【読書記録】芥川賞受賞作品 「コンビニ人間」
2016年第155回芥川賞受賞した村田沙耶香の本です。
「普通」という概念は明確にされていないが、たいがいの人はわかっている。主人公のように36歳独身、コンビニアルバイト店員は、「普通」ではないと思われる。
「普通」とわかっているたいがいの人は、この主人公を「異物」ととらえる。しかし本人はいたって「普通」なのだ。なにせコンビニのユニフォームをきてマニュアルとおり動き、同僚の声音や持ち物をまねて「コンビニ店員」になりきることが彼女の「普通」なのだ。コンビニの音に囲まれ自分のすべてがコンビニに凝縮されている。
だから彼女は、コンビニで働き始めたとき、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が誕生したのだと意識した。社会は回転している。自分もコンビニという世界で部品になり回転し、はじめて社会の一員になれたと思ったのだ。
しかし社会とは「普通」なのだ。社会はそんな彼女を許さない。「異物を」を徹底的に排除したがるのだ。LGBTQ、多様性が大事といわれているが、36歳独身、コンビニアルバイト店員の女性は多様性の一部にはならない。自分の生き方に満足しているのに社会は許さない。多様性とはいったいなんなのだろうか。朝井リョウ著「正欲」を読んだ時も同様の思いをもった。ゲイやレズピアンなら多様性と認知されるが、「水がブシュットでる」ことに快感をえることは多様性ではなく「異物」として排除される。
この作品は読んでいてつらい。自分が「普通」でないことを認識し、おとなしく、目立たずコンビニ店員として淡々と生きているのに「異物」として排除されていく。
そして彼女自身が「コンビニ店員」であることが自分自身になっている。これは悲劇か喜劇なのか。読み終わったとき複雑な気持ちになる。「普通」でない人はこの世に大多数いるのだろう。彼らは危害を加えない。ただ「おとなしく、目立たず、隠れて」生きていきたいだけなのだろう。人間は自由ではない、社会に常に注意深く監視されている。こいつは「普通」なのか否かと。そして「普通」でない人間を「異物」として土足で踏み込んで馬鹿にしながら堂々と攻撃してくる。「普通」の人のほうがよっぽど恐ろしい。

