。
最後に知事から、同席している各県の応援職員にも、労いと感謝の言葉があった。知事の力量は、緊急事態にこそ試される。過酷な状況下においても、冷静な判断と強力なリーダーシップが求められる。宮城県知事は、極限状態の中でも、他県の応援職員を労うだけの度量を見せていた。
本部会議が終わって講堂に戻ると、桂木は、昨日紹介された災害対策課長を探した。神奈川県として、何かできることはないかと、直接、課長に聞いてみたかったからだ。
しかし、いくら探しても、見つからなかった。当然と言えば当然だった。被災直後のこの時期は、県庁のどの部署も想定外の事態に追われている。災害対策課長は司令塔として、全庁を飛び回っているに違いない。
桂木にはもう一つ、確認したい案件があった。それは同期の三島から提案されたロゴマークに関することだった。桂木はあれから、三島のアイデアをなんとか生かす方法はないかと考えていたのだ。
桂木は、たまたま通りかかった女性職員に、観光課の場所を聞いた。すると驚いたことに、その職員は、
「ちょうど私も同じ階に用があるので、そちらまでご案内します」
と、言って歩き始めた。桂木は、忙しい職員を引き止めてしまったことを後悔した。
岡本は観光課と聞いて、不思議そうに桂木の顔を見ている。
「神奈川県の災害支援課長の桂木と申します」
名刺を渡すと、観光課長は怪訝な顔をした。髪には白髪が混じっている。背広はよれよれだった。
彼は、わざわざ神奈川県から、畑違いの課長が来た理由を計りかねていたのだろう。
「ご支援ありがとうございます。こちらには、どういうご用件でしょうか」
「はい。今はそちらも復旧対策が最優先であることは承知していますが、私は、いずれ復旧から復興へと重点が移っていく際には、観光が重要な役割を果たすと考えています。そこで、神奈川県としても、何かお手伝いできることはないかと思い、お話を伺いに参りました」
そう聞いて、観光課長と同時に、岡本も納得したようだ。
「そうでしたか。おっしゃるとおり、我々も今は、アクセスや宿泊施設の復旧など、ハード面が優先ですが、これからは、観光客を呼び戻すためのソフト面の対策が必要になると考えています」
岡本が大きく頷いている。
「しかし、今は自粛ムードが強くて、被災地に遊びにくることに抵抗を感じる人が多いので……」
観光課長の言葉が、そこで萎んだ。
「そこなんです。今は、首都圏では、人が集まるようなイベントは極端に自粛されています。まして、被災地の観光など、もってのほかという雰囲気です。それは、今は仕方がないと思います。でも、いずれ被災地に行って、何か役に立ちたいと思っている人も多いのではないでしょうか。そこで、今のうちから、首都圏で、被災地の応援を兼ねた観光キャンペーンを仕掛けてはどうかと思うのです」
「うーん。観光キャンペーンですか……」
「単なるキャンペーンではだめでしょう。将来、観光客を誘致するためには、今から、被災地の正確な情報を提供する必要があります」
「……」
「私は昨日、青葉城跡に行ってみたのですが、思いのほか観光客が多かったのには驚きました。こうした観光地の様子が分かれば、今すぐは無理にしても、近いうちに行ってみたいと思う人は、案外多いのではないでしょうか」
「先行投資みたいなものですね」
「そうです。キャンペーンで、鉄道が開通したらこちらにどうぞとか、道路が繋がったらこのルートでとか、お土産はこれをなんて、復旧の状況に応じて、情報提供するんです」
「すばらしいアイデアだとは思いますが、情報提供だけで、観光客を呼び戻せるでしょうか」
「そうですね。情報提供と同時に、直接、被災地に貢献できる仕掛けも必要でしょう。たとえば、キャンペーン会場で、被災地で作ったオリジナルのTシャツやポロシャツを販売するとか。売り上げの一部を被災地に寄付するとか。そうすれば、被災地のために何かしたいと思っている人に直接訴えることができますし、そこで販売する製品を被災地で生産することで、産業復興にも役立つのではないでしょうか」
この話が実現すれば、三島のロゴマークが日の目を見ることになる。
「じつは、オリジナルTシャツのロゴマークは、すでに考えているんです」
そう聞いて、観光課長は驚きを隠さなかった。
「その生産を、こちらの企業にお願いすることは可能でしょうか?」
「そうですね。アパレル関係の工場は、比較的被害が少なかったようですから、多分、大丈夫だと思います」
「そうですか。安心しました。この話はまだ私のアイデア段階ですが、帰ったらすぐ、関係部局と相談してみます。結果はまた、連絡させていただきます」
観光課長の顔から、はじめて笑みがこぼれた。
「今日は、ありがとうございました。お話を伺っているうちに、我々も、もっとがんばろうと思いました」
「こちらこそ、ありがとうございました。かえって、ご迷惑ではありませんでしたか」
