スッキリしない決断 関係性の決断
「決断」という言葉には、その漢字を見ても音の響きを聞いても、強く厳しい印象がある。
複数の選択肢が手元にあって、それらからたった一つを選ぶイメージ。
選んだら、それ以外の選択肢を取ることはできない。すなわち不可逆である。
書きながら「クイズミリオネア」の、みのもんたが小切手を破り捨てるシーンを思い出した。今の20代前半の人にはもう通じないだろう。
仕事・ビジネスの世界も決断で回っている。
一人で決断するケースは限られるとしても、組織として議論し、何かを決定する。決めたことは記録がとられ、誰かが後からちゃぶ台をひっくり返すことがないようにする。
当たり前のことだ。
そして大切なことだと思う。
人間は一人でできることが限られる。
それは人々が集って、一つの目標を成し遂げるための工夫であり、発明であった。
言い換えると、それは物事を「分かりやすく」することだ。
可視化と言っても良いかもしれないが、ここではあえて「可視化」という営みそのものを「分かりやすく」することであると言い切ってみたい。
つまり、決断とは「分かりやすく」すること、その手法の一つである。
・・・と思われている。
実は「分かりにくく」て、スッキリしない決断というのもあるのではないか。そのことに、自分はパートナーとの将来を考えていて思い至った。
それなりの歳になって、パートナーと今後も変わらず上手くやっていけるのか、不安な時期があった。
特にお金の面で、自分の負担が大きくなってしまうかもしれない懸念があった。
もしそうなっても、自分の気持ちは変わらずにいられるのか。
正直に言うと、自分のお金は自分で使いたい。欲しいものも、やりたいこともたくさんあることを否定できなかった。
結構悩んだが、最終的に自分は判断を保留することにした。
あえて誇張して言えば、そのまま流されることを選んだのである。
自分にとって、これは一種の「決断」だった。
なぜ流されることを選んだのか。
目先の損得より、パートナーとこれから過ごす中で起こる、気持ちの前向きな変化に賭けてみようと思ったからだ。
仕事・ビジネスの感覚からすると、この判断はあり得ないだろう。
しかしこと人間関係、特に家族に近い関係においては、この感覚が非常に重要ではないかと自分は思う。
これを「関係性の決断」と言ってみたい。
申し添えておくと、このワードはゼミの先生が言っていた「社会学は、関係性の学問である」という一文から来ている。
関係性の決断は、少し一般的な決断のイメージと異なる。
相手の話を聞き、悩み、そのまま時が過ぎる。その営み自体が決断と捉えるのである。
少し前に、ビジネスの感覚を親密な関係に持ち込むような、そんな話を聞いた。気持ちはある程度分かるけれど、賛同はできない。
ビジネスの決断と、関係性の決断は別ものだと思う。
この記事は私が参加しているポッドキャスト「空き地、トリップ、毎日小雨」で話したことをもとに書きました。
「ビジネスの感覚を親密な関係に持ち込むような、そんな話」がそのまま出てきます。それに対して自分が思ったことを話してます。
併せて聴いてもらえると嬉しいです。
https://listen.style/p/corin/oqjtghxx
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