「6を見て9と言う部下を笑うな」──現場に潜む、教育の負の連鎖
仕事を教えるとは、作業手順を伝えることではない。
相手の“見えている世界”を理解しようとすることだ。
それができない指導は、
ただ「恐怖」と「萎縮」を残す。
昨日、班長の教え方を見ていて、そう痛感した。
⸻
🧱 教えるという名のマウント
ある班長が、新しい仕事を教えている場面を見たことがある。
だが、その教え方には違和感があった。
班長は、相手がどこまで理解しているかを確かめず、
ただ一方的に「教えているつもり」になっていた。
できない部下に対して、少し小馬鹿にしたような口調で、
まるで自分の優位性を示すように指導していた。
その様子を見ながら、私は思った。
これでは、部下は「仕事を覚える楽しさ」ではなく、
「間違える恐怖」だけを覚えてしまう。
⸻
🪞 教え方には“過去”が映る
きっと班長も、かつて同じように扱われてきたのだろう。
怒られながら覚え、叱られて育ってきた。
だから「教えるとは厳しくすること」と思い込んでいるのかもしれない。
あるいは──
最近、急に同僚が辞めてしまい、
自分がすべてを覚えて引き継がなければならないという
重圧と責任感の中で、
自分の仕事に対する誇りが、少し強くなりすぎてしまったのかもしれない。
その誇りがいつの間にか“正しさ”へと変わり、
相手を追い詰めてしまう形になっている。
彼もまた、プレッシャーと戦っている一人の人間なのだと思う。
怒鳴られ、笑われ、我慢して仕事を覚えた。
だから「教える」とはそういうものだと信じている。
でもそれは、教育ではなく模倣だ。
“負の教育”の連鎖が続いているだけだ。
自分が受けた痛みを無意識に再現してしまう──
それは人の心が作るトラウマの継承であり、
職場の空気に染みついた「教育文化の病」でもある。
⸻
🌱 本当に教える人は、相手の世界を見られる人
本当に仕事ができる人とは、
「なぜこの人はここでつまづいているのか」を感じ取れる人だ。
・相手がどこで止まっているのか
・何を怖がっているのか
・どうすればやる気を引き出せるか
それを言葉と態度で支える力こそが、
人を育てる力だと思う。
「6」を見て「9」と言っている人を笑うのではなく、
「どうしてそう見えるのか」を理解しようとする。
それが、真の指導であり、信頼を育む土台になる。
⸻
⚖️ 教えることは、支配ではなく共創
教育とは、上下ではなく横の関係で行うものだ。
教える人と教わる人が、
互いの視点を交換しながら「同じ景色」を作っていく。
班長がその感覚を取り戻せたら、
きっと現場の空気も変わるだろう。
⸻
🌙 終わりに
私は班長という人間自体には、共感している。
彼の生き方や誠実さは尊敬している。
けれど、教え方だけは違う。
“できない人を笑う文化”の中では、人は育たない。
だから、もし私に少しでも余力があるのなら、
この教え方のバトンを、別の形で受け継ぎたい。
ただ──正直、そこまでの体力と気力が
今の自分にどれほど残っているのかは、わからない。
それでも、できるだけのことはやるつもりだ。
自分ひとりの力では、大きな仕組みを変えることはできないかもしれない。
けれど、もし誰か一人でも、
「教えることの意味」を考えてくれるなら、
その瞬間から、連鎖は止まるのかもしれない。
⸻
#仕事哲学 #現場教育 #教えるとは #人材育成 #心のOSアップデート #脱資本日記
