君を待つ間
やわらかな光に騙されながら行こうじゃない。
子供の部活や学習塾などの送迎をする。年頃の子供を持てばよくある行動である。そういうふうにして待っている時間が生じてくる。かなり、その時間は存在する。
結局、時間通りに終わったとしても、彼らは何かしらわちゃわちゃしていて待つことになる。だから時間つぶしの術をたくさん知っているということが、この待ち時間を充実させることにつながる。
つまり、待つ時間を充実させることができれば、途端にその時間は黄金の時間に変わるわけである。
君を待つ間、僕は読書をし続ける。あるいは本を読む。あるいはオセロをする、ルービックキューブを回す。様々な待つ時間の過ごし方を知っている。
そうやってこの隙間の時間を有効に活用することで、日々充実していくわけである。今日も子供が野球をやっているので、その迎えに行って待っている間、noteの記事を書き、Kindle本を読み、そしてオセロをする。オセロは余計だけれど。
創作は、家でパソコンに向き合う時よりも、むしろ何でもないところで、いきなり始めるのが適しているように感じている。僕のスタイルに合っているのだろう。
何度かnote記事でも書いているが、もちろん入力は全て音声入力である。もうキーボードを打つとかフリック入力とか、そういうのは思考の妨げにすらなってしまう。
それはそれで利点ももちろんあって、それぞれ有効活用することが一番なのであるが、とりあえずスピードと場所を選ばないということを考えれば、音声入力に勝る入力は無い。
音声入力の精度はかなり上がっているし、それをそのまま使うということではなく、音声入力した後、完成させる前にAIを通すのだ。AIに修飾してほしいというわけではない。その文章の誤字脱字を取り除いてほしいと依頼するだけで良い。
そうすれば、思考のコアの部分は残しながら、誰でも読める形に文章を整えることができる。
思考の垂れ流しのような生の文章ももちろん悪くないが、それをちゃんと誰にでも読める形で整えるという作業が重要になってくる。それは面倒くさく地味な作業である。だからこそ、それをAIに任せてしまうのだ。
そういうふうにして創作の質は日々向上している。
それに気づいていち早く取り入れ、自分に合ったスタイルを見つけ出すというのが、今後の創作のあり方であることは間違いないと僕は思っている。

