「今年はXX本読みます」という目標 #エッセイ
自己満足でしかない年間の数字の目標の意義や、どんなふうに設定するのが良いかについて、私なりに考えてみたいと思う。
(ちなみに私は今年、75冊の本を読み、50本の映画を見ることを目標にしています)
元気な時に読むではなく、元気になるために読む
目標を達成したところで、誰かに褒められるわけでも、何かをもらえるわけでもないなかで、なぜわざわざ目標を立てるのか。
究極的には自己満足でしかないが、目標を設定し、毎月毎週のノルマ的なものがあることで、自分の中での「自然な強制力」が生まれてくる。
もちろん、単純に楽しむために小説を読む、映画を観るということではあるが、自分の元気が落ち目な時に、やや無理矢理にでもこれらを摂取する強制力が必要なのだ。
これらの余暇的な趣味は、元気がない時や忙しい時にはどうしても後回しになりがちだ。
しかし、そういった時こそ本当に小説や映画が必要な時ではないだろうか。
その中で、あえて動的に自分が動くための強制力を前もって設定しておくことが大切だと思う。
ペースメーカーとしての目標
では、どのようにして目標を設定するか?ということだが、
私は50または25を一つの単位にしている。
年間の目標として考えると、1年間=52週であるから、
例えば年間50冊の本を読むということは、だいたい週に1冊は読むということになる。
もう1つ上の単位を設定するとなると、1週で1.5冊、つまり2週で3冊ということになる。
「年間50冊」というとなかなか大きな数字に思えるが、月に直すと4~5冊、週に直すと1冊という一定のリズムが刻まれることになる。
目標を設定した次のポイントは定期的に振り返るタイミングを持つこと。
私は読書ログを「ブクログ」というアプリで管理しているが、毎月の読書冊数を表示してくれるので、「今月はなかなか読んだな」とか「来月はもっと読まねば・・・」という自分への振り返りが習慣になっている。
この50という数字を1つのペースメーカーに置くことで、自分の中でリズムが刻まれていき、年間の目標もあまり無理なく達成できるように思う。
目標を達成できなくてもよい
とはいえ、最初に述べたように目標はただの数字でしかない。
賞与の査定に響くわけでもないので、気長に構えることも大切な姿勢だと思う。
先月の目標が達成できなかったからといって、今月張り切って2倍読もうと思っても、自分のバイオリズム的に無茶な目標になるわけで。
無理して数を目的にした読書になるのは本末転倒だ。
目標を設定した時に自分にしっくりくるか、読書欲・映画欲が喚起されるかが重要だと思う。
追われるものがないノルマがあることは、生活にハリのようなものが出てくる。
目標に達した・達さなかったに依らず、
年末に今年読んだ本や観た映画を振り返りながら、自分だけのランキングをお酒を飲みながら決めていく時間が待ち遠しい。
