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弁当記録|キャラクターの輪郭は、だいたい残業でできている


弁当は、だいたい余り物でできている。
キャラクターは、だいたい余り物では作れない。
そして出張先で、「余りすぎた顔」を見た。

今日の弁当


- 甜醤油ココナッツ唐揚げ
- 人参のポリヤル
- インゲンのポリヤル
- 紫玉ねぎのアチャール
- ゆで卵の麹漬け
- 余った野菜カレーピラフ

ココナッツファインは本来お菓子の席に座っている顔をしているけど、
スパイスと一緒だと急に真面目になる。
唐揚げの衣にすると、ちゃんと“白米側の人”として働く。

余った野菜は細かく刻んでピラフに混ぜた。
冷蔵庫で中途半端に残ったものほど、刻まれると急に団結して、「最初からこのメニューでした」みたいな顔をする。

弁当箱は、こういう雑な統合を許してくれるが、
昔の私は、雑な統合が一切許されない世界にいた。

キャラクターの輪郭は、だいたい残業でできている

キャラクターの“ちょっと”は、ちょっとじゃない

社会人になって間もない頃、
玩具の開発設計、特にキャラクター製品を作る仕事をしていた。
アンパンマン、ポケモン、ディズニー、ガンダム。
強いIPの横を通るたび、
こちらの背筋だけが勝手に伸びる仕事だ。

人気キャラクターは、だいたい監修が厳しい。
厳しいというより、顔が“当たり判定”になっている。

たとえばアンパンマン。
子どもでも描けるくらいシンプルなのに、
作る側からすると逆に地獄である。
目の位置、鼻とほっぺの間隔、輪郭の丸み。
ほんのちょっとズレただけで監修NGが飛ぶ。

デザイン画の指示通りに作ったとしても、
「思ってたイメージと違う」で戻ることもある。
正直、作ってる側としては思う。
そんな差、買う人が分かるわけないだろ、と。
遊ぶのは小さな子どもだし、と。

ただ、シンプルなデザインほど真似されやすいのも事実で、「何をもってそのキャラクターと定義するか」を考えると、線の一本まで管理するのも、
まあ、理屈としては分かる。……理屈としては。

問題は、それを後工程の現場に伝えるときである。
目をちょっとずらすだけで、工場の全員が残業する。
ザラだ。新人の頃、私はよく頭を抱えた。

知らない人から見れば“まじでどうでもいい”修正依頼を、一体どう言語化し説明すればいいのか。

「すみません、0.8mm右です」
って言うたびに、私が人に向かって
「今日、空気を0.8mm重くしてください」と
頼んでいる気分になった。
0.8mmの重みで肩が落ちるって、
人体の設計として間違っていると思う。

そんな修正を伝えるために行った中国出張。
その日も現場の人たちに頭を下げ、工場から少し離れた街のホテルへ向かう途中、
中心部にある大きなデパートに寄った。

日本の大型商業施設にもあるような、
家族連れ向けの遊び場。
UFOキャッチャー、小銭を入れて動く乗り物、
小さなゲームコーナー。そこまでは同じだった。
違ったのは、並んでいる“キャラクター”たちだった。

デパートで出会ったキメラ達

UFOキャッチャーの景品の列に、クレヨンしんちゃんのような何かが、ピカチュウのような着ぐるみを着て並んでいた。
“しんちゃん”でもなく、“ピカチュウ”でもない。

でも、どちらでもあるような顔をしている。存在が、
著作権のグレーゾーンというより、もはや虹色。

その隣には、漂白剤でつけ置き洗いされてしまったような、見たことのない真っ白なマリオのヨッシーが大量に並んでいた。

こちらの目が追いつかない。日本で見つかれば、
きっと一瞬で消えるはずのものが、そこでは「普通の景品」として、普通に子どもの手の届く高さに置かれている。

ここでさらに面白いのが、中国の田舎になってくると、現地の子どもたちが「元ネタの日本のキャラクターを知らない」場合があることだ。

つまり彼らにとっては、これは「ピカチュウのパクリ」ではなく、「この街にいる、黄色いかわいいやつ」なのだ。

たまたま似た、では説明できない。
でも、元ネタを知っている人が持ち込んで、
そこから誰かが自分なりにアレンジし、さらに別の人がまたアレンジし……
という継ぎ足しを繰り返した結果、もはや“別のキャラクター”として
地元に根付いている現象がある。

このアレンジの仕方がすごい。

元の世界観は当然のように無視される。
他のキャラクターと融合させる。
中国独自の色彩センスで塗り替える。

そのうち、こちらが見たこともないデザインのキメラが完成する。
それは“完成度が低い”というより、“完成の定義が違う”のだと思う。

そして、一番忘れられないのがこのゴーカート。

ベースがトーマスなのはわかる。
でも、何故こんなにも顔を増やしてしまったのか?

トーマスの「トーマスたる部分」を抜き出すと、確かに顔になる。

でも、ただでさえ“人の顔がついた機関車”という、
文字にすると妖怪みたいな存在が、顔を増設してしまったら、もう妖怪を超えてくる。

あの顔一つ一つに意思があるのだろうか。
運転中、どの顔が操縦を担当するんだろうか。
前方の顔と側面の顔で意見が割れたら、車体はどっちへ行くんだろうか。

インパクトが強すぎて、
むしろ世界観が気になってしまう。
このキャラクターは、どんな物語を背負ってこの形になったんだ」って。

こだわりがある世界と、こだわりが無い世界のあいだ

キャラクターに対する熱いこだわりがあるからこそ、
日本は世界有数のキャラクター大国になった。
それは確かだ。

でも同時に、あの魑魅魍魎の無法地帯を見てしまうと、思ってしまう。
もし、細やかな品質管理や法規制がなかった世界線があったら——
私達はもっと自由に、もっと雑に、もっとこんな怪物を量産していたのかもしれない。

そして怪物は、案外普通に“地域の人気者”になっていたのかもしれない。

冷蔵庫の余り野菜が、刻んだ途端に団結して
「最初からこのメニューでした」みたいな顔をするように。

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