ホワイトハウス経済諮問委員会(米CEA)報告書「Artificial Intelligence and the Great Divergence」 / AIと経済を読む雑感
0 はじめに
18世紀後半の産業革命により、西欧とその他地域との経済格差が飛躍的に拡大した現象は、歴史家ケネス・ポメランツの言う「大いなる分岐(Great Divergence)」として知られる。では、現代の人工知能は第二の大いなる分岐をもたらすのだろうか。2026年1月に米国大統領経済諮問委員会(Council of Economic Advisers, CEA)が公表した報告書「Artificial Intelligence and the Great Divergence(AIと大いなる分岐)」は、この問いを念頭に、AIが経済にもたらしつつある構造変化と米国の戦略的対応を分析している。
Council of Economic Advisers, Artificial Intelligence and the Great Divergence, January 2026.https://www.whitehouse.gov/research/2026/01/artificial-intelligence-and-the-great-divergence/
今回は、同報告書の内容を手がかりに、AIが引き起こす国家間競争の動向とその法・政策上の含意について考察する。国際的なAIガバナンスの文脈が協調路線から競争路線へと移りつつある現状を踏まえ、日本を含む同盟国の進路と法制度の課題を検討したい。
1 問題の所在 AI主導の新たな格差拡大リスク
報告書によれば、既にAIの恩恵の偏在ぶりがデータに表れている。2024年時点で世界のAI利用の約85%を高所得国が占める一方、低所得国は1%未満にとどまっており、その一因として電力不足が指摘されている。AIの普及度合いは各国のGDP規模と強く相関しており、電力・データセンター・インターネット接続・言語資源・デジタル技能といった「AIのビルディングブロック」へのアクセス格差が技術利用の格差につながっている。
こうした傾向は先進国間でも顕著である。報告書によれば、EUは1980年に世界GDPの27%を占めていたが2025年には14%にまで低下し、2013年から2024年の民間AI投資額も米国の約4700億ドルに対しEU全体で500億ドル程度と大きな開きがある。技術革新への対応や経済政策の違いが、同じ先進国の間ですら成長率の差となって現れているのである。
国連開発計画(UNDP)が2025年に発表した報告書「The Next Great Divergence(次の大いなる分岐)」も、AI時代における国家間格差拡大のリスクに警鐘を鳴らしていた。今回のCEA報告書は、米国政府の経済分析機関の立場から、AIがもたらす経済的「分岐」の現状を定量的に示し、政策対応の必要性を説いている点で興味深い。AIは新たな富と力を生み出す源泉であると同時に、準備のできた者とできない者との間に決定的な差異を生む。この構図は産業革命期と類似しており、AIが第二の大いなる分岐を招く可能性を十分に孕んでいると言えよう。
2 米国の戦略 インフラ投資と規制緩和の加速
2.1 One Big Beautiful Bill Actと税制優遇
こうした格差拡大の潮流に対し、米国は政策インフラの大規模なテコ入れによって先手を打とうとしている。トランプ政権下で2025年7月に成立したOne Big Beautiful Bill Act(公法119-21号、通称OBBB法)は、その代表例である。同法は設備投資の即時償却を復活・拡大し、各種の投資減税措置を延長することで企業の積極投資を促す内容となっている。
報告書によれば、OBBB法はITインフラやデータセンター設備に対する100%控除(ボーナス償却)を復活させており、CEAの試算ではこれにより投資額が7〜10%増加してデータセンターや電力インフラ、半導体製造設備の建設が加速すると見込まれる。同法にはAI関連の政府投資も含まれており、今後4年間のGDP成長率を年平均で1%以上押し上げ、一人当たり実質賃金を4000〜7200ドル底上げする効果が予測されている。
2.2 規制緩和とエネルギー・ドミナンス
規制環境の整備も急ピッチで進められている。2025年7月にはデータセンターおよび関連するエネルギー・製造インフラの許認可手続きを迅速化する大統領令が発出され、同年12月には州レベルの規制障壁を低減する大統領令が署名された。CEAの分析によれば、これら一連の規制緩和策によって、今後20年間の米国GDP成長率は毎年0.3〜0.8%ポイント上乗せされ、2045年までに累計で6〜17%ものGDP押上げ効果が得られる可能性があるという。
報告書はまた、米国のAIアクションプラン(2025年7月公表)に言及し、同プランが「AIにおける国際的優位(dominance)の確立」を目標に掲げている点を強調する。具体的には、全国的にデータセンターを迅速に建設するため環境影響評価(NEPA法)の適用除外を拡大すること、官民の研究開発を加速するため各省庁によるAI研究への直接投資やAI卓越拠点の設立を進めること、そしてAIモデル上での言論の自由を保障すべく政府調達要件を見直し、偏ったバイアスのない客観的なAIシステムのみを採用することなど、多面的な施策が講じられている。
2.3 パックス・シリカと国際的な同盟構築
