つまりそれはMJQのせい
生活にレコードを取り入れて、何日か経つ。
日常的にレコードをかける、ということはない。何しろ、大きな盤を棚から抜き出し、ジャケットを開き、そっとターンテーブルに載せ、針を落とさなければならない。実に手間だらけである。YouTubeのように、思い立った瞬間に再生、とはいかない。
けれど、その手間を経て鳴り出す音には、妙な説得力がある。
人はきっと、その時間ごと音楽を聴いているのだろう。
街のリサイクルショップを片っぱしから巡り、安いレコードを何枚か買った。サイモン&ガーファンクル、井上陽水、荒井由実、シティポップのオムニバス、ローリング・ストーンズ、モンキーズ。そして、ビル・エヴァンスとMJQ。取っ替え引っ替え聴いている。
そもそもレコードは大きい。ジャケットを立てかけるだけで、部屋の空気が少し変わる。ほんの一瞬、自分の部屋が文化的な場所になったような気がするのだ。
どれも実に乙である。
だが、結局、繰り返し針を落としているのは、ビル・エヴァンスとMJQになってくる。今後購入するとしたら、ジャズに限定してもいいのかもしれない。
レコードにはジャズが合う。
もちろんロックもフォークも良い。だが、レコード特有の、少し曇ったような音の肌触り、わずかなノイズ、空気の揺れ。そのすべてが、ジャズと異様に噛み合うのである。もしかするとクラシックもいいのかもしれない。それはまだ未体験だ。いつか試してみたい。
日曜の朝、MJQをかける。
モダン・ジャズ・カルテット。ジョン・ルイスの端正なピアノ、パーシー・ヒースの落ち着いたベース、コニー・ケイの静かなドラム。そしてミルト・ジャクソンのヴィブラフォン。
このバランスが実にいい。
誰かが過剰に前へ出るわけではない。むしろ、互いが互いのために場所を空け合っているような演奏だ。だから聴いていて疲れない。生活にそのまま溶け込んでくる。
繰り返し聴いているのは「Django」。
ジャンゴ・ラインハルトに捧げられた曲で、MJQを代表する名演のひとつである。
静かで、悲しげなマイナーの旋律から始まる。
なんとも夢見心地で、美しい調べだろうか。
僕は昔から、こういう旋律に弱い。ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」に惹かれるのも、きっと同じ理由だ。どこか、遠い場所を思い出させる響きがある。
一呼吸おいて、ミルト・ジャクソンのヴィブラフォンが前へ出る。
硬質な音なのに、不思議なほど温かい。
そこから少しずつ熱を帯びていく。ベースとドラムが静かに推進力を与え、ピアノが隙間を埋める。そして四人の音が、いつの間にか一つの流れになっていく。
不思議と誰の音も消えない。
ジャズとは会話だ、などと言われるが、MJQの場合、それは討論ではなく、品のいい雑談に近い。
互いに遮らず、しかし退屈もしない。
ヴィブラフォンが駆け抜け、他の三人がそれを支える。
戻ってきたかと思えば、また遠くへ行く。
その感じが、どこか寅さんに似ている。
ふらりと現れて、また旅へ出る。放浪して、帰ってきて、また去っていく。
やがてピアノのソロになる。
その瞬間、ヴィブラフォンは完全に姿を消す。
「あれ、今トリオだったか」と錯覚するほど自然に引いている。ここがMJQの美しさなのだろう。必要な時だけ鳴り、不要なら沈黙する。音数ではなく、余白で聴かせる。
そして最後、再びテーマへ戻る。
あの悲しげな旋律が、今度はどこか諦めを帯びて鳴り出す。
静かに収束していく。
レコードの回転だけが、しばらく続いている。
そうやって僕は、日曜の朝、レコードによってジャズへ沈んでいく。
