ノーサイド理論(爽やかヤクザ)
試合が終われば、全部なかったことになる。
そう信じている人間が、この世には一定数いる。
しかし、された側の記憶は、意外とロスタイムが長い。
今日の弁当

- ナッツと豚挽肉のタコミート
- トマトのサルサ
- アボガドのワカモレ
- ゆで卵の麹漬け
- 紫玉ねぎのアチャール
昨晩W杯初戦のゲン担ぎに作ったタコスの余りで作ったタコライス風、朝方の熱狂や感動を昼まで持ち越す為のロスタイム弁当である。
しかし、熱狂や感動以外にも忘れられないサッカーの記憶は存在する。
ノーサイド理論
ノーサイドという言葉がある。
元はラグビーで使われていた言葉で、「敵味方や勝敗の区別なく、お互いの健闘をたたえ合う」という意味らしい。いつの間にかその言葉は、他のスポーツや、ちょっと激しめの喧嘩の仲直りにも使われるようになった。
私は、この言葉にまだ納得していない。
思想としてはわかる。試合中は真剣にぶつかり合い、終わったら握手する。競技に恨みを持ち込まない。美しい。校長室に飾っておきたいくらいである。
ただ、試合が終わった瞬間に、やったことまで全部チャラになるのか。
私は格闘技をしていて、試合もよく見る。近頃は試合前に罵り合い、注目を集める文化がある。いわゆるトラッシュトークである。散々煽っておいて、終わったら抱き合い、「リスペクト」と言う。会場も拍手する。
でも、された側の心の中に、小さな議事録は残っていないのだろうか。
人気サッカー漫画のブルーロックでも、試合中は罵詈雑言の応酬なのに、終わると急に爽やかになる。いや、さっきまで相手の人格をミンチにしていませんでしたか?
スポーツには、試合中だけ許される暴力のようなものがある。だが私は知っている。ルールの外に足を出しておいて、最後だけ握手する人間もいる。
これは、学生時代の球技大会の話である。
個の力
私は小学校、中学校とサッカー少年だった。高校でもサッカー部に入ったが、私の代が全員で上級生と揉め、まとめて退部した。それ以来、ほとんどサッカーをしなくなった。
年に一度の球技大会は、数少ないサッカー復帰の場だった。
私の通っていた学校は、キリスト教のミッションスクールで、美術やデザインを専門的に学ぶ学部にいた。球技大会のサッカーは全学年全クラス混合のトーナメント制。私は元サッカー部という肩書きと、体育会系の性根により、実行委員兼キャプテンになった。
デザイン学科から十一人を集める。経験者は私を含めて四人。他はほぼ未経験者だった。
そこで私は、ルール、ポジション、作戦を説明した。私のポジションはディフェンダー。他の経験者はフォワード。ならば、私が中央の一番後ろを守ればいい。
フォーメーションは、キーパーを除いて4―3―3にした。ここまでは非常に順調だった。
ただ、私はひとつ見落としていた。
このメンバーが、全員デザイナーの卵だということだ。
まず、試合開始時刻ぎりぎりまで人が集まらない。時間を守るという概念が、全員の中で「参考作品」くらいの扱いだった。
そして試合が始まると、説明していたポジションにいる人は、ほぼいなかった。
さすが芸術家肌。協調性がかけらもない。
個の力が強すぎる。
同じディフェンダーのはずだったK君は、開始のホイッスルと同時に、将棋の香車のように敵ゴール前へ走っていった。そしてそのまま戻る事はなかった。ちなみにK君は、後年、週末の私を険しい山へ誘拐する人物でもある。昔から直進性能が異様に高い。
気がつけば、自分のゴール前にいるのは、私とゴールキーパーだけだった。他の全員は敵のゴール前に密集し、戻ってこない。
私が指示したフォーメーションは、4―3―3だったはずである。しかし実際には、1―1―8になっていた。
上から見たら、おそらくTの字だったと思う。何のTなのか。今やっているのはサッカーであり、人文字ではない。
それでも、一回戦は勝った。
私一人が後ろでボコボコにされながらも、それ以上に前線の人間たちが点を取ったのである。全員フォワード戦略。まさにリアルなブルーロックだった。時系列で言えば、こちらのほうが先なので、元祖ブルーロックを名乗ってもいいかもしれない。許可は取っていない。
問題は、次の試合だった。
爽やかヤクザ
勝ち上がってきた相手は、教員オールスターチームである。
なぜ生徒の球技大会に教員がチームとして出場しているのか。最大のツッコミどころは、センターフォワードが校長先生だったことである。
校長先生は神父で、若く、授業も持っていた。私に宗教学の面白さを教えてくれた恩師でもある。
その校長先生が、なぜか最前線にいる。