「とんでもありません。この企画がうまくいくことを、楽しみにしています」
観光課長はエレベーターホールまで二人を見送り、深々と頭を下げた。
エレベーターの中で、岡本が言った。
「課長さん、嬉しそうでしたね」
「そうだね。思い切って来てよかった。この企画、なんとか実現したいな」
「ぜひ、お手伝いさせてください。私も商工部にいましたから、少しは観光業界のことも知っているので」
「そうだったね。それは頼もしいな。よろしくお願いします」
「はい。任せてください」
岡本はポンと胸を叩いてみせた。
「そうだ、せっかくエレベーターに乗ったんだから、ちょっと、展望ホールに行ってみようか」
二人は同じエレベーターに乗ったまま、最上階に逆戻りした。
十八階からの眺めは、震災がなければ無条件に楽しめたことだろう。そこからは市街地が一望できた。緑とピンクの街路樹に囲まれた杜の都は美しかった。
しかし、その向こうに広がる灰色一色の世界が、またしても二人に、厳しい現実を突きつけてくるのだった。
「ご苦労様です。神奈川県から来てくれたんですね。ありがとうございます。がんばってください」
振り向くと、年配の女性が頭を下げていた。防災服の背中の文字を見たのだろう。二人はあわてて会釈を返した。被災地を励ましにきたはずの二人が、逆に励まされていた。
もう二度と、こんな光景は見たくない!
五月七日、出張の三日目。今日は、仙台から松島、石巻、南三陸を回って気仙沼まで、被災地を視て回る予定だ。
石巻までは海岸線ではなく、仙台東部道路から三陸自動車道を走り、途中、松島海岸で降りる。
桂木は観光地の現状を自分の目で確かめたかった。松島も津波で大きな被害を受けていると聞いていた。昨日、宮城県の観光課長には、ああ提案したものの、本当に観光客を呼べるような状態なのか、それが心配だったのだ。
松島に近づくにつれて緊張が高まる。桂木は道路の左右を確かめるように、ゆっくりと車を走らせた。岡本もじっと目を凝らしている。今のところ、倒れた家屋や土砂崩れの跡は見当たらない。
松島海岸に出ると、道路沿いに、水族館や博物館、遊覧船乗り場などが並んでいる。ここが松島観光の中心スポットだ。
それにしては、人影がまばらだった。大型連休の最中とはとても思えない。閉まったままのみやげ物屋や飲食店が目についた。例年なら、この辺りは、観光客でごった返しているに違いない。松島は青葉城跡とは大違いだった。
ふと目をやると、海岸に面した公園の一角が崩れ落ち、高台に通じる石の階段が途中で寸断されていた。ここでも津波は、容赦なく牙を剥いていたのだ。
遊覧船乗り場には、数隻の船が桟橋に繋がれていた。前には人だかりができている。どうやら遊覧船はかろうじて営業しているようだ。
岡本がほっとした表情を見せた。
桂木は近くの駐車場に車を停めて、その辺りを歩いてみることにした。駐車場はがらがらだった。
営業中のみやげ物屋を覗いてみる。店内にはまばらに観光客の姿が見えた。中に入ると、奥から上品な顔立ちの女性が近づいてきた。
「こんにちは。お店、もうやっているんですね」
と、桂木が声をかけると、その女性は、
「おかげさまで、なんとか連休に間に合わせることができました」
と、物静かに応えた。
「え、そうなんですか? というと、ここも被害に遭われたんですか」
「はい。地震では棚から商品が落ちる程度でしたが、津波で水がこの辺まできて大変でした」
見ると、床から腰の高さくらいまで、壁が黒っぽく変色している。
彼女は店のオーナーだった。店員は津波に遭って、まだ店には戻ってこないのだという。隣の店も連休までに再開させようと頑張っていたが、間に合わなかったそうだ。
車から見ただけでは分らなかったが、ここも確実に被害に遭っていたのだ。
「店はなんとか再開できましたが、お客さんはさっぱりですね。でも、ありがたいことに、災害復旧で来てくださっている自衛隊や消防のみなさんが、おみやげをたくさん買っていってくださるんです」
オーナーはそう言って、はじめて笑顔を見せた。
「早く観光客が戻るといいですね。もう遊覧船も動いているようですし、松島は大丈夫だと分れば、きっとまた、すぐに元のように賑やかになりますよ」
桂木が言おうとした言葉を、岡本が先に言った。
「ほんと、早く元に戻ってほしいわ。でも、遊覧船が運航を再開したのはいいんですけど、ちょっと気がかりなことがありまして」
女性の表情が、急に曇った。
「え、どういうことですか?」
岡本が心配そうに尋ねる。
「震災から二ヶ月も経つのに、海ではまだ、津波で流された人のご遺体が見つかることがあるんです。遊覧船から見えることも……」
女性の言葉に、岡本の顔が青ざめた。
巨大津波がもたらした被害の実態を知って、桂木は愕然とした。壁の黒い染みを見つめながら、桂木は、簡単に観光客を呼び戻せるだろうと考えていた自分の浅はかさを恥じていた。
