親は子供の心を知らない
それは一瞬の出来事であったが、私の内部では、ある秩序が静かに崩れた。
長男は従順な子であった。
反抗というものを、私はほとんど経験したことがない。
親の言葉を疑わず、与えられた課題を黙々と果たす。
その姿は私に安堵を与え、同時に、どこか物足りなさも感じていた。
彼は高校三年生である。
国立大学を志望している。
私は国立大学に行ってない。
それ自体に劣等を抱いているわけではない。だが、国立大学という言葉が放つ、あの冷たい理性の光に、私は一種の敬意を抱いてきた。
それは私が手にし得なかった秩序であり、克己の証のように思えた。
彼がそれを目指すことは、単なる受験ではない。
それは父を超えるという、無言の宣言に等しい。
最近、彼は言う。
「もう一段、上に行かないといけない。殻を破らないと」
殻を破る。
その言葉に、私はかすかな不穏を感じていた。
殻とは何か。
父である私か。家庭か。あるいは、彼自身の弱さか。
ある夜、私は自らの倫理的判断について家族に問うた。
正しさとは何か。組織の中で、波風を立てず、しかし自己を保つとはどういうことか。
私はAIにも意見を求めたことを正直に話した。
そのとき、彼は言った。
「AIに頼るなんて、馬鹿げている。」
その声は鋭くもなく、激しくもなかった。
だが、刃のように澄んでいた。
「自分で考えて、自分で引き受けるべきだよ。
外に答えを預けるのは違う。」
私は、その瞬間、父としてではなく、一人の人間として裁かれた。
そこには遠慮も忖度もなかった。
純粋な批判があった。
私は一瞬、反論を思い浮かべた。
だが、それは言い訳にすぎぬと、即座に理解した。
彼は、私の姿勢を否定したのではない。
私の甘えを見抜いたのだ。
クリティカルシンキング――
私はそれを教育の理想として語ってきた。
だが実際にその矛先が自らに向けられたとき、これほどの衝撃を受けるとは思わなかった。
胸の奥に、痛みが走った。
それは父の権威が損なわれた痛みである。
同時に、血の継承が完成しつつある歓びでもあった。
この子は、親を超える。
その予感は、もはや恐怖に近かった。
私は静かに席を立ち、「そうか」とだけ言った。
二階へ上がる階段は、やけに長く感じられた。
親を超えるとは何か。
学歴ではない。
地位でもない。
父を批判する勇気を持つこと。
しかも、憎しみではなく、理性によって。
それは精神の自立である。
私は階段の途中で立ち止まり、手すりを握った。
自分の内部に、奇妙な空洞が生じているのを感じた。
父である私の役割が、静かに縮小していく。
だが同時に、私は理解していた。
超えられぬ父は、子を未熟にする。
超えられてこそ、父は完成する。
部屋に入り、扉を閉めると、夜の気配が濃くなった。
私は小さく笑った。
国立大学に受かるかどうかは、もはや副次的な問題である。
彼は、すでに一度、私を超えたのだから。