しかも中央には、英会話のK先生もいた。K先生はサッカー経験者で、牧師である。両サイドには、ブラジル人のM先生とスペイン人のZ先生。二人とも母国の代表ユニフォームを着ており、見た目だけなら各国代表のドリームチームである。
先生方も、負けず劣らず協調性がない。
試合が始まると、こちらのチームメイトは当然のように相手ゴールへ走り出した。そして私はまた一人になった。正確には、私とキーパーのS君だけになった。
相手の攻撃になるたび、私は前線四人の総攻撃を一人で受けた。
左に行けばブラジル代表。右に行けばスペイン代表。中央には牧師と神父。宗教画にしては圧が強い。
サイドにボールが渡る。私は止めに行く。体格のいい先生に吹き飛ばされる。格闘技なら、階級が違いすぎて試合が成立しない。サイドバックなのか、サンドバッグなのか、途中から自分でもわからなくなっていた。
それでも何とかゴール前に戻り、クリアしてコーナーキックに逃げる。そのときだった。
ゴール前でK先生と競り合った瞬間、私の腕が動かなくなった。見ると、K先生が審判から見えない位置で、ハンドしないよう後ろに回した私の腕を押さえ込んでいた。刑事ドラマで犯人を取り押さえるときの体勢である。
つまり、腕の関節を決められている。
サッカーの試合中に、牧師からアームロックを受けていた。
K先生は、わたせせいぞうの漫画に出てきそうな男前で、女生徒からも人気の先生だった。その爽やかなイメージが、私の肘関節を通じて一気に崩れていく。マリーシアという言葉がある。審判に気づかれないように反則をする駆け引きだ。
ただ、これは駆け引きというより、ほぼ逮捕術だった。
こぼれたボールを私が何とかクリアしようとすると、今度は校長先生がスライディングしてきた。
しかも、スパイクの裏がこちらを向いている。
先生方はご存じなかったのかもしれないが、スパイクの裏を向けたスライディングは、サッカーでは危険行為であり、一発レッドカードになり得る。ましてやここは球技大会である。相手は生徒である。
私は思った。
先生方、勝ちに来すぎではないか。
前線の自由すぎる味方たちが同じくらい点を取り返し、試合はPK戦にもつれ込んだ。しかし、私以上に酷使されていたキーパーのS君が限界を迎え、私たちは敗退した。よく考えれば一番の功労者は彼である。
こうして、まさかの教員チームが準決勝に進むことになった。
しかし、我々との死闘にすべてを出し尽くした教員チームは、準決勝で現役サッカー部のいるクラスに、嘘のようにボロ負けした。
そもそも、球技大会で死闘を繰り広げないでほしい。
試合が終わると、両チームで整列して挨拶をした。反則づくしだったK先生は、何事もなかったかのように親指を立て、「ナイスファイト」と言った。
校長先生も笑顔で、「いいキック持ってるじゃねぇか」と言った。セリフだけ聞けば、ヤンキー漫画である。
先生方、いくら最後に爽やかに締めても、ノーサイドにはなりませんよ。こちらは牧師のアームロックと神父のスライディングという、今後私がキリスト教徒になったとしても二度と受けないであろう洗礼を受けている。
ノーサイドとは、された側の記憶を消去する魔法の呪文ではない。最後に笑えば許されると思っている人ほど、相手の心の中に妙な形で保存される。しかも、された側は意外と細部まで覚えている。
月日は流れた。
今の私の実家は、引っ越して調布にある。そしてその場所は、母校の女子寮のすぐ裏手だった。
ある日、実家に帰る途中、十数年ぶりに校長先生を見かけた。見ただけですぐわかった。驚くほど変わっていなかった。風貌も、歩き方も、あの頃のままだった。
声をかけようか迷った、その一瞬先に、先生のほうが気づいた。
「おー、〇〇じゃないか。元気してたか」
私は少し驚いた。
いくら元生徒とはいえ、十年以上経っている。しかも担任ではない。何百人、何千人と見てきた生徒の中の一人にすぎないはずだ。それでも、先生は私だとわかった。
その瞬間だけ、私は学生時代に戻ったような気がした。グラウンドの熱、集合時間を守らないクラスメイト、戻ってこないK君。そういうものが、一瞬で戻ってきた。先生が覚えていてくれたことは、素直に嬉しかった。
そして私は思った。
先生、私も忘れていませんよ。
スパイクの裏側の色までね。
※弁当とエッセイをまとめた「弁当記録」というマガジンがあります。
今回の文章が気に入った方は、自己紹介と合わせてのぞいていただけたらうれしいです。
自己紹介エッセイ
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