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黄色の残像 第二話

 咲いたヒマワリを見て、高橋さんが思わずもらした「ああ、綺麗だね」という言葉が、そもそもの始まりだった。
 ――途端。太陽にそっぽを向き、グルンとこちらに顔を向けた大輪に、高橋さんはたじろいだ。それはそうだろう。なんたってただの植物であるヒマワリがそんな動きをするだなんて思いもしなかったのだから。
「や、やぁ。かわいコちゃん……」
 高橋さんはわりにウェットに富んだ人間だったので、引き攣る笑みでなんとかそう言ってみた。が、当然のごとくヒマワリはじっと無言のまま高橋さんを凝視するだけだった。
 一秒、いや、二秒ほど経っただろうか。
 ヒマワリと沈黙のままにじっと向かい合っていた高橋さんは、そこでやっと我に返った。たしかにヒマワリが思わぬ動きをしたことに多少の薄気味悪さは感じたが、気が付けばなんてことはない。ただ単に風で茎が折れただけだろうと、そう思い当たったのである。
「じゃあ、さよなら、かわいコちゃん」
 高橋さんはいつもよりもそそくさとした調子で傍に停めていた自転車に跨り、駅前の花壇を後にした。それはいつもの日常のなかのほんの些細な、事件とさえも言えないような出来事のはずだった。
 しかし、それからというもの、高橋さんは至るところでだれかの視線を感じるようになっていた。
 たとえば、喫茶店の窓際で。大学の中庭で。近所の商店街で。
 そして気になってそちらを見ると、決まっていつも、視線の先にはヒマワリの花壇があるのである。ぎょっとするほどの大輪の花が、物言いたげにこちらをじっと見つめて立っている。いつのまにか高橋さんには、その姿がそのように見え始めていた。


 それから一週間もすれば、高橋さんは半分ノイローゼのようになってしまっていた。無理もない。どこへ行っても、何をしていても、行く先々でヒマワリがこちらを見ているのだから。かといって外出を控えたとしても、瞼を閉じれば、あの最初のヒマワリが脳裏に浮かび上がってくる。
 これは気のせいではない。見ている。たしかに見られている。
 やがて高橋さんは、一人きりの時もそのようなことを呟くようになった。その憔悴ぶりを見て心配になった学友の一人が、ある日見かねて高橋さんの事情を聞いてやることにした。
 この学友の名前は伊藤と言った。小学校からの幼馴染みといえば聞こえはよいが、当人同士から言ってみると腐れ縁という、良く言えば気の置けない、悪く言えば非常にマンネリ化した関係であった。
 さて。ひとしきり高橋さんから事の次第を聞き出した伊藤は、内心ではにわかに信じがたかったのだが、ひとまずすっかり信じた風を装って、柔らかに、こう助言をのたまった。
「ははぁ、しっかしだね、高橋君。ヒマワリなんてものは一夏の命だ。一夏くらい想われたって、我々にしてみれば別に問題なかろう。いじらしいもんじゃあないか」
 あっけらかんとした伊藤の物言いがよかったのか、それともたとえ腐れ縁だとしても幼馴染みの言葉が利いたのか、高橋さんはその助言に、意外にもあっさりと「たしかに、それもそうか」と思い直したようだった。高橋さんは少々思い込みが激しい気質だったが、普段はわりに呑気な性格でもあったので。
 一夏といえば、あと二ヶ月も我慢すれば過ぎてしまう。それに言われてみれば、他愛もないではないか。なんせあちらはただ見ていることだけしかできないのだから。実害だって無いに等しい。
 そう思うと一息に高橋さんは気が楽になり、それからはヒマワリのことを話題に出すこともなくなった。
 しかし、それから一ヶ月後。
