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イマジナリーアックス:第四話

イラスト:カガヤケイ

汐理「開けてほしいんです。これがお願いです」
 瓶開けるだけ。これがお願い?
奏太「あ、はい。お安いご用です」
 須波さんはまた少しだけ笑った。
 改めて、瓶を見て驚いた。
奏太「これ、“ミルヒの特濃ミルクジャム”じゃないですか。よく手に入りましたね」
 このミルクジャムは単なるイマジナコラボ商品にとどまらず、本当に美味しいと評判になっている。ゲームを知らない層にも人気が出て品薄の状況が続いているのだ。
汐理「固くてあたしには開けられなくなってしまったので。男の人の力なら……」
 そういうことか。
 フタをひねりあげるもビクともしない。確かに固い。
 ほんのささいなことかもしれないが、須波さんの願いには違いない。それを叶えてみたい。けれど、これホント固いな。開けられるのかな。
 俺はスタンスを肩幅以上にとり、腰を落として前傾になる。腹の前に瓶を持ってきて、今までに出したことのない力を込める。自分でも顔が紅潮しているのがわかる。その時!

――パンッ――

 開いた、と思ったその時、手を滑らせる。開封した瓶が浮き上がる。放物線を描いて前方にいた須波さんの方に飛ぶ。その胸元でバウンドする。ドロっとした真っ白いジャムがそのふくよかな胸をべっとりと覆う。須波さんは驚いて足を滑らせ後方に倒れつつある。俺も零れたジャムで滑り前方へつんのめる。両手を前に広げ、須波さんを押しつぶさないようにしつつ、後頭部をフローリングから守るために抱きかかる。そのままばたんと倒れ込んだ。須波さんは尻餅こそついたものの、後頭部は俺の手で守り切った。
 かたちの上では、須波さんに覆い被さり抱きしめていた。
 瓶はというと、奇跡的に割れることもなくフローリングに正しく着地し、中身半分を残している。
汐理「ありがとう」
 そのありがとうは、心からの感謝だと思えたが、一方ではこの体勢はもうやめてよいよ、という意味だったのかもしれない。そう俺は暗く考えたりもした。
 二人は床に座った。須波さんの胸にかかったミルクジャムの量が尋常ではなく、床にたれそうになっている。須波さんは座ったまま上体を後ろに傾け、胸を反らす。両手を後ろ手にして支えている。身動きがとれないのだろう。
 俺の黒いTシャツにもミルクジャムがついているが後回しにする。
汐理「クローゼットの中に、ティッシュボックスがあります。拭き取ってもらえませんか」
奏太「えっ、あっ、はい。ごめんなさい」
 須波さんの視線の先、部屋の隅のクローゼットに向かい、開いてみる。俺は目を疑った。ティッシュの隣には、トラフマーの兜があるではないか! 間違いない! この特徴はまさしくトラフマーのそれだ。えっ! ていうことは須波さんってオリィンなのか?!
汐理「ありましたか?」
奏太「あっ、ありました。今行きます」
 俺は言われた通り、ティッシュでミルクジャムを拭き取る、須波さんの胸に触れないように。いや結果的には触れていたのかもしれないのだが…… 何だかものすごく悪いことを、卑猥なことをしているような気分になる。俺は一体何しに来たんだろうか。とりあえず拭えるものは拭い終えた。
汐理「ベトベトです。シャワーを浴びてきます」
 そう言って風呂場へ行く須波さん。



 独りこのミニマルな、いや最小限の機能を備え、綺麗に片付けられた部屋で待つ。
 ……色々なことが巻き起こり、頭が混乱していた。
――しかしとんでもないヘマをしちゃったな。よりによってなんでぶっかけちゃうかな、俺は。
――プロゲーマーのオリィンと戦ってたのかよ。そりゃあ強いわけだ。あの実力はまさにオリィンだもんな。しかしこのことは黙っておくことにしよう。
――今ならこのギターケースを開けることも可能だ。しかしそれはやめておくことにした。
――時刻が0時に迫るな。今すぐここを出れば地元、巣羽(スバネ)駅までの終電に間に合いそうだが、そういうわけにもいかない。池猫まで歩いて、適当に漫画喫茶で過ごせばいいか。

 須波さんが脱衣室から出てきた。
奏太「時間も時間なので帰ろうかと思います」
汐理「あれ、言ってませんでしたっけ? 今日は徹夜でゲームですよ」
奏太「えっ! 聞いてない、と思うんですが……」
 本当に聞いてないな。須波さんが伝えた気になっていただけじゃないかな。そもそも須波さんの家にお邪魔するとも聞いていませんでしたし、と言えればよいのだが……
汐理「逃げるんですか? 強くなりたいんですよね?」
奏太「あ、はい強くなりたいです。……それと、本当にごめんなさい」
汐理「いいですって。故意にそうしたわけじゃないでしょうし。それより開けてくれてありがとう。ミルクジャム、まだ半分残ってますから。一緒に食べませんか」
 月並みなフレーズを思い出す。“水がコップに半分しか残っていない”と悲観するか、“まだ半分も残っている”と楽観視するか。須波さんは後者のように捉えている。少なくとも今は。人への接し方はそっけないというか、時に冷たくもあるが、根はオプティミストなのかもしれない。
 買ってきたフランスパンを切り分け、生ハムも用意してくれた。
汐理「いただきます」
 ミルクジャムを塗って頬張る須波さん。表情こそ乏しいが幸せそうだ。こっちも幸せな気分になる。
奏太「いただきます」
 俺も食べてみる。ただ甘いだけじゃない。コクが強く、ひときわ堅いこのフランスパンによく合う。
奏太「美味しいですね」
 須波さんは頬張りすぎてしゃべることができないが、うんうんとよく頷いている。小動物のようで愛しい。
奏太「こんなに美味しいものを。もったいないことをして申し訳ないです」
汐理「そんな暗いこと言わないでください。まだ半分も残ってるじゃないですか。さて続きです。残り16人ですね。あっこっちも残りキャラ半数、折り返しですね」

 “特訓”は朝日が上るまで続いた。
 黒いTシャツにこびりついた白いミルクジャムの跡はとれそうにない。出がけにあのImaginary AxのTシャツを貸してくれた。着替えてみる。かなりタイトだがかろうじて着られる。
汐理「洗っておきます。今度会うとき渡しますね」

(つづく)

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