たこわさのポテンシャルを侮っていないか
僕らは、たこわさのポテンシャルに慄くべきである。
何といっても、タコとワサビの共演を気軽に楽しめる、稀有な珍味なのだから。
タコとワサビ、海と山。
本来、交わることのない両者が、出逢ってしまった奇跡。その瞬間、僕らは感嘆の溜息と共に、いいちこのお湯割りをぐいっと呷るのだ。至福とは、まさにこのことだろう。
もちろん、たこわさとして市場に出回る以上、タコとワサビ以外にも、様々な要素が加えられていることは承知している。保存料や唐辛子など、大衆に受け入れられるための工夫が凝らされているのだろう。
しかし、それらを差し引いても、僕は、いや、我々は、たこわさに抗えない。
YES。
居酒屋の献立にあれば、有無を言わさず注文してしまう。それが、たこわさ原理主義者、もとい、たこわさ愛好家としての宿命なのだ。
そもそも、タコとワサビは、どこで、どのようにして出会ったのだろうか。想像力を掻き立てられる。
荒波にもまれるタコと、清流に育つワサビ。
育った環境も、生きてきた時間も、まるで違う。
そんな二者が、一つの器の中で、見事に調和しているのだ。
最初は、きっと、不安だったに違いない。「本当に、うまくやっていけるのだろうか」と。
しかし、互いの個性を尊重し、足りない部分を補い合うことで、唯一無二の存在へと昇華したのだ。
まるで、凸凹な僕ら人間同士のようだ。
たこわさを肴に、今日もまた、いいちこのお湯割りを傾ける。
ふと、気づく。
たこわさの魅力は、その味だけではない。
タコとワサビの、奇跡的な出会いと、そこから生まれる調和。
それこそが、僕らを惹きつけてやまない、たこわさの真髄なのだ。
明日もまた、居酒屋で、たこわさを頼んでしまうだろう。
そして、タコとワサビの物語に、想いを馳せるのだ。
ああ、たこわさ。
君は、僕にとって、なくてはならない存在なのだ。
ありがとう、たこわさ。
そして、これからも、よろしく。
