レスポンシビリティ(責任)はレスポンス アビリティ
最近、**responsibility(責任)**という言葉の語源を知った。
それは response + ability。つまり、「応答する能力」のことで、言い換えるなら「できることをやる」という話だ。
最近、責任について考える。仕事での責任。家庭での責任。親としての責任。スポーツの試合に出るときの責任。
責任を果たせる人は、やはりかっこいいし尊敬する。
みなさんは、ちゃんと責任を果たせている人だろうか?
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私はこれまで、責任を果たすとは、結果にコミットすること、他者の期待に応えること、やり遂げること。そういうものだと思っていた。
しかし語源をたどると、責任を果たすとは成功を約束することではないのだと思った。
目の前で起きている出来事や、誰かの困っていることに対して、今の自分にできることを一生懸命に差し出すこと。その姿勢そのものが、responsibilityなのだと理解した。
振り返ると、私はいつも正解を探したり、「もっといい方法があるんじゃないか」と考えたりして、今この瞬間に自分ができる行動を取れていなかったと思う。
セクシュアルマイノリティの人からカミングアウトを受けた時、今この時間を少しでも息をしやすくするためにできたこと。当時付き合っていた人との関係性を一つでも良くするためにできたこと。目の前でつまづいて鼻血を出した酔っぱらいおじさんのためにできたこと。駅員さんを呼ぶとか、きっとあった。けど、その場で立って「どうしようかな」と様子を見ている間に、別の女性が駅員さんを呼んできてくれた。
>>>その場で応答できていなかったなぁ。
でも、なぜだろうか。
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そう自分に問いかけたときに、一つ見えてきた答えがある。
それは、恥ずかしいから。シンプルに。
恥をかくことは、避けたい。
間違えること。失敗すること。みんなにダサいと笑われること。そんなの嫌に決まってる。
でも、責任(responsibility)が「今この瞬間に自分ができる行動を取ること」を意味するならば、その瞬間の精一杯を差し出すことでしか責任は果たせないのだと理解した。
それが正解なのかどうかは、その後でしかわからない。それが恥をかく瞬間になるかもしれないし、武勇伝になるかもしれない。
もちろん、間違えることもあれば、相手を不快にさせてしまうこともあるだろう。
でも、その恥が「役に立つ」ということをきちんと理解することが、今の私には必要なのかもしれない。むしろ、そのナラティブこそ、人生の醍醐味かもしれない。
以上が、responsibilityという言葉から受け取った大きな学びだった。
恥すら笑い話にできるような人生が、人らしい生き方かもしれないですね。
この文章は、清田隆之さんの『戻れないけど、生きるのだ 男らしさの行方』の一節からインスピレーションを受けて書きました。
皆さんも、ぜひ機会があれば手に取ってみてください。
しばらくは、蓋をしていた恥ずかしい話に目を向けてみようかな。
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最後まで読んでくれてありがとうございました。
