見出し画像

便利屋修行1年生 ⑱キケンな安定剤 連載恋愛小説

 なにかに押さえつけられたように体が重くなった理由は、分かっていた。自分でも驚いたことに、綾はストーカーに母親を重ねてしまっていた。
 バイク事故で早くに夫を亡くし、息子ふたりを身代わりのように溺愛していた人。
「兄じゃなくて私が死ねばよかったって毎日言われてて。すごい執念ですよね」
 キャンプ帰りの交通事故。母、長男、次男、長女のうち、半数がいなくなった。部屋に家族写真が1枚もないので、沢口は薄々感づいていたらしい。

「そんなガチな話とは、想像つかなかったけど」
「母の生霊いきりょうかと。大声で暴れるとことか、そっくりで。冬に怪談しちゃってすみません」
 無理に笑わなくていいと、沢口は綾の頬を両手ではさむ。
 田代映美との共鳴具合が常軌を逸していて、ずっと気になっていたという。
 延々と呪文をすり込まれ、自分に価値を見い出せなかったあの頃。
 ひとりだけ生き残った罪悪感に縛られた中学生にとっては、純粋に逃げ場がなかった。得体の知れないどす黒い渦に吞み込まれ、完全に病んでいた。

 光が差したのは、高校に入ったとき。
 伯母の家に居候になり、家から離れた学校に通うようになった。
彼女の家は変わっていて、毎日のように他人が出入りする子ども食堂状態だった。
 わちゃわちゃの中に放り込まれ家事を手伝うようになり、綾は自然と笑顔を思い出していた。
 今できることをやればいい。言葉ではなく態度で、伯母の崎子はそれを教えてくれた。

「もらったものを返していきたいなあって」
「うん」
 話しているあいだ、ずっと頬や髪をなでてくれたので、最後まで続けることができた。
 話すだけで浄化されることがあるのかと、目の覚める心地がした。
 あったかい手のひらに、そっと頬ずりする。
「沢口さんといると、安心する。キケンな安定剤的な」
「ドラッグ扱いすんな」

 高校生の兄たちが、色褪せていくだけの写真。段ボール箱の底にしまったまま何年も見ずにいると、どんな姿だったか忘れてしまいそうだ。
 キスを交わしながら裸になり、自分がここに存在しているか確かめる。打算抜きでそういう関係になったのははじめてで、自分じゃないみたいな変な感じがした。
 今までは、好きかどうかわからなくても、ただ忘れたくて刹那せつな的になっていたから。

 所長以外の人間に説教されたのは新鮮だった、と綾の髪をもてあそびながら彼は笑う。
「バカ呼ばわりされたのも」
「そんなこと言ったかな」
 わりと本気で覚えていない。失う恐怖に駆られて錯乱していたんだろう。
「ヤバイ奴ですね。私」
 生きててくれてよかった……マジで。
 ひとりごとみたいに沢口がつぶやいて、綾の心臓にトドメを刺した。

(つづく)


#恋愛小説が好き #私の作品紹介 #賑やかし帯


いいなと思ったら応援しよう!

藤家 秋 最後までお読みくださり、ありがとうございました。 いただいたチップはインプットのための書籍購入費にあてます。 また来ていただけるよう、更新がんばります。