二人は持ちきれないほどのみやげを買い込むと、女性に丁寧にお辞儀をして店を出た。
松島から石巻までは、通常なら、美しい松島湾の景色を眺めながら、海岸沿いの快適なドライブを楽しめたことだろう。しかし、海岸線は寸断されたままだった。
高速道路を降りて石巻市内に入る。中心部に近づくにつれて、建物の被害が目立ち始めた。両側にはいたるところに、がれきが積み上げられている。
桂木は途中のコンビニに寄った。若い店員の話によると、津波はここまで押し寄せたらしい。店はゴールデンウィークに間に合わせるために、リニューアしたばかりだという。
コンビニを出てから数分で、石巻駅に着いた。そこで市役所の建物を探す。神奈川県から派遣されている担当課長と、そこで会う約束をしていたからだ。
地図の上では、市役所はこの辺りにあるはずなのだが、見つからなかった。まさか津波で流された……?。
すると、岡本が駅前にあるピンクの建物を指差した。
「あれじゃないですか」
目をこらすと、たしかに、入り口に小さく石巻市役所と書いてある。それにしても派手だ。一階はどう見てもスーパーマーケットだ。半信半疑のまま、立体駐車場に車を入れると、驚いたことに、二階から上が市役所だった。
市の職員によると、たしかに一階はスーパーマーケットだったが、津波で天井まで水浸しになり、今は休業中とのことだった。
そう言われて窓から外を見みると、周囲の建物の外壁には、同じ高さで一直線に、水に浸かった黒い跡が残されていた。
神奈川県の石巻駐在事務所は、市役所の三階にあった。人事課のフロアーの一角を借りているのだ。人事課は、各県からの派遣職員を受け入れる、市の窓口になっているのだという。
人事課長は三十歳代の若さだったが、目の回りにできた深い隅のせいで、十歳以上も老けて見えた。疲労が限界にきていることは明らかだった。
彼は震災以来、一日も休みを取っていないという。彼だけでなく、ほとんどの職員が同じような状態らしい。ここでも、大災害が職員を過酷な勤務に追い込んでいた。被災者のため、地域のためと、自らを犠牲にして働き続ける姿には頭が下がる。
しかし、桂木は、震災以降、自治体職員の過労死が相次いでいるという話を聞くにつけ、非常時の職員体制のあり方について、根本的な見直しが必要ではないかと思わざるを得なかった。
県の担当課長は、ここでの業務の内容を説明してから、二人を市内各地の一時避難所に案内した。
避難所は小・中学校の校舎や体育館に設置されている。その運営を手伝うため、全国各地の自治体から、多くの職員が派遣されていた。
岡本はスタッフから細かく状況を聞き取り、熱心にメモを取っている。ここでの仕事は、神奈川県から派遣されている職員が、円滑に業務を進めることができるように、支援することだった。
被災地の避難所は、被災者であふれていた。横になって寝ることすらままならない。女性や障害者への配慮はおろか、最低限のプライバシーすら守ることが難しい。非常事態に、人権という概念が消えてしまったかのようだった。
避難所はどこも、多くの課題を抱えていた。特に、食事の提供では、だれを優先するのか、順番をどうするのかで、しばしば避難者同士のいさかいが起きていた。自宅避難者にも食事を提供するかどうかで、スタッフの意見が分かれることもある。支援物資をどうやって配付するかも、大きな問題だった。
さらに、入浴や洗面の順番、トイレや部屋の清掃、慰問に訪れる芸能人やマスコミの取材への対応など、避難所の生活の全てがトラブルの原因になった。
こうした問題に対処するためには、どの避難所にも、しっかりしたまとめ役が必要だった。
避難所は、県や市町村のほか、社会福祉協議会やボランティア団体が開設しているが、運営は自治会や避難者自身が行う場合もある。
だれが責任者になるにしても、被災者への深い理解と強い責任感がなければ務まらない。その役割と責任の重さは、桂木の想像を遥かに超えていた。
桂木は、ここでの経験をどう生かしたらよいのか、思い悩まずにはいられなかった。
二人が市役所に戻ったときは、三時に近かった。夕方までに仙台に戻ることを考えると、気仙沼までは無理だとしても、南三陸までなら、なんとか行けるだろう。
海岸線のルートはあちこちで寸断されていたので、桂木は三陸自動車道から国道三九八号線を行くことにした。
三陸自動車道は、思った以上に交通量が多かった。支援物資を満載したトラックや、ボランティアを乗せた大型バス、各地から応援に駆けつけた警察や消防の車、自衛隊の大型車両など、普段の高速道路では見かけない車ばかりが、長い列をなして走っていた。
道路の物々しさとは対照的に、沿道の景色はのどかだった。東北の春は、初夏と連れ立って、一気に訪れている。目にしみるような青葉のキャンバスに、白とピンクの桃や桜が、鮮やかな彩を添えていた。
萌黄色の森へいこう!
