スロベニアAIエコシステム / 小国のAIガバナンスは「実装」へ雑感
つい先日、日本では、国民の生成AI利用を将来8割にすることなどを掲げた日本政府の初基本計画案の全容が発表されたところである(2025.12.2)。また、具体的な中身として、人工知能基本計画(案)・人工知能関連技術の研究開発及び活用の適正性確保に関する指針(案)も発表されたところである。今回取り上げるスロベニアのAIガバナンス、イノベーション、制度準備は日本のAIガバナンスの検討に当たっても比較法的に参考になる点が多いように思える。
(参考)
EU AI Actの話題は、どうしても条文と定義と義務の話に収斂しがちである。だが、規制が社会に作用するのは、条文が美しいからではない。行政組織が動き、事業者が自社の現場に引き寄せ、監督と支援の仕組みが回り、研究・教育・インフラ投資が噛み合うからである。
(参考)
EU AI Actが2026年に向けて全面適用へ進む過程で、スロベニアがAIガバナンス、イノベーション、制度準備をどう組み立てているかを俯瞰する。
面白いのは、「スロベニアのAI法制」そのものというより、法制と政策とインフラと人材が、同じテーブルに載っている点である。AIガバナンスは、法務部の棚に置かれるべき“規程集”ではなく、国家(あるいは企業)が持つ運用能力の束である、という当たり前のことが滲みでる。
まず、制度の骨格である。スロベニアは2021年にAI開発・利用促進の国家プログラム(NpUI)を採択し、研究、教育、公共サービス、経済へのAI統合に関する戦略目標を掲げている。さらにEU AI Actの実装に向け、デジタル変革省を中心的な実施当局の一つとして位置づけ、専門家評議会(expert council)を設け、2026年までにAI規制サンドボックスを稼働させる構想も示される。加えて、2025年11月末に新たなAI法が施行され、権限が複数当局に分掌されている。
ここには、EU法(規則)としてのAI Actが「国内法への転換」を要しない一方で、「国内の担当当局・手続・監督能力の整備」は不可避である、という現実がある。規制は“欧州から降ってくる”のではなく、“国内で回さなければ存在しない”。小国の話に見えて、実は加盟国共通のコア課題である。
次に、国際連携が単なる飾りではなく、実装の部品として書き込まれている点である。スロベニアがUNESCOの下でIRCAI(International Research Centre for Artificial Intelligence)をホストし、OECD AI Observatoryへの関与やUNESCOのAI倫理勧告との整合を強調すること、またEUのCoordinated Plan on AIやEuropean AI Factories networkに関与し、Slovenian AI Factory(SLAIF)を通じて欧州の枠組みに接続している。
ここで重要なのは、倫理原則を唱えること自体ではない。倫理原則が、教育プログラム、公共部門の導入、研究開発投資、標準化活動と結びついて「調達・実証・監督」の言語になるとき、初めて統治の力を持つ。その回路を国家が自覚的に引くか否かで、同じ“リスクベース”でも実務の密度が変わる。
三つ目は、インフラである。AIガバナンスの議論は、透明性・説明可能性・人間の監督といった美徳語で終わりやすい。だが、スロベニアのAIガバナンスでは計算資源とデータ基盤をかなり真正面から扱う。HPC RIVRやEuroHPCへの参加、FAIR原則に沿うデータ環境、国家データ基盤の整備といった要素が、法制度・政策と同じレベルで語られる。
これは示唆的である。計算資源は市場で買える、で片付けられがちだが、実際には(特に公共部門や中小企業にとって)アクセス可能性・利用支援・人材・ガバナンスがセットでなければ資源は死蔵される。規制とインフラは別物ではなく、同じ運用能力の裏表である。
四つ目は、人材と社会的支持である。AI人材の集中度が一貫して上昇しているとしつつ、規模の制約ゆえに民間吸収力やR&D母集団の狭さ、EU連動への依存などがボトルネックになり得る。
さらに、2025年のEurobarometerを引きつつ、AI等のデジタル技術の発展を基本権・価値に整合させるために公当局が主導すべきだと考える国民が80%に達する、といった社会的受容の記述もある。
ここで気になるのは、受容の高さが「規制強化」への支持なのか、それとも「国家がちゃんと舵を取れ」という統治能力への期待なのか、という点である。後者であれば、求められているのは“規制の量”ではなく“運用の質”である。サンドボックスや専門家評議会は、その質を担保するための制度装置として理解すべきだろう。
EU AI Act的なコンプライアンスが最終的に突き当たるのは、「そもそも自社(自庁)にAIがどれだけ、どこに、どの用途で入っているのか」という地味な問いだからである。リスク分類も、技術文書も、人的監督も、棚卸しがなければ始まらない。規制が“紙”から“運用”に変わる瞬間は、往々にして棚卸し台帳の作成から始まる。
雑感としての結論は単純である。スロベニアの事例が教えるのは、「小国でも先進国でも、AIガバナンスの勝負所は条文ではなく実装能力である」という一点である。
担当当局を定め、専門家の回路を作り、サンドボックスで実証と監督を接続し、計算資源とデータ基盤を整え、教育と社会的対話を並走させる。そうした運用能力が、AI Act時代の競争力そのものになっていくといえそうである。
そして、この束は、理念だけでも、技術だけでも作れない。制度・政策・インフラ・人材・社会的支持を同じ図面に載せて初めて成立する。AIガバナンスが「エコシステム」と呼ばれる所以であるように思える。
参考資料
Sean Muschほか『EU AI Act: Slovenia AI Ecosystem Brief』(AI & Partners B.V., 2025年12月)
European Parliament and the Council of the European Union, Regulation (EU) 2024/1689 of 13 June 2024 laying down harmonised rules on artificial intelligence (Artificial Intelligence Act), OJ L, 2024/1689.
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
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