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吉田拓郎と10cmヒールのロンドンブーツとスリー・ディグリーズ「天使のささやき」のSOULな関係

この連載を、リアル・ノベル・エッセイとでも名付けましょうか。小説でもない、音楽論でもない、エッセイでもない。音楽業界歴50年の筆者が創作した全く新しいスタイルの読み物です。筆者は、70年代に洋楽ディレクターとしてクイーンを担当し、そのキャリアをスタートさせ、その後邦楽プロデューサーに転向。同世代の音楽ファンのみならず、新世代の音楽ファンにも楽しんでいただければ幸いです。Text 8は、吉田拓郎とロンドンブーツとスリー・ディグリーズの名曲「天使のささやき」をめぐるユニークな内容です。


    クイーンSOULブギウギ

     ― ある音楽プロデューサーの私記ー


Text8

吉田拓郎と10cmヒールのロンドン・ブーツとスリー・ディグリーズ「天使のささやき」のSOULな関係


1996年某月某日
人生で女にふられたことは何度もある。だが今度の痛手は長引きそうだ。
それは、まだ肌寒いけれど春がもうすぐそこまで来ている気配を感じる3月終わりの夜。場所は世田谷淡島通り沿いの地中海料理の名店「ドマーニ」。
ふたりは5分近くひと言も喋らずに向かいあっていた。私は残り1/3ほどになったスペイン産の赤ワイン、マルケス・デ・リスカルのボトルを掴んで彼女のグラスに注ごうとした。彼女は手のひらでグラスに蓋をすると、目を伏せたままようやく口を開いた。

「もう無理ね、私たち」

「……」

「……ねえ聞いてる?」

「聞いてるよ」

「もう潮時なのよ」

「あ、ああ。そうかな。そうかもしれない……」

「終わりにしましょう」

「……」

「今までたくさんありがとう」

今夜会う約束をした時に、私はふとこうなりそうな予感めいたものは感じていた。さっきから少しはかっこをつけてこの冴えない幕切れにふさわしい台詞を考えていたところだった。
女はきれいなココピーチ色に塗られたネイルの指先何本かで私の左手の甲に軽く触れると、自然な動きで立ち上がり、「じゃね」とまた明日も会うかのように言うと、長い栗色の髪をかきあげ、あっという間に店を出て行ってしまった。店のドアが開いて閉まるまでの何秒か、風が春の匂いを運んできたようだった。
私は勘定を済ませると、タクシーを拾い下北沢へ向かった。馴染みのロック・バーのカウンターで昔擦り切れるほど聴いたクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(以下CSN&Y)のアルバム「Déjà Vu」のA面とスコッチのソーダ割りで少しの元気をもらってから、店を出た。夜風に吹かれながら、自宅へと続く桜が七分咲きの遊歩道をゆっくりと歩き出した。

見上げた夜空は澄み渡っていて、濃いインディゴ・ブルーの中に白く雲の形がはっきりとわかる。明日はきっと快晴だろう。私の心はどしゃ降りだが。

マンションの階段を4階まで上がった。部屋の電気をつけてジャケットを脱ぎベッドに身体を投げ出す。深夜放送でも聞こうかと、ベッド脇のオーディオ・セットのスイッチを入れた。チューナーはいつも横浜のFMに合わせてある。短いジングルに続いて、真夜中に似合いの落ち着いた声の女性DJが曲名を告げた。「それではお聴きください。吉田拓郎と四角佳子で『春の風が吹いていたら』」

なんというタイミングで何故こんな懐かしい、しかも優しい曲がかかるのだろうか。神様が私を気の毒に思ってくれたのか。今夜の私を癒してくれるのか。「春の風が吹いていたら」は男女ふたりの幸せな時間を歌った唄だ。基本的には根っからの洋楽ファンでアンチ邦楽の私ではあるが、例外的に初期の吉田拓郎には共感を覚えるところがあった。そう言えば学生時代にこの唄を初めて聞いたのも深夜放送の「パックイン・ミュージック」だった。これ一曲を聴きたいがためにこの曲が入ったアルバム「伽草子」を渋谷のコタニで買った記憶がある。拓郎が最初の結婚相手、六文銭の四角佳子とデュエットした曲だが、なんとこれは拓郎の作詞作曲ではないのが意外だった。まっすぐな四角佳子の歌声とちょっと照れたような拓郎の声がユニゾンになる四コーラス目が特にいい。そうだった。私は今夜、女にふられてしまったのだ。女とは初めて寝てから今日で2年くらいになる。「春の風が吹いていたら」を聴きながら、女との思い出を早送りで思い出していた。思い返せばそれなりにいいことだってあったのだ。

それにしても情けない夜だった。この痛みは、ちょっとは私も本気だったことの証だろうか。そうだ、吉田拓郎は四角佳子と結婚して離婚して、たしか浅田美代子と再婚したのだ。拓郎の人生にもそれなりにドラマはあったということだ。そしてこの曲はこんな素敵な歌詞で終わる。まさに今の私の心を見透かしたような言葉ではある。

「どこかで泣いている人の 心にきっととどくよう」

私はこの最後の歌詞を聴き終えて、なぜか離婚した妻との間に生まれた娘の幼かった頃を思い出した。一度だけ妻の代わりに幼稚園に娘を迎えに行ったことがある。幼稚園の門から出てくる大勢の子供たちに混じって娘の顔は不安げだった。手を振る私を見つけて目があった時の娘の笑顔。あの時の愛おしさと嬉しさと安堵が一緒になった不思議な気持ちを忘れてはいけない。人生は続く。いい歳をして若い女にふられてへこんでいる場合ではないのだ。人生は片道切符だ。巻き戻すことはできない。CSN&Yのスティーヴン・スティルスが歌うように「Carry On(続けろ)」しかないのだ。

