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WHO「デジタルヘルスに関するグローバル戦略2020-2027」 / 健康データの法的規律 雑感


Ⅰ 文書の位置づけと読み方

 2025年12月、ポルトガルの法律実務家がLinkedIn上で世界保健機関の文書「Global strategy on digital health 2020-2027」に言及しているのを目にし、原典を確認した。本戦略はもともと2020年から2025年を対象期間として策定され、第73回世界保健総会の決議WHA73(28)で採択されたが、2025年5月23日の第78回世界保健総会における決議WHA78(22)により期間が2027年まで延長され、改訂版として発行されたものである〔注1〕。内容は2020年版と実質同一である〔注2〕。

 この文書を読んで感じるのは、策定から5年が経過したいま、この戦略が想定した「デジタル」の射程が急速に陳腐化しつつあるという事実と、それにもかかわらず法的・倫理的な基盤整備という核心部分は依然として十分な応答を得られていないという非対称性である。特に健康データの法的規律と相互運用性の問題は、AIが医療判断に深く関与しつつある現在、検討の緊迫度が増している。

1 デジタルヘルスの定義とその含意

 本文書はデジタルヘルスを「デジタル技術の開発と使用に関連する知識と実践の領域」と定義し、従来のeHealthを包摂しつつAIや機械学習、ビッグデータ解析、IoTを射程に収めた〔注3〕。2020年当時としては相当広い定義であったが、2025年時点で生成AIが医療診断補助や患者コミュニケーションに実装される現実を前にすると、この定義は必要条件にすぎず十分条件ではないと感じざるを得ない。法規制の対象を画定するための概念として機能するには、技術の具体的な作動様式を捉えた再定義が遅かれ早かれ必要になるだろう。

2 健康データの法的地位

 本文書が健康データを「要配慮個人情報に相当するデータ」として位置付け、プライバシー・機密性・完全性・可用性の保護のための強固な法的・規制的基盤の整備を加盟国に求めている点は評価できる〔注4〕。患者自身のデータへのアクセス権、透明性のある情報提供、データ処理に対する同意の取得を実質的に保障する法的根拠を各国が整備することを求める立場は、2005年以来のeHealth決議群〔注5〕の中で最も明確な規範的要請といえそうである。

 筆者は、ここで求められる法規制とは単なる個人情報保護法の準用にとどまらず、人の生命や身体に直結する医療領域特有の精緻な規律であると解する。サイバー攻撃への対策やデータ処理における説明責任の明確化は、新しい医療技術に対する社会的な信頼を形成する前提条件であり、法的基盤なき技術実装は信頼調達に失敗するという単純な構図がここにある。

 もっとも、法的保護の具体的な要件については「国際的に合意された共通の法的要件が加盟国の承認を経て定められる」という将来的な言及にとどまっており、現時点では規範の空白が続いている。EUがGDPRという具体的な法的枠組みを持ち、日本が個人情報保護法の医療分野適用を議論している文脈と比較すると、本文書が提示できるのは原則の列挙であって制度設計の具体像ではない。

Ⅱ 医療データの一次利用と二次利用

 個人を中心とした医療情報のネットワークにおいて、公益を目的とした健康データの共有は患者の同意を条件として推奨されている。本文書はこの共有を一次利用と二次利用に整理しており、それぞれ異なる法的問題を孕む。

1 ケアの継続性を支える一次利用

 患者の継続的なケアや医療サービスの質向上を目的とする一次利用は、医療提供者間での信頼に基づくデータ交換によって成立する〔注6〕。医療データを安全に処理できる環境の整備が、医療従事者の負担軽減と患者への適切な医療提供に直結するという構図はわかりやすい。問題はその「安全」の基準を誰がどのような手続きで設定するかであり、本文書が示す相互運用性のための国際標準化ガイドラインの策定という方向性〔注7〕は正論であるが、策定権限と執行メカニズムが不明確なまま残されている。

2 AIと機械学習に向けた二次利用

 医療データの二次利用については、データセットの適切な処理を通じてAIや大規模データ分析のテスト・検証・基準評価を倫理的に管理することが想定されている。WHOは健康データの仮名化および匿名化に関する推奨事項を策定する方針を明示しており〔注8〕、個人情報保護とデータ利活用の衡平を図るうえでこの動向は注目に値する。

 筆者が一考したいのは、仮名化・匿名化の法的基準が国際標準として実際に機能するためには、技術的要件の標準化と並行して、各国の執行機関が相互に認証し合う仕組みが必要であるという点である。本文書はデータガバナンスにおける役割と責任の明確化を求めているが、国境を越えたデータ移転が常態化した現在、各国の規制が実質的に乖離したまま「相互運用性」だけが追求されるという逆説を防ぐための規範的調和がより切実な課題となっている。

Ⅲ むすびにかえて

 グローバル戦略の対象期間が2027年まで延長されたという事実は、医療情報のデジタル化とそれに伴う法整備が当初の想定以上に時間を要する複雑な過程であることを示している。データの越境移転やAIの利用に伴う法的リスクを抑制しつつ技術の便益を享受するためには、確固たる制度的裏付けが欠かせない。本文書は戦略文書であって条約的拘束力を持つ法的文書ではないから、その限界は自明である。それでも、日本においても健康データのセカンダリーユースやAI診断補助の規制設計を議論する際、本文書が提示する指導原則と戦略目標は参照点として機能するだろう。本文書を読むことで、国際的な議論がどこまで到達していて何が未解決のまま残されているかを確認できることに、その価値の相当部分があると考える。

〔注1〕 World Health Organization, Global strategy on digital health 2020-2027, Geneva: World Health Organization, 2025. Licence: CC BY-NC-SA 3.0 IGO. ISBN 978-92-4-011687-0 (electronic version).

〔注2〕 同上 p.5. 本文書は "Apart from the revised timeline, the contents of the updated strategy are identical to those in the Global Strategy on Digital Health 2020–2025." と明記している。

〔注3〕 同上 p.11. デジタルヘルスの定義として "the field of knowledge and practice associated with the development and use of digital technologies to improve health" とされており、IoT・AI・機械学習・ロボティクス等への拡張が明記されている。

〔注4〕 同上 p.11. 健康データは "sensitive personal data, or personally identifiable information, that require a high safety and security standard" に分類され、プライバシー・機密性・完全性・可用性の保護のための強固な法的・規制的基盤の必要性が強調されている。

〔注5〕 本文書が依拠する世界保健総会決議として WHA58.28 (2005), WHA66.24 (2013), WHA69.24 (2016), WHA71.7 (2018) が列挙されている(同上 p.4参照)。

〔注6〕 同上 p.12. 健康データの一次利用として「患者のケアの継続性および医療サービスの質の向上」が示されている。

〔注7〕 同上 p.25. 第3の戦略目標の成果として、グローバルなインターオペラビリティ標準に関する自発的なガイドラインの策定が掲げられている。

〔注8〕 同上 p.25. 第3の戦略目標の成果として "a set of recommendations is developed for pseudonymization and anonymization of health data" が明記されている。

(マガジン)「AIと法-雑感」

 ※目次は以下を参照

note総則規約3条2項前段
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