韓国「人工知能発展と信頼基盤造成基本法」 (韓国AI基本法)の施行と日本への示唆雑感
0 はじめに
2026年1月22日、韓国において「人工知能発展と信頼基盤造成基本法」が施行された。本法は、これに先立つ2025年1月21日に制定され、1年間の準備期間を経て、ついに効力を発揮することとなったものである。
世界を見渡せば、欧州連合のAI規則が包括的なハードローとして先行し、米国が行政命令を通じたガバナンス構築を進める中、アジア圏におけるAI法制の動向が注目されていた。韓国がいち早く包括的な「基本法」の形式で、産業振興と安全規制の統合を試みたことは、同様の課題に直面する我が国にとっても極めて重要な先行事例となる。
筆者はこれまで、AIと法を巡る議論において、リスクの「断片化」や事象の「因果関係」の特定といった観点から、法制度のあり方を検討してきた。AIという捉えどころのない対象に対し、法がいかにして規律の網をかけ、かつイノベーションの土壌を枯らさないか。その解として提示された韓国の法制度は、示唆に富んでいる。
今回は、公開された韓国AI基本法の条文を分析し、その規律構造、特に高影響AIの射程や事業者の義務、そしてガバナンス体制について論じる。その上で、日本のAI法規制議論への示唆を提示したい。
※翻訳等誤りがあるかもしれないため、必ず原典を確認してください。
1 問題の所在
本法の名称が示す通り、その最大の特徴は「AI産業の発展」と「信頼基盤の造成」という、二律背反ともなりうる目的を同時に追求している点にある。EU AI法が基本権保護を主眼に置いた製品安全規制としての色彩が濃いのに対し、韓国AI基本法は、産業政策と規制政策を包含する「基本法」の形式を採用している。
第3条において、「AI技術および産業は、安全性と信頼性を高める方向で開発されなければならない」としつつ、国および地方自治体に対し、AI事業者の創意を尊重する責務を課している。これは、AIを国家競争力の源泉と位置づけ、その社会的受容性を高めるためにこそ規制が必要であるという、プラグマティックなアプローチである。
法全体の構成を見ても、第2章で「AI基本計画」や「国家AI委員会」等の推進体制を定め、第3章で「AI技術および産業の発展」として、R&D支援、標準化、データセットの整備、中小企業支援、AI集積地の指定といった振興策を詳細に規定している。その上で、第4章において「AI倫理と信頼性の確保」として、高影響AIへの規制や生成AIの表示義務といった規律を設けている。この「振興」と「規制」のサンドイッチ構造こそが、本法の骨格である。
2 規制の射程と高影響AIの定義
v本法における規制の網を理解する上で核心となるのが、定義規定である。特に注目すべきは、高影響AIと生成AIの定義である。
2.1 高影響AI
本法は、EU AI法における「高リスクAI」に相当する概念として「高影響AI」を定義し、人の生命、身体の安全、または基本的人権に重大な影響を及ぼす可能性があるAIシステムとして、以下の分野を具体的に列挙している。
第一に、重要インフラおよび生命・身体に関わる領域である。これには、エネルギー供給、飲料水の生産工程、保健医療サービスの提供・利用、医療機器およびデジタル医療製品の開発・利用、原子力施設等の安全管理、交通手段・交通施設の主要な運行管理が含まれる。
第二に、個人の権利や法執行に関わる領域である。ここには、犯罪捜査・逮捕等のための生体情報の分析・利用、採用や融資審査など個人の権利義務に重大な影響を与える判断・評価、公的機関による行政処分等の意思決定、初等・中等教育における学生評価が挙げられている。
このリストは、EU AI法のアネックスIIIと高い類似性を示すが、韓国国内の個別法と密接にリンクさせる形で具体化されている点が特徴である。特に、採用や融資、教育評価といった、個人のライフチャンスに直結する領域が明記されたことは、人権保護の観点から重要である。また、「その他、大統領令で定める分野」というバスケット条項が設けられており、技術進展に応じた柔軟な追加指定が可能となっている。
2.2 生成AI
また、本法は「生成AI」を、「入力データの構造や特性を模倣して、テキスト、音声、画像、映像等の多様な出力を生成するAIシステム」と定義している。特定の技術アーキテクチャに限定せず、機能に着目した定義を採用することで、技術中立性を維持しようとする意図が読み取れる。
3 事業者の義務と透明性の確保
第4章において、事業者には階層的な義務が課されている。
3.1 通知・表示義務
高影響AIまたは生成AIを提供する事業者は、ユーザーに対し、当該製品・サービスがAIに基づいていることを事前に通知しなければならない。
さらに、生成AIについては、その出力がAIによって生成されたものであることを表示する義務が課される。特に、人間と区別が困難な仮想の音声・画像・動画について、明確な表示を求めている。これはいわゆるディープフェイク対策であり、情報の真正性を担保するための措置である。ただし、芸術的・創作的な作品の一部として出力される場合は、鑑賞を妨げない方法での表示が認められるという例外規定も置かれており、表現の自由への配慮がなされている。
3.2 高影響AI事業者の責務
高影響AIを提供する事業者には、より高度な安全確保措置が求められる。
具体的には、リスク管理計画の策定・運用、技術的に可能な範囲での説明可能性の確保、ユーザー保護措置、人間による管理・監督、これらを証明する文書の保存である。
ここで注目すべきは、説明義務について「技術的に可能な範囲で」という限定が付されている点である。ブラックボックス性が高い最新のAIモデルにおいて、完全な説明可能性を求めることは非現実的であるとの認識に基づき、実効可能なラインでの規律を設定したものと解される。
また、高影響AIの提供に先立ち、基本的人権への影響評価を実施することが義務付けられている。
3.3 一定規模以上のAIシステムへの規制