もう一曲、吉田拓郎といえばあの歌を思い出す。「ペニーレインでバーボンを」だ。70年代、原宿がまだ文化の香りがして最高だった時代の歌だ。「ペニーレイン」というのは原宿のキディランドの手前の路地を入ったところにあった店のことである。吉田拓郎をはじめフォーク系ミュージシャンの溜まり場だった。当時、原宿にはそんなカルチャーの底辺を支えるような店がたくさんあった。
明治神宮前交差点近くの喫茶店「レオン」や原宿セントラル・アパートはデザイナーやカメラマンやミュージシャンや服飾関係者のホームグラウンドでみんな時代の最先端の空気の中で情報を共有して化学反応を起こさせ、自らのキャリアの発展に落とし込んでいた。
当時大学生だった私には、「レオン」は敷居が高くて、女と会うのはたいてい表参道に面したピアザビルの2階、ガラス張りの「カフェ・ピアザ」だった。

「カフェ・ピアザ」では、日本のフォークのミュージシャンをよく見かけたことがある。3人組のGAROや、かぐや姫の山田パンダとかアリスの谷村新司たちだ。彼らはたいていブルー・ジーンズにロンドン・ブーツという出で立ちだった。ロンドン・ブーツ、皆さんはわかるだろうか。くるぶし丈のショートブーツなのだが、ヒールが10cm、つま先のソールも厚さが3cmはある。これを履くと背が高くなる訳だからちょっと世界観が変わる。しかもかなりロックな気分にも浸れるのだ。私も青山の「カルツェリア・ホソノ」や四谷の「エスエー」という店で買ったロンドン・ブーツを毎日交互に履いていた。そもそもロンドン・ブーツというくらいだから、グラム・ロック華やかなりし頃にイギリスのロック・ミュージシャンたちがこぞって履いて人気がでた代物である。拓郎や日本のフォークのアーティストが崇拝していたボブ・ディランに始まるアメリカのフォークの流れはウッドストックを経て70年代前半にはジェイムス・テイラーやニールヤング、キャロルキングに代表されるシンガーソングライターの時代に突入していた。
だが、アメリカ勢はロンドン・ブーツなんか履かない。ベルボトムのジーンズは共通していても、足元はスニーカーやワークブーツ、カウボーイブーツだ。
ところが、興味深かったのは、和製フォークのミュージシャンたちである。ロック・アーティストがロンドン・ブーツを履くのはわかる。だが、フォーク系アーティストがロンドン・ブーツというのが解せなかった。つまり、音楽の指向はアメリカの影響を受けているのに、なぜか足元はロンドン・ブーツという組み合わせなのである。(GAROなんてCSN&Yのコピーから生まれたようなグループだったのに)
これすなわち、カツカレーやスパゲッティ・ナポリタンや焼きそばパンに代表されるように、海外のカルチャーを独自にミックスするのが得意な日本民族独自の感性というかセンスなのであろうか。当時はパッチワークという違うデニムの生地をつぎはぎにしたベルボトム・ジーンズが流行の先端だった。フォーク系はこのジーンズにロンドンブーツを合わせることが多かったように思う。このつぎはぎジーンズを穿き、ブーツの爪先まですっぽりとベルボトムで隠すのがお洒落だったのである。

ロンドンブーツ

私がロンドン・ブーツを履いて、ペニーレインやカフェピアザあたりをうろうろしていたあの頃、こんなことがあった。
1974年の夏。密かに想いを寄せていた大学の同級生の女と原宿でたった一度きりのデートをしたことがある。サラサラのステレートヘアが、高校時代に放映されていたアメリカのドラマ『人気家族パートリッジ』の長女役スーザン・デイを思わせる女だった。
その日、家を出る前から部屋でずっと聴いていたのがスリー・ディグリーズ「天使のささやき」だった。スリー・ディグリーズは黒人女性3人のコーラスグループで、70年代前半に一世を風靡したフィラデルフィア・サウンドのアイコンともいうべき存在。「天使のささやき」は彼女たち最大のヒット曲だ。イントロのエレクトリック・ピアノに続くベースとドラムス、 ストリングス、そして「Hoo…Hah♫」のコーラスは何十年聴き続けても新鮮な味わいで秀逸である。
とにかく自分のとって1974年の夏のアンセムといえば「天使のささやき」に尽きる。今でもこの曲を聴くと、夏の日差しにきらめいていた表参道の木漏れ日と彼女の甘えたような癖のある話し方が甦ってくる。カフェピアザの窓側のテーブルに座り、二人で表参道を行き交う人を見下ろし他愛もない話で時間をつぶしたあの日。私は未だに自分の服のコーディネートまで覚えている。原宿のGRASSで買ったアロハ・シャツとDO FAMILYのバギーパンツにロンドンブーツの組み合わせだった。
私たちは店を出て表参道を青山通りに向かった。彼女は手を後ろに組んで私の数歩先を歩いている。同潤会アパートの前あたりで踊るようなステップで振り返り、私の名前を呼んだ。そんなちっぽけな夏の、彼女との想い出。その日は夜遅くまで彼女と過ごすことができた。頭の中では「天使のささやき」がずっと流れていた。そして「天使のささやき」は私のほろ苦い思い出を飾ってくれた。その原題「When Will I See You Again(今度君に会えるのはいつ?)」があまりにも皮肉だ。この後、2度と彼女とふたりきりで会うことはなかったのだから……。
何を隠そう、彼女は私の親友の長年の恋人だったのだ。だから私が人生でどうしても叶えられなかった夢のひとつである。


                了



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