 ますます憔悴した高橋さんの姿を伊藤は見かけることとなる。
「どう考えたって自分が悪いとは思えない。かといってあれは絶対に好意なんかでもないのだ。想われてるわけないじゃないか、あんなのは」
 とにかくげっそりと痩せたその首根っこを捕まえて、伊藤はまっすぐに高橋さんを学食へと連れ出した。
「ただ綺麗だと褒めただけだ。本当にそれだけなんだよ。なのに。それなのに……」
「まぁまぁ。まずはお食べなさい。どれ、今日は私がごちそうしてやろうじゃあないか」
 伊藤が勧めたのは、学食のなかでも一番安い具なしのうどんであったが、きっと今の高橋さんにはその柔らかさと温かさが必要だろうという、友人としての精一杯の配慮であった。伊藤の名誉のためにも追記するが、けしてその時に彼の懐具合が寂しかったわけではない。そう。けっして。
 しかし高橋さんはただじっと、どんよりとした眼で、さもしいうどんを眺めている。
 いや、本当はその視線を丼鉢から上げるのさえも恐ろしいのだ。なぜならば今もまた、すぐ隣でくだんのヒマワリが高橋さんを見ているから。と、こう言うのである。
「君、それは完璧に幻覚だよ。しっかりしたまえ。ここには私と君だけしかいやしない」
「君はそんな簡単に言うがね、頭ん中にこべりついてるんだよ。あの強烈な、視線が」
 伊藤はそこでふと何かを思いついたように顔を上げて、高橋さんの隣に視線をやった。そこにはやはり高橋さんの言う向日葵の姿はどこにもなかったが、好奇心半分同情半分、物は試しだと思い、言ってみたのである。
「ああ、綺麗だな」
 と。
 伊藤の言葉に、高橋さんはギクリとし、弾かれたように顔を上げたが、たちまちに「ひっ」と小さな悲鳴を上げて、下を向いてしまった。どうやら予想以上に、事態は深刻なようである。
「いかんな。どうも、私ではダメらしい」
 柔らかいうどんは、どんどんと汁気を吸い、もはや完全に伸びきっている。
「もう、いい。構わないでくれ」
「なぁ、つかぬことを尋ねるがね。君のことをそんなに熱心に見つめているのは、本当にヒマワリなのかい?」
「なに? なんだ、それは。どういう意味だ?」
「いや、なんだかなぁ。私はね、他人にうつせないモノというのは、案外、自分のなかの問題なのではないかなぁと常々考えていてね」
「意味がわからない」
「つまりね、私はその意味を持ってはいないのだよ。起こる現象に意味を持たせているとしたら、それは高橋君、君の方ではないかな?」
 高橋さんはじっと考え込むようにして具なしのうどんを眺めていたが、やはり手をつけることはなかった。
 結局、伸びきったうどんを食べたのは伊藤であった。



 その晩のことだ。
 高橋さんは一人暮らしをしている伊藤の家を訪ねていた。ちょうど調べ物の資料をあらかた読み終わり、寝入りばなであった伊藤だったが、高橋さんの最近の事情は十分に理解していたので、
「ああ……よく来たなぁ。まあまあ、入れよ」
 と、迷わず家にあげてやった。
 高橋さんはしばらくぼんやりと何も言わずに座っているばかりだったが、やがて意を決したかのように目線をあげて、口火を切った。
「頼みがあるんだ」
「おや。なんだね。改まって」
「この近所に、たしか向日葵畑が名所の公園があったろう」
「ああ、あるね。うん」
「一緒に、そこへ行ってはくれないだろうか?」
「行くって、まさか、今からかい?」
 高橋さんは頷いた。
「なるべくなら太陽の出ていないときに、行きたいのだ。お前、言ったろう? 本当にあれは向日葵なのか? と。試してみたいんだ。しかし一人は恐ろしい」
「……そうか。わかった。だがもうおそらく電車はないからな。自転車で行くぞ」
