見出し画像

歴史の韻を見つける快感

歴史の韻を見つける

NHKスペシャル「潤日」と、バタフライエフェクト「華僑」を続けて見た。

見終わったあと、妙に気分が高揚していた。
番組が面白かったから、だけではない。
何かが「分かった」気がしたからだ。

「華僑」の番組では、中国共産党の成立によって、多くの人々が海外へ渡った歴史が描かれていた。

彼らは祖国を離れた。
しかし、祖国とのつながりを失ったわけではない。
海外で事業を築き、資産を築き、故郷へ送金し、中国の発展を支えた。

一方で、「潤日」の番組では、中国から日本へ移り住む、現代の富裕層の人々が描かれていた。

理由は違う。
時代も違う。
政治状況も違う。
だから、同じ出来事だと言うつもりはない。

しかし、見ていて思った。

「あれ?」
「これ、同じことが起こってる?」


祖国を離れる人々。
海外で新しい生活基盤を築く。
それでも祖国との関係を持ち続ける人々。

もちろん細部は違う。
だが、その奥にある構造には、どこか似たものがある。

頭の中で二つの番組がつながった。
そして、一つの言葉を思い出した。

歴史は繰り返さないが、
韻を踏む。

ーマーク・トウェインの言葉(諸説あり)


まったく同じことは起きない。
しかし、人間がつくる社会には、何度も現れるパターンがある。

だから歴史を学ぶ意味は、年号を覚えることではない。
過去に起きた出来事の奥にある構造を知ること。
そして、今起きている出来事の中に、その韻を見つけることだ。


「分かった」にある快感

ここで、最初に感じた「分かった」の正体に戻る。

「勉強になった」とは、新しい知識を得ることだ。
知らなかったことを知る。
情報が増える。

一方で、「分かった」は違う。

バラバラに見えていたもののあいだに、一本の線が通る。
隠れていた意味が立ち上がるのを見つけた、ということ。

この瞬間は、
面白い。
興奮する。
気持ちいい。

つまり、「分かった」は快感なのだ

私たちは、とかく新しい情報ばかり追いかけてしまう。

しかし本当に面白いのは、情報そのものではない。
その奥にある構造だ。

別々に見えていた出来事がつながる。
歴史が韻を踏んでいるのが見えてくる。

その瞬間の快感があるから、人は学ぶのだと思う。



※「潤日」と「華僑」を続けてみたのは、ちきりんさんのXがきっかけ。
それを元に、感じたことを書きました。


いいなと思ったら応援しよう!