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【追悼】-奥田碩氏が残した言葉-若いうちは経験を積め、運はその先で巡ってくる‼️

🟧序章|93歳で逝去した、異色のプロパー社長

8月12日の日経は、トヨタ自動車元社長で、経団連会長や国際協力銀行総裁も歴任した奥田碩氏が8日に老衰のため93歳で亡くなったと報じました。

奥田氏は1995年、創業家出身の豊田達郎氏が病気で倒れたことを受け、急きょ社長へ就任しました。現在のトヨタ発足後、創業家以外から初めて社長となった異色のプロパー経営者でした。  

初代プリウスや北米展開を率いた実績はよく知られています。

ただ、2013年に若者へ向けて語った言葉を読み返すと、奥田氏の経営者としての原点はもっと素朴なところにあったように見えます。

⚫︎若いうちは経験を積む
⚫︎失敗しても、簡単に諦めない
⚫︎そして運は、何もしない人のところへ突然落ちてくるものではない

その言葉は、自身の歩みそのものでもありました。

🔵第一章|経理10年が、会社全体を見る目を作った

奥田氏は1955年にトヨタ自動車販売へ入社し、経理部門に配属されました。

総勘定元帳を管理し、各種取引、経費、幹部の交際費などの伝票に目を通す仕事を約10年間続けたと、2013年のインタビューで振り返っています。
本人によれば、伝票を見れば社内の人、モノ、カネの流れが分かった。 

分からない取引があれば、上司や役員にも問いただしたといいます。

しかし、この地味な経験が、会社全体を俯瞰して、ここを押せばどこが動くかを読む経営者的な視点につながりました。

若いうちの仕事は、その瞬間の肩書だけでは測れません。
後になって別の経験と結びつくことがあります。

🔵第二章|左遷に見えたフィリピンが、経験資産になった

中堅時代にはフィリピンへ赴任しました。当時は左遷だと言う人もいたそうですが、奥田氏自身は逆に捉えました。

駐在員が少ないからこそ、本社幹部が来れば自分たちが応対しなければならない。結果として幹部の目に留まる機会も増えました。

現地ではトヨタ初の海外エンジン工場立ち上げにも関わりました。さらに政権に近い相手から延滞資金を回収する難しい交渉も経験しています。 

配置が恵まれているかではなく、そこで何を経験するか。奥田氏が若者へ伝えたかったのは、この感覚だったのではないでしょうか。

🔵第三章|ケンタッキーで海外生産の現場を知った

その後、日米貿易摩擦への対応でトヨタが米国単独進出を決めると、奥田氏は北米事業準備室で用地選定などに携わりました。

現在では北米の主力拠点となったケンタッキー工場です。経理、資金回収、海外工場立ち上げ。
一見すると別々の仕事ですが、社長へ就任した後に必要となる、

⚫︎財務
⚫︎海外交渉
⚫︎工場運営
⚫︎現地雇用
⚫︎国際政治への理解につながっています。

突然社長になったから、突然経営能力が生まれたわけではありません。それ以前の何十年もの経験が、スクランブル登板を支えました。

🔵第四章|プリウス97年発売を押したのも、経験の上の決断

1995年に社長となった奥田氏は、初代プリウスの開発を強く後押ししました。技術陣からは97年発売は難しいという声も出ました。 

それでも奥田氏は97年中の発売を求め、結果としてプリウスはCOP3が開かれた同年12月に発売されました。

初代プリウスは最初から完成された商品ではありませんでした。試作車が長期間動かなかった時期もあり、世界で誰も量産したことのないハイブリッドシステムでした。

それでも、できるまで待つのではなく、期限を決めて前へ進めた。奥田氏自身が海外で難しい案件を何度も経験してきたことと、無関係ではなかったように思います。

🔵第五章|運は何もしない人には来ない

2013年、国際協力銀行総裁だった奥田氏は、社会へ出る若者に人生の偏差値を上げてほしいと語りました。

学校の偏差値だけでは足りない。恋愛でも仕事でも何でもよいから、とことん打ち込み、失敗も経験する。そして、自分は運が良かったと振り返りながら、その運について、様々な場所へ行き、人と出会い、体験する中で巡り合うものだと説明しています。

つまり運とは偶然を待つことではありません。
経験を増やすことで、偶然を掴める自分になることです。これは2026年の若者にも通じる言葉だと思います。

🟪終章|若いうちは、経験を取りに行く

奥田氏の言葉を、単純な根性論として読む必要はありません。今は転職も働き方も多様です。

一つの会社に長く残ることだけが正解ではありません。しかし、

⚫︎難しい仕事からすぐ逃げない
⚫︎知らない場所へ行ってみる
⚫︎失敗から何かを持ち帰る
⚫︎目の前の仕事を徹底してやる

という経験の価値は、時代が変わっても残ります。 
 
⚫︎経理の総勘定元帳。
⚫︎フィリピン
⚫︎延滞資金回収
⚫︎エンジン工場
⚫︎ケンタッキー
⚫︎突然の社長就任
そして初代プリウス

振り返れば、奥田氏の人生には一本の線があります。若いうちは経験を積む。

その経験がいつ、どこで結びつくかは分からない。しかし積み重ねていれば、運が巡ってきた時に掴める可能性は高くなる。 

奥田碩氏が2013年に若者へ残した言葉は、93年の人生を振り返った今、さらに重みを増して聞こえます。心よりご冥福をお祈りいたします。

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