おどけて暮らしていくための時間稼ぎ
おはようございます! 「時は金なり、とも稼ぎ」根太幸吉です。
先日、ヨシタケシンスケさんの個展「ヨシタケシンスケ展かもしれない」を訪れた際、展示された膨大なスケッチの中に「余生をおどけて暮らすことにした」という言葉を見つけました。正確な表現は少し違っていたかもしれませんが、意味としてはそんな言葉でした。その一言が、妙に心に残りました。おどける、というのは軽く笑いを取る以上に、人生に対するひとつの構え方なのだと思ったのです。深刻さに押しつぶされず、無理に元気を装うでもなく、ふっと肩の力を抜きながら――それでも生き抜くために、人はおどけるのかもしれません。
一方で、思い出したのが太宰治の『人間失格』の主人公・葉蔵です。彼は「おどける」ことを武器にしていました。彼は恐怖や孤独をおどけによって隠そうとし、周囲に溶け込もうとしました。しかし、そのおどけはやがて仮面となり、彼自身をすり減らし、破滅へと導きました。おどけを人生の時間稼ぎにするならば、葉蔵のようにならないための工夫が必要です。
おどけとは、自分を偽ることではなく、むしろ自分を守り、心に猶予をもたらすための柔らかな術であってほしい。今回は、そのための心構えを、以下に整理してみたいと思います。
1. 自分を笑いの対象にする覚悟を持つ
おどけるとは、自分自身を笑いの場に差し出すことでもあります。恥ずかしさや小さなプライドを手放し、「不完全な存在である自分」を受け入れる覚悟が必要です。自分を笑えるようになれば、他人からの評価に振り回されることも減り、心に小さな時間稼ぎの余裕が生まれます。
2. 空気を読みすぎず、でも無視もしない
場の空気を完全に無視すれば孤立しますが、読みすぎれば身動きが取れなくなります。空気を「8割くらい」読む感覚で、二割は無邪気さに委ねる。このバランスを意識することで、場に縛られすぎることなく、自然な間を稼ぐことができます。
3. 失敗を笑いに変える柔らかさ
おどければ、ときにはすべることもあります。けれど、すべった自分すら笑いに変える柔らかさがあれば、場も自分も救われます。失敗を恐れず、笑いに昇華する力を持つことで、自己否定に陥る時間を最小限に抑えられます。
4. 他人を笑いものにしない
自分をネタにするのはよいですが、他人をネタにするのは違います。他人を傷つけず、侮らずに場を温めること。それができれば、無用な摩擦による消耗を避け、穏やかな時間を稼ぐことができます。
5. 深刻になりすぎないという人生哲学
大きな困難の中でも、どこかに「軽み」を持ち続ける。それはふざけることとは違い、絶望に押し流されないための小さな時間稼ぎです。真剣さと軽やかさを両立させることが、長く歩き続けるためには欠かせません。
6. 「本来の自分」もまた演出性を含むと認める
おどけた自分に違和感を覚えることもあるかもしれませんが、そもそも「本来の自分」もまた演出の産物です。どちらも自分の一部だと認めることで、自己矛盾に足を取られる時間を減らし、心の自由を広げることができます。
7. 演出と裏切りを区別し、自己修正の自由を確保する
おどけることは「演出」であり、「裏切り」ではありません。もし違和感が芽生えたなら、いつでも軌道修正できる自由を持っていればよい。自分を閉じ込めない柔軟さこそ、長い人生をしなやかに生きるための時間稼ぎとなります。
おどけることは、人生の苦味を和らげるための小さな時間稼ぎです。それは、深刻さに押しつぶされず、無理に元気を装うでもなく、ふっと肩の力を抜きながら生きるための術。葉蔵のように仮面を重ねすぎて自分を見失わないよう、時には立ち止まり、仮面の内側の自分と対話することも大切です。おどけながらも、自分自身を見失わずに生きていく。それが、人生をしなやかに歩むための時間稼ぎとなるのではないでしょうか。
というとこで、幸吉でした。
今日もご安全に、時間とお金をともに稼いでいきましょう!
