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【人生最期の食事を求めて】福岡名物とり皮の最前線と出逢う一夜。


2024年11月3日(日・祝)
博多とりかわ焼 隅(福岡県福岡市中央区)

再び天神を抜け、大名をも過ぎた。
狭隘な小路を覆うようにマンションが林立し、その隙間に点在する個性的で洒脱な小店たちは、さながら他国の異邦情緒を彷彿とさせる佇まいであった。

だが天神や大名とは異なり、この街路には人影が疎らで、むしろ静寂に満ちた気配が漂っている。
仮に福岡に住むとすればこの地こそが相応しいかもしれぬ、と一抹の酔いを抱えながら歩を進めた。

ときおり行き交う若い男女が韓国語で何やら囁きあっているのを耳にした。
観光か、それともこの地に根づく者たちかは分別つかぬが、その響きが夜風に溶け込む様がどこかしら異郷の風情を醸し出していた。
ふと視線を向けると穏やかな灯りが歩道に滲み出て、行き交う人々の影を織り成している。
真新しいこの店は鳥皮焼きの店であるらしいが、そのファサードはあからさまに洋風の飲食店然とした趣きである。

私は、かつて訪れたとり皮の名店を思い出し、福岡の名物であるその滋味を脳裏に蘇らせた。脂が滴るまでじっくり焼き上げられ、甘辛いタレが沁み入るその味わいは、店によって微妙に異なる。
福岡県民ならばその違いを知り尽くしていることだろうが、私のような通い人にはそうした差異がむしろ一層の魅惑を伴って迫るのであった。

博多とりかわ焼 隅

21時が近づく頃、会計を済ませた客が次々と店を出る一方、待ち侘びていた客たちが吸い込まれるように店内へ消えてゆく。
私もその吸引力に引き寄せられ、ふと気がつけばカウンター席の中央に導かれた。
清潔で開放感のある店内を見渡すと、20代の若者がほとんどであり、スタッフもまた同年代の者たちばかりであった。
厨房の露わな様子もまた最近のデザインの傾向なのか、客にすべてを見せる構えを感じさせる。

とり皮

歩き疲れた体が欲するままに生ビールを頼み、とり皮、さらには生椎茸を注文した。
ビールを傾けながら、店長らしき男性が串を焼き上げる手際を観察する。
無駄のない動作で串を回し、絶妙な火加減を見極めながらリズミカルに調味料を振りかけるその様は、どことなく秘技の公開かのように見えた。
程なくしてとり皮が供され、ひと口含むとその弾力が歯に心地よく、旨味が徐々に口内に広がった。

さらに、焼山芋、笹身わさび、砂ずりを追加する。
既に3軒目ではあったが、満腹というよりもただこの街の食文化の奥行きを知り尽くすために、次から次へと注文を重ねているようであった。

私がこの街に通い続けるようになり、この街が有する独自の食文化の深淵を欲する以上、私は何かに切迫されるというよりも追求するかのように、注文し、そして食しているのかもしれない。
だが、それでいいのだ。
“いつか”という言葉は、単なる先延ばしに過ぎない。
即行動を重んじ、“いつか”を封じる、これが私の流儀だと自らに言い聞かせていた。

笹身わさび
生椎茸

だが、ついに疲労の波が訪れ、睡魔が容赦なく襲ってきた。
仕方なく会計を伝えると、店長らしき男性スタッフが串焼きの手を止めて、
「本日はありがとうございました」
と丁寧な口調でお礼を述べた。
「だいぶお忙しそうですね」
クレジットカードを財布にしまいながら、私は応じた。
「今日は休日のせいか外国人のお客様が多かったんですよ」
地理的に休日に外国人客が増えるのも、この街の特性なのだろう。

それにしても、また必ずこの店のとり皮を食したいという想いを膨らませながら、“いつか”を封じ、即行動という主義に応じて訪れることができるのは、いつになるのだろう?……

焼山芋
砂ずり


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