あるきんぐ:川崎大師×AI活用散歩 ― 文字起こしから碑文解読までやってみた
初めに
川崎大師を舞台に、AIがどこまで役に立つのかを実際に試してみました。
今回の散策ルートは、上大岡駅から京急大師線に乗り、川崎大師駅で下車。
駅前の表参道を東へ進み、赤い門柱の交差点を右折して仲見世通りへ。
土産物店が並ぶ通りを抜けると、目的地である平間寺(川崎大師)に到着します。

仲見世通りから大山門へ
仲見世通りを歩くと、正面に大山門が見えてきます。
両脇の土産物店では、早くもメンバーの一部が買い物を楽しんでいました。
大山門には大きなちょうちんが吊るされ、迫力があります。

大本堂へ
門をくぐると大本堂が姿を現します。
内部は保護のため網がかかっており、外からの見学となりました。


AIで「厄除弘法大師略縁起」を読んでみる
境内に掲示されている「厄除弘法大師略縁起」をAIに読み込ませてみました。
細かい文字も正確に文字起こしでき、歴史の理解がぐっと深まります。
こうした資料の読み取りは、AIが得意とするところです。

厄除弘法大師略緣起
平安時代、第七十五代崇徳天皇の御代(1123~1141) 平間兼豊・兼乗という武士の親子が無実の罪により生国尾張 (現在の名古屋地域)を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやく この川崎の地に住みつき、漁師を仕事として、貧しい暮らしを立て ていました。
兼乗は深く仏法に帰依し、特に弘法大師を崇信していました。 当時四十二歳の厄年に当りましたので、日夜厄除けの祈願を続けて いました。
ある夜、一人の高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に 在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしことあり。以来未だ有縁 の人を得ず。いま、汝速やかに網し、これを供養し、功徳を諸人に 及ぼさば、汝が災厄変じて福德となり祈願もまた満足すべし。」と 告げられました。兼乗は翌朝直ちに海に出て、光り輝いてる場所に 網を投じますと一体の木像が引き揚げられました。それは大師の尊いお像でした。この地は、「夜光町」と名づけられ大師の浜の古い歴史を 今に伝えています。 兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵 をむすんで、朝夕に香花を捧げ、供養を怠りませんでした。
その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途中ここ兼乗のもとに立ち 寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力を あわせ、大治三年(1128) 一寺を建立しました。 そして兼乗の姓 平間をもって平間寺と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉り ました。これが今日の大本山川崎大師 平間寺の由来であります。
兼乗は、この信仰のおかげで、晴天白日の身となり晴れてふたたび 尾張の国に帰任しました。 平間寺の開基である尊賢上人は、保延二年 (1136)弘法大師を篤く信仰されておられた鳥羽上皇のお后・美福門院に平間寺開山の縁起を申し上げ、災厄消除と皇子降誕の祈祷を 修行されました。その霊験たちまちに現れ、まもなく皇子(のちの 第七十六代・近衛天皇)がお生まれになりました。これ、まったく厄除 弘法大師のご霊徳と美福門院も殊のほかお喜びになりました。 このことを上皇にご奉告申し上げ、永治元年(1141)近衛天皇 のお名によって、平間寺に、勅願寺のご宣旨が下されました。
爾来、皇室のご尊信も深く、以降、徳川将軍家の帰依も篤く厄除弘法大師のご霊徳は、いよいよ天下にあまねく関東厄除・第一霊場として 善男善女の参詣、相ついで跡をたたず、現在に至っております。
大本山 川崎大師平間寺
経蔵・五重塔・遍路大師像
経蔵には釈迦如来が鎮座し、天井には龍と天女の舞が描かれています。
五重塔の横には遍路大師像があり、周囲には八十八か所霊場を象徴する石柱が並びます。。

経蔵の天井画は龍、四方を天女の舞で囲んでいます。

5重の塔の横には遍路大師像があります。

大師像の周りには八十八か所霊場を代表する石柱があります。

AIに碑文を読ませてみる
写真をAIに渡し、「碑文を読んで解説して」と依頼すると、
人の目では読みづらい文字も見事に読み取り、背景まで丁寧に説明してくれました。
明石寺について 石川県金沢市野町にある「明石寺」は、加賀三十三観音霊場の第3番札所としても知られています。この石碑は、参拝に訪れた人々が観音さまの広大な慈悲を感じられるように建てられたものです。
右側の大きな文字: 明石寺 石川県金沢市にあるお寺の名称です。
左側の大きな文字: 手観世音 「千手観世音」の「千」が写ってない。
下のひらがな: きくならく せんじゅのてなる だいはんじゃくも かるくありけり (聞きならく 千手の手なる 大盤石も 軽くありけり)
現代語訳 聞くところによれば、千手観音の手にかかれば、巨大な盤石であっても軽く持ち上がってしまう。
解説 この「重い岩」とは、私たちが抱える「重い悩み」「深い苦しみ」「逃れられない宿命」の象徴です。 自分一人の力ではびくともしないような大きな苦難であっても、観音さまの千の手による救いがあれば、いとも簡単に(軽く)取り除いてくださる、という信仰の心が込められています。
もしこのお寺を実際に訪れるのであれば、この歌にある通り「心の重荷を軽くしてもらえる」という気持ちで手を合わせると、より深い参拝になるかもしれませんね。

以下については、上を真似て自分でAIに頼んでみて下さい。

句碑之由来の碑文
AIは寺名・観音名・和歌の意味まで整理して解説。
「重い岩=人生の苦難」という象徴的な読み解きも示してくれました。
句碑之由来
金色の 涼しき法の 光かな 虚子
昭和三十三年五月十四日再建新本堂落成本尊遷座式を挙行の際当時の俳壇の巨匠高浜虚子翁は特に当山のために右の句を嘱せられた。其際この句の句碑建立を計画し一周年を記念するに当り翁の真筆の句を刻み建立をみたものであります。
昭和三十四年五月十四日 大本山妙法院門跡第四十四世 龍天 この建立に当り安田義春氏の奉仕に成る。
現代語訳 (再建されたお寺に差す)黄金の光は、なんと清々しく、人々の心を涼やかにしてくれる仏さまのみ教えの光であることよ。

高浜虚子の句碑
虚子の独特な書体もAIはしっかり文字起こし。
句碑の由来や現代語訳まで提示してくれ、理解が一気に深まります。
高浜虚子の独特な書体で以下のように刻まれています。
金色の 涼しき法の 光かな
虚子


その他の見どころ
八角五重塔です。

北の湖関の像もあります。

百観音霊場お砂踏み参拝所(四国百観音レリーフを巡礼可能)です。




薬師殿です。

写真とともに歩くと、川崎大師の多彩な表情が楽しめます。
終わりに
川崎大師は駅から近く、歩く距離は短めでしたが、
その分、AIを使った「読み取り」「解説」の実験にじっくり取り組むことができました。
今回の体験で、碑文や縁起の文字起こし・意味解説など、
散策の理解を深める場面でAIが十分に活用できることがわかりました。
次回は、参加者のみなさんにもこのノウハウを共有し、
“歩く+AI”の楽しさを一緒に広げていきたいと思います。
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