人生の坂道と、「今」を生きるということ
「前後際断(ぜんごさいだん)」という禅の言葉があります。
過去の出来事にも、未来への不安にもとらわれず、ただ「今、この瞬間」を生きるという意味です。
ある方がお母様を見送ったときのことを書いておられました。
そのお母様は、夫に先立たれたひとり娘を案じながら、「80の坂が越せなかった」と言い残して旅立たれたそうです。
その言葉を知ったとき、私はふと考えました。
人生には、いったい幾つの「坂」があるのだろう、と。
私の母は、三度も命に関わる大病を乗り越え、白寿(99歳)まで生きました。
けれど最後は、四度目の転倒による骨折がきっかけで、その生涯を閉じました。
長生きをしたからといって、人生が平坦になるわけではありません。
どの年代にも、それぞれの坂があるのだと思います。
ある日、小雨の中を歩いていると、雨が少し強くなりました。
ポンチョを着ようとしている私に、見ず知らずの方がそっと傘を差しかけてくださいました。
その方は、お母様を亡くされたばかりだったそうです。
なぜ私に話してくださったのかは分かりません。
けれど、お母様のことを静かに語りながら、「90代にも坂があるのでしょう。母は百歳を超えましたが、その後に亡くなりました」とおっしゃいました。
雨の日のほんの短い時間でしたが、その言葉と優しさは、今も心に残っています。
昔は「70代に坂がある」とよく耳にしました。
さらに昔は、「定年を迎えた頃が人生の坂だ」とも言われていました。
保険はよくできたものだと言う人がいて、60歳で満期を迎え、その後に脳梗塞などで倒れる人も少なくなかった時代です。
けれど現代では、定年前に大きな病気をすると、「壊れるのが早いね」と言われることもあります。
医療も社会も変わり、人生の坂道は少しずつ姿を変えてきたのでしょう。
同時に、家庭や働き方の形も変わりました。
「夫が先に亡くなるもの」と思われていた時代は、もはや当たり前ではありません。
数か月前、テレビで短時間のパートをしている女性が、「忙しくて朝食を食べる時間もない」と話していました。
昔ならいざ知らず、現代でもなお、そのような暮らしを送る人が少なくないことに驚きました。
時代は変わっても、人は今なお時間に追われながら生きているのかもしれません。
子どもを持つことは尊いことです。
その一方で、子育てには大きな責任と負担も伴います。
子どもが多い家庭ほど親の健康への影響を指摘する研究も耳にします。
少子化が問題となり、「子どもを産んでほしい」という声を聞くこともあります。
だからこそ、周囲の期待だけではなく、自分自身が納得できる人生設計を考えることも大切なのではないでしょうか。
寝る時間も、食べる時間も、自分のための時間もない。
やるべきことに追われ続ける毎日は、まるで綱渡りのようです。
私自身も振り返ってみると、忙殺されていた頃の記憶は驚くほど曖昧です。
昔から「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言います。
また、徳川家康の遺訓として伝えられる、
「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」
という言葉も思い出します。
けれど私は、しなくてもいい苦労まで背負う必要はないと思うのです。
苦労が人を育てることはあっても、不必要な苦労は人の心や体をすり減らしてしまうからです。
人生には、誰にも避けられない坂があります。
何度坂を迎えるのか、そしてそれが60代なのか、80代なのか、それとも90代以降なのかは、人それぞれです。
だからこそ、まだ見ぬ坂を恐れすぎることも、過ぎ去った坂を悔やみ続けることもなく、「前後際断」の教えのように、今日という一日を大切に生きていきたい。
未来は誰にも分かりません。
だからこそ、今この瞬間を丁寧に歩いていくことが、人生という長い坂道を、一歩ずつ歩んでいく力になるのだと思います。
それでは、どうぞ良い一日をお過ごしください🤗