米国の攻勢は対外経済政策にも及んでいる。地政学的に注目すべきは、米国が主導して創設した「Pax Silica(パックス・シリカ)」と称する国際的なAIサプライチェーン・パートナーシップである。パックス・シリカには、日本(半導体製造装置など上流分野の主要供給国)からカタール(データセンターへの大型投資国)まで、多様な国々が参加している。報告書によれば、パックス・シリカ参加国の経済成長は非参加国を大きく凌駕しており、ChatGPT公開後の2022年第4四半期から2025年第3四半期までの実質GDP成長率は平均2.5%と、G7諸国平均の1.1%を倍以上上回ったという。
3 労働市場への影響とジェボンズのパラドックス
CEA報告書は近時の実証研究を紹介しつつ、現時点での雇用への影響は一様ではないと指摘する。生成AIの普及にさらされている職種では新人層の雇用が減少し始めているとの報告がある一方、現時点でAI露出度と失業率に有意な相関は見られないとの研究もあり、さらにAIが直接代替可能な部門では雇用が減る一方で、AI活用に依存する部門では雇用が増加するとの分析も示されている。2025年末時点で米国の失業率は4.4%と低水準に維持されていることも併せ考えると、少なくとも現段階ではAIが大規模失業を引き起こしている兆候はない。
ここで重要なのが、19世紀の経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズが提起したジェボンズの逆説(Jevons' Paradox)である。ジェボンズの逆説とは、ある技術革新によって資源(労働を含む)の利用効率が向上した場合、一単位あたりに必要な資源投入量が減少するにもかかわらず、その効率化によるコスト低下が需要拡大をもたらす結果、総体としての資源需要が却って増えてしまうという現象を指す。CEA報告書は、これらの条件が充足される限りAIは長期的には労働需要を増大させうることを強調し、歴史上も蒸気機関、電力、コンピュータ、インターネットといった汎用技術は最終的に雇用と所得の拡大をもたらしてきたと指摘する。
4 国際AIガバナンスの潮流:協調から競争へ
近年のAIガバナンスを巡る国際動向は、大きな転換点を迎えている。ここ数年、主要国はAIの倫理的・法的課題に共同で取り組む姿勢を示してきた。2023年のG7広島AIプロセスでは、人権尊重や信頼性確保を掲げた国際指針作りがなさられ、EUも世界に先駆けて包括的なAI規制法制定した。
一方で、米国CEA報告書に表れているように、「AI競争に勝利する」ことを前面に打ち出すナショナルな戦略が台頭してきたことも否めない。米国は盟邦と組んでパックス・シリカの下にグローバルなサプライチェーンを囲い込み、中国や非協調的な国家との差を広げようとしている。これは裏を返せば、AI分野において民主主義国とそれ以外のブロック化が進行しつつあることを意味する。
5 日本および同盟国への含意と法制度の展望
以上を踏まえ、米国と歩調を合わせる日本をはじめ同盟諸国にはどのような課題と展望があるだろうか。まず、日本はパックス・シリカの一員として、半導体製造装置や素材といった分野で世界的地位を占める強みを持つ。米国主導のAI供給網構築に寄与し、自国企業にも恩恵を取り込む戦略は、経済安全保障の観点からも理に適っている。
しかし、日本が直面する最大のチャレンジは、イノベーション促進と規制のバランスであろう。米国のように大規模減税や大胆な規制緩和で民間活力を引き出す手法は、有効性とともに副作用も伴う。日本の法制度は従来、慎重なリスク評価と合意形成を重んじてきたが、AI時代の変化のスピードは前例のないものがある。立法・行政のプロセスをいかに迅速かつ柔軟にしつつ、同時に国民の信頼を維持するかが問われている。
6 むすびに
2026年のCEA報告書「AIと大いなる分岐」は、AIをめぐる国際競争が、もはや技術開発の優劣だけではなく、電力、土地、税制、そして法規制のデザインを含む総力戦のフェーズに突入したことを告げる宣言書である。
米国は、環境規制の緩和や巨額の税制優遇を通じて、物理的な計算基盤を国内に集積させる実利のアプローチを徹底している。これに対し、包括的なAI規制法を先行させたEUが経済的に停滞しているという報告書の分析は、法の役割を「リスクの制御」に置くか、「イノベーションの加速」に置くかという、法学的なジレンマを我々に突きつけている。
日本にとって、この第二の大いなる分岐は、パックス・シリカの一員として米国の成長軌道に同乗する機会であると同時に、自国の法制度や社会的価値観との整合性を問われる試練でもある。本報告書は、その戦略的思考を促す極めて重要な資料であると言える。
参考資料
Council of Economic Advisers, Artificial Intelligence and the Great Divergence, January 2026.https://www.whitehouse.gov/research/2026/01/artificial-intelligence-and-the-great-divergence/
Kenneth Pomeranz, The Great Divergence: China, Europe, and the Making of the Modern World Economy, Princeton University Press, 2000.
(マガジン)「AIと法雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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