学習に使用された累積演算量が一定基準以上のAIシステムについては、開発段階からのリスク特定・評価・緩和およびリスク管理体制の構築が義務付けられ、その実施結果を科学技術情報通信部長官に提出しなければならない。これは、いわゆるフロンティアモデルを対象とした規制であり、開発者レベルでの安全担保を求めるものである。
4 ガバナンス体制と執行
本法は、規制の実効性を担保するための強固なガバナンス体制を構築している。
4.1 国家AI委員会
大統領直属の組織として「国家AI委員会」が設置される。委員長を大統領が務め、関係閣僚や専門家で構成されるこの委員会は、AI基本計画の策定や重要政策の審議を行う。AI政策を省庁レベルではなく、国家戦略の最上位に位置づける政治的意思の表れといえる。
4.2 AI安全研究所
科学技術情報通信部長官の下に「AI安全研究所」が設置・運営される。同研究所は、AIのリスク分析、安全評価基準の研究、技術標準化、国際協力を担う。英国のAISI設立以降、米国、日本でも同様の組織が立ち上がっているが、韓国もこれに続き、法的な設置根拠を持った専門機関を稼働させることになる。これは、高度な技術的知見を要するAI規制の執行において、専門家集団によるサポートが不可欠であることを示している。
4.3 域外適用と国内代理人
デジタル・プラットフォーマーに対する規制の実効性を確保するため、本法は域外適用を明記している。韓国内の市場または利用者に影響を及ぼす国外での行為にも本法は適用される。
これに伴い、一定規模以上の海外AI事業者に対しては、「国内代理人」の指定が義務付けられる。国内代理人は、当局への資料提出や高影響AIの確認申請等の窓口となる。日本企業を含む海外事業者にとって、これは韓国市場参入における重要なコンプライアンス要件となる。
4.4 罰則
違反に対するサンクションとして、3000万ウォン以下の過料が規定されている。通知義務違反、国内代理人未指定、是正命令違反等が対象となる。EU AI法のような巨額の制裁金ではないものの、行政指導や是正命令を通じたコンプライアンスを促す仕組みといえる。
5 日本のAI法規制議論への示唆
最後に、本法が日本のAI法制に与える示唆について検討する。
第一に、包括的法制化の是非と手法である。韓国は「基本法」という形式で、産業振興と安全規制をパッケージ化し、国会での立法プロセスを経て成立させた。日本では、ソフトロー中心のアプローチから、ハードローの導入へと議論が移行しつつあるが、韓国の事例は、必ずしも「厳格な規制」か「自主規制」かの二者択一ではなく、産業育成を大前提としつつ、守るべきレッドラインを明確にする中間的アプローチが可能であることを示している。
第二に、高影響AIの定義の具体性である。本法は、法律レベルで規制対象領域をかなり具体的に列挙している。これにより、事業者の予見可能性が高まるとともに、規制の過剰な広がりを防ぐ効果が期待できる。日本においても、抽象的なリスク概念にとどまらず、具体的なユースケースやセクターを特定した規制設計が求められよう。
第三に、AI安全研究所の法的・機能的位置づけである。本法により、AI安全研究所は明確な法的根拠を持つ機関として位置づけられた。AIの安全性評価や基準作りは、継続的かつ専門的な営みであり、これを支える恒久的な組織基盤の整備は急務である。
第四に、国際的整合性と独自性のバランスである。高影響AIの定義やリスクベースアプローチにおいてEU AI法との整合性を図りつつも、説明義務における技術的制約への配慮や、罰則の重さにおける抑制的な姿勢など、自国の産業事情に合わせた調整が見られる。これは国際標準の受容と土着化の試みといえる。
6 むすび
2026年、韓国AI基本法の施行により、アジアにおけるAIガバナンスは新たなフェーズに入った。
AIという、定義すら定まらない流動的な対象に対し、法がいかに関与し、統制し、そして育成しうるか。韓国の挑戦は、その一つの壮大な実験である。
「断片化」しがちなAIのリスクと、「因果関係」の不透明なAIの判断に対し、法がどのような「信頼」の架橋を築けるのか。隣国の実践から得られるデータは、日本の法政策にとっても貴重な財産となるはずである。
施行後の運用実態、特に企業側の対応や当局の執行姿勢について、引き続き注視していく必要がある。
参考資料
1 South Korean Ministry of Government Legislation, Basic Act on the Development of Artificial Intelligence and Establishment of Trust(인공지능 발전과 신뢰 기반 조성 등에 관한 기본법)(Law No. 20676, enacted Jan. 21, 2025; enforced Jan. 22, 2026)〔English Translation〕Etcetera Language Group, Inc. (trans.), Ben Murphy (ed.), Center for Security and Emerging Technology (CSET), trans. date July 9, 2025.
https://cset.georgetown.edu/publication/south-korea-ai-law-2025/
2 Korean Law Information Center(국가법령정보센터)(Ministry of Government Legislation), Basic Act on the Development of Artificial Intelligence and Establishment of Trust(Law No. 20676).
https://www.law.go.kr/법령/인공지능 발전과 신뢰 기반 조성 등에 관한 기본법/(20676,20250121)
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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