生まれたての
空見上げよう!
春になれば花も咲く
ふるさとはここにある
桂木はいつのまにか、以前携わったイベントのテーマソングを口ずさんでいた。ここが被災地だという現実が頭からすっぽりと抜け落ちて、この道がどこか夢の世界に繋がっているように感じた。
できることなら、このまま夢から覚めないでいて欲しい……。
三陸自動車道から南三陸へは、通常なら三十分の道のりだ。
山あいの緩いカーブが続く一本道を、桂木は快適に飛ばした。すれ違う車はほとんどなかった。
両側には雑木林が広がり、ここでも、緑の間に、山桜が白い花を覗かせていた。高速道路では聞こえなかった鶯の、まだぎこちない鳴き声も聞こえてくる。日本の典型的な里山の風景だった。
雑木林を抜けると、小さな集落に出た。そこを過ぎ、再び両側から迫る山林を抜けると、また別の集落に出る。しばらくは、その繰り返しだった。
どこにでもある山里、穏やかな春、そして平凡な日常が、このままずっと続くかのように思えた。
やがて、車は緩やかな峠にさしかかった。そのまま吸い込まれるように、小さなトンネルに入った。すれ違う車は一台もない。ただ、タイヤとエンジンの音だけが不気味にこだましている。
トンネル内の照明は暗かった。遠くに出口が光って見える。その光は徐々に明るさを増しながら迫ってくる。
その先には、どんな光景が待ち受けているのだろう……。
そう思うと、桂木は言い知れぬ不安に、心臓の鼓動が高まっていく。ハンドルを握る手が汗ばんでいた。
岡本はじっと、その先を睨みつけている。
トンネルを出た瞬間、まぶしさに目が眩んだ。慣れるにしたがって、色が戻ってくる。その先は灰色一色ではなく、緑の里山だった。
桂木はほっと胸をなでおろした。岡本も柔らかく目を細めた。
雑木林の間を縫うように進むと、山あいに集落が点在するようになった。耕したばかりの畑やビニールハウスが続いている。
やがて、両側には住宅が目立つようになった。商店や工場もある。
市街地に入ったのだろう。コンビニやガソリンスタンド、チェーン店のドラッグストアなど、街はしだいに賑わいを増していった。
どの建物にも、異変は見当たらなかった。このまま市街地を抜けると、海岸線まで出るはずだ。
ひょっとすると、南三陸町は奇跡的に被害を免れたのかもしれない……。
桂木がそう思ったときだった。
小高い丘を回りこみ、視界が一気に開けた途端、突然、街が消えてしまった。道の両側にあるはずの建物がなくなって、がれきの山だけが、壊れた墓石のように連なっている。
灰色一色のまっ平らな廃墟の向こうには、赤錆びた鉄骨の骨組みだけが一つ、ぽつんと立っていた。
街中から聞こえてくるはずの子供たちの笑い声も、車の騒音も、救急車のサイレンも、雑多な生活音も、すべてが消えていた。
不気味な静寂の中で、エンジンの音だけが響いてくる。
二人は無言で前を見つめた。
その先が海だった。
もう二度と、こんな光景は見たくない!
翌朝、桂木はホテルで岡本と別れて、仙台駅に向かった。岡本にはこのあと一週間、駐在員としての仕事が残っている。
桂木は新幹線を待つ間、みやげ物を山ほど買い込んだ。寿司屋で飲んだ石巻の地酒もバッグに入れた。
列車が定刻どおりに発車すると、桂木はしばらくぼーっと外を眺めていた。
車窓から見える仙台の街並みが、まるで地震などなかったかのように、静かに通りすぎていく。
やがて、白川蔵王駅を通過すると、桂木は思い出したように、同期の三島にメールを送った。
今、帰りの新幹線の中で、今回の出張を振り返っています。
この四日間はあっという間でした。
被災地の惨状を目の当たりにすると、今、こうして生きていられることがどんなにありがたいことか、今の生活がどれほど多くの人々に支えられているか、改めて思い知らされます。
そして、これまでのような贅沢な生活は、当たり前には続かないのだということも。
東北ののどかな春を、だれもが心から楽しめるように、被災地の一日も早い復興を祈るばかりです。
そのためにやるべきことは、たくさんあると思っています。
(続く)