 高橋さんはここにきて、やっとうっすらとだが、何週かぶりにホッとしたように微笑んだようだった。
「お前と自転車で二人乗りだなんて、なんだか低学年の頃以来だなぁ」
 ギッコギッコと自転車のペダルを漕ぎながら、伊藤は時折後ろに乗る高橋さんに声を掛ける。
 さすがに今のところはまだ、太陽が沈んだ夜には向日葵の視線を感じることはない高橋さんだったが、しかし瞼を閉じれば向日葵が脳裏に浮かんでくるので、いくらも眠れない日が続いている。道中でうっかり睡魔に負けて、自転車から転げ落ちないようにするための、伊藤なりの配慮であった。
「ああ。確かに。伊藤は補助輪を外すのが遅かったしなぁ。よく後ろに乗せてやったよな。今とは逆にさ」
「ははは。おかげさまでこうして今ではすっかり乗れるようになったよ」
 そんな他愛もない話しを続け、なるたけ気分をほぐしつつ、結局二人がその公園にたどり着いたのは、それから一時間後ほどのことだった。
 公園は学校のように大きな門で閉ざされていたが、乗り越えられない高さというわけでもない。伊藤が先に行き、高橋さんに手を貸してやる。
「ヒマワリというものは、やはり夜は俯いているものなのだろうか」
「さてね」
 高橋さんは気のない風を装い軽く答えだが、内心ではその鼓動の音が伊藤に聞こえるのではなかろうかというほどに怯えていた。伊藤もそれがわかっていたのだろう。裾さえ掴みはしなかったが、ぴったりと横に寄り添って歩く高橋さんに、あえて何も言わないでやった。
 伊藤の家から持ってきていた懐中電灯の灯りを頼りに、二人はしばらく歩いた。といっても、道はきちんと舗装されているし、街灯も等間隔に点いている。つまり、思ったほどは不気味ではないのだ。少なくともそれが伊藤の感想だった。
 しかし高橋さんは街灯に行き着くたんびに、スポットライトに照らし出された向日葵が、そこにぼんやりと佇んでいるのではないかとビクビクしていた。高橋さんにとっては、それはいかにもありそうな、奴等の手口のような気がしたのである。
 しばらく歩き、高橋さんがふと何かに気がついたように何事か呟いたようだった。
「なんだい。なにか見つけたか?」
「いや、そうじゃなく。ここは、こんなに綺麗な場所だったかな?」
「なに? なんだって?」
「ほら。道とか街灯とかだよ。前に来たときは、こんなふうにきちんと整備が行き届いていただろうか」
「ははぁ、なるほど。まぁ、しかし、私も君もここには一度来たきりだろう?」
「たしかにそれはそうだが……しかし妙な気がするなぁ」
「なにがだね」
「お前とここに来たのは、たしか去年の夏休みだったよな?」
 果たして一年でこんなにも整備が進むものだろうか? というのが高橋さんの違和感だったのだが、伊藤は困ったように微笑んだ。
「そういうところは気になるんだなぁ。毎年、毎年、我ながら謎だよ」
「なに? それは、どういう……」
 高橋さんの言葉はそこで途切れた。伊藤もまるでそれに合わせたかのように足をとめる。
 道はいつの間にか終わり、二人は広場のような少しひらけた場所に出ていた。前方には背の低い柵が境界線のように等間隔に打ち込まれている。そしてその向こうで、柵よりも、いや、二人の身長よりも背の高いヒマワリの群が、広場を埋め尽くしていた。
 月の青白い光を浴びたヒマワリたちはみな一様に眠っているように俯いていたが、高橋さんが思わずもらした「すごい……」という声に、あたりの空気が一気に変わった。
 ソレ等がまるで目を覚ましたかのように首を持ち上げ、一斉に、グルンと、二人を見たのである。
 見たのだ。確かにヤツ等は、こちらを見た!
