【オレ流】『ポートレイト・イン・ジャズ』村上春樹~ビル・エヴァンス編~
村上春樹先生の名エッセイ集『ポートレイト・イン・ジャズ』にインスパイアされて、「オレ流」のジャズ・エッセイにチャレンジするシリーズです。
さて恐らく、私の人生で一番多く聴いたJAZZのアルバムはビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』ではないでしょうか。

このアルバムは、疲れたとき、邪気に触れたとき、変な飲み会のあと等々、己を浄化したい時に流します、そう、聴くと言うよりは自分の居る空間に清めの塩を撒くように流すのです。
例えば、お部屋を引っ越した時には、まずこのアルバムを流して、お清めの儀式を行います。
そして間違いなく、人生で一番繰り返し読んでる本、村上春樹先生の『ノルウェーの森』で、直子の誕生日祝いの日に、直子嬢があっち側に行ってしまった夜に流れていたのがエヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』であったのです。
あまりにも普通の流れで気にもしなかったのですが、何十回目に読んだときに、
「え?このシーンに流れる音楽ってエヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』以外にあり得ないよな?」
と、気がついたのです。
もしも、このシーンのST(サウンドトラック)がオスカー・ピーターソン・トリオの『ウィー・ゲット・リクエスツ』だったら、ただのエロいだけのライトノベルになっていたでしょう、多分笑。
そう、私は(というか読者全員)ずっと、あの切なすぎるセクースのシーンに、自分の脳内で『ワルツ・フォー・デビー』を自動的に流していたのです。
そしてそれは、何十回読んでも全く違和感が無いくらい、びっくりするほど当たり前にあのシーンに溶け込んでいたのでした。
例えば、あれが同じビル・エヴァンス・トリオの同じ日の録音である『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジヴァンガード』でもダメなのです。
あのシーンが実話かどうかなんて一読者は知る由も無いのですが、少なくとも私は『ワルツ・フォー・デビー』の霊力の強さが、あの日あの時あの空間の「向こう側への扉」を開いてしまったと全く勝手に解釈しています。
そんな春樹先生の『ノルウェーの森』の舞台は1969年、昭和の最盛期である昭和44年の新宿エリアを舞台の中心として描かれました。
そして1987年、正に「昭和」が終わろうとする時期に発表されたのでした。
1987年、すなわち昭和62年、私は三多摩地区のアートスクールに通い、大学のダチたちとはいつも新宿で遊んでいました。
昭和の暗さ、いかがわしさ、怪しさが色濃く残る新宿の街が、日に日にバブル経済の狂った開発によって破壊されていた時期ですね。
我々いつもの三人組(別稿「三多摩サマーオブラブ」参照)は大学の講義が終わるや新宿に集合し、バブルに浮かれた普通大学生(美大では一般大学を「普通大」と呼んでいた)やバブルサラリーマンがバブル・ディスコで性欲全開でダサ踊りするのを尻目に、新宿二丁目の地下のレゲエ・クラブに通っていました。
そこはコンクリート打ち放しの空間にミラーボールだけが吊るされ、ほぼ真っ暗な照明に濃密な紫煙が漂う中で爆音でレゲエがスピンされていました。
「69」という伝説のクラブです。
そこは、バブルの狂騒のから避難する地下シェルターのように、新宿二丁目の怪しい空気の中に潜んでいました。
我々は「69(ろっきゅー)」でひとしきりレゲエで踊ると、深夜の新宿二丁目をパトロールしながら、とある場所へと向かうのが定番でした。
「バードランド」
新宿二丁目の雑居ビルの階段を地下に降りて、黒く重い扉を開けると、そこは「1970年代の新宿」の空気が真空パックされて残っていました。
伝説のJAZZバーです。
「つやさん」という坊主頭の恐らく40代くらいの、少年の様に痩せた体躯のママさんが取り仕切っていました。
店内は真っ黒に塗装され、何十台もの古びた壁掛け時計が所狭しと店内にかけられていました。
店の奥にはずっと俯いたままの男が居たり、、、
そこいら中の全ての物たちに昭和の闇が染み込んでおり、地上のバブルの狂騒から隔たれた深夜の異界でした。
そして明らかに、この空間には1970年代という時代が沈澱していました。
最初にこの店を訪れた時、あまりの異様な空間と雰囲気にビビッて、我々は借りて来た猫の様にヒソヒソと「す、すげえな、、、」と話していると、
つやさんが、
「あなたたち、リクエストあったらどうぞ」
と優しく話しかけてくれました。
我々は小声で額を寄せ合って緊急会議を開き、
「おい!どうするよ!?ここで下手うったら死ぬぞ、俺たち!」
「う〜、、、エヴァンス、エヴァンスで行こう!」
「す、すみません!ワルツ・フォー・デビー、お、お願いします!」
つやさんはそれを聞くと、無言でレコード盤をターンテーブルに乗せてくれました。
エヴァンスの静謐なピアノに纏わりつくようにポール・モディアンのシンバルか露払いをし、ブラシのざわめきが密やかに始まる、、、そこへスコット・ラファエロが冬の寒い夜の来客がドアをノックするようにベース弦をゆっくりと鳴らす、、、
そんな清らかな『マイ・フーリッシュ・ハート』がバードランドの空間に流れると、我々は一斉に安堵したのでした。
刹那、
我々の真後ろに座っていた仕事あがりのベテランのオカマさんが、
「あら〜、エヴァンスね! アタシね〜、エヴァンスには色々あるのよ〜」
と誰に話かけるともなく、虚空に語り始めました。
我々は、
(いや、その「色々」、聞きたくね〜!)
とお互いにアイコンタクトしながら腹を抱えて笑いを堪えました。
そして、その夜はすっかり「我々にとってのエヴァンスの思い出」として刻み込まれたのでした。
そう、
誰しもがエヴァンスには色々あるのです
そんな「バードランド」は、
正に昭和が終わった1989年の初夏に新宿からその姿を消したのでした。
完。