 高橋さんだけではない。伊藤にも、その光景がハッキリと見えた。二人は声にならない悲鳴をあげ、抜けそうになる自分の腰を叩き、一本道を戻るために駆け出した。
 それから伊藤はどんな風に自身が帰ったのか、覚えていない。ヒマワリ達に一斉に凝視され、何かを考える暇もなく、とにかくその場から逃げなければと無我夢中であった。
 公園の門を抜けるまではたしかに高橋さんの手を掴んで走っていたと思っていたのだが、いつの間にか、彼は忽然と姿を消していた。
「よぉ。お疲れさん」
 ぽん、と肩を叩かれ、伊藤は眺めていた学食のうどんから目を上げた。そこには大学で同じ学部の友人が立っていた。学友の佐藤である。
「またそれかよ。おまえ。さもしいなぁ。たまには俺が奢ってやろうか?」
「ああ。いや、食べる。食べるよ」
「どうした? 腹でも痛いのか?」
 伊藤は困ったように笑っただけだったが、佐藤はそれで察した。
「もしかして、また徹夜で調べてたのか? なんだっけ。お前の幼馴染みが被害者の……」
「ああ。高橋君といってな。昔はよく遊んだもんだ。それが小学校の夏休みの終わりに、あの公園の向日葵畑でなぁ……」
「たしか犯人がまだ見つかっていないんだったっけなぁ。気の毒に。……しかし、それにしても、もう十年も昔の事件だろう。毎年この時期になるとわざわざ調べ直すのは、何か訳があるのか?」
 伊藤は曖昧に、力なく微笑んだ。
「高橋君がね、遺体があそこで見つかる数日前に、妙なことを言ってたんだ」
「妙?」
「ヒマワリが自分をじっと見てくるって。ほら、子供は自分が見ている恐ろしいモノをうまく言えない時があるだろう。だから私も、去年ごろまでは自分をつけ狙ってくる不審者のことをそんな風に言っていたのだろうかと、考えていたのだがね」
「だが?」
 伊藤はふとため息をつき、はじめて佐藤に向き直った。
「じつはね、高橋君が遺体で見つかる前の晩、私は彼とくだんのヒマワリ畑へ肝試しに行ったんだ」
「なんだって?」
「高橋君が、どうしても確かめたいことがあるから、とね。二人で自転車に乗って、懐中電灯を持って、行ったんだよ。まだあの公園も、今のように整備されていなくて、私は本当に怖かった」
「それで? どうしたんだよ」
「ヒマワリ畑まで行ったよ。ただ、並んで俯いたヒマワリの群が月明かりに照らされていてね。その直後、高橋君は何かとんでもなく恐ろしいモノを見たような顔をしたかと思うと、とんでもなく大きな悲鳴をあげて、一目散に私を置いて逃げたんだ」
「逃げた? おまえを置いて?」
「ああ。彼はとにかく無我夢中で走って行ってしまって、置いて行かれた私も必死に泣きながら追いかけたがね、結局追いつくことはできなかった。公園の外に停めておいた彼の自転車もなくなっていたし、てっきり先に帰ってしまったんだと私も家に帰ったんだ。そうしたら……」
 翌日に、なぜか高橋さんは公園のヒマワリ畑のなか、帰らぬ人となって発見されたのだった。それでもヒマワリは伊藤の目にはごくごくふつうの、花に見えていたのだが……。
「……そう。毎年、毎年……何度かあの公園に行くところまではいったが、今年が初めてだったな。あんなのは」
「あんなの?」
「ああ、いやいや、すまない。これはこちらの話しさ」
「……これでも真剣に心配してるんだぞ。おまえ、毎年夏になると妙に一人でいたがるだろう。この前なんか、後輩がおまえがここで一人で何か話していたと不気味がっていたんだぞ」
「はははっ。それはそれは。心配をかけたねぇ。なるほど。それで様子を見にきてくれたのかい。でももう大丈夫だよ。ひとまず、今年はもう帰ったからね」
「帰った? 誰が?」
「おそらく、私のなかにある意味が、かな」
 伊藤はそう言ったきり、パンッと手を合わせて、具のないうどんを啜り始めた。
 大学の中庭に咲くヒマワリは、もう早いものは種をつけ始めている。

第二話『黄色の残像』了 第三話『最後の田中さん』へ続く
#創作大賞2024
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