EU「デジタル・オムニバス on AI」理事会マンデートを読む 雑感③
Ⅰ 法と社会実装の摩擦の調整
2026年3月13日、EU理事会はAI法(Regulation (EU) 2024/1689。以下「AI法」という)の施行簡素化を目的とした改正提案「Digital Omnibus on AI」について、欧州議会との交渉マンデートを採択した〔注1〕。AI法は2024年8月1日に発効し〔注2〕、その規定は段階的に適用されてきたが、施行過程において整合規格の策定遅延、加盟国レベルでのガバナンス体制構築の停滞、そして中小事業者を中心としたコンプライアンス負担の肥大化という現実的な問題が次々と顕在化していた。
本マンデートは、法の理念を維持しつつも、実社会への実装段階で露呈した齟齬を立法的手段によって解消しようとする試みである。しかし条文を精読すると、施行の簡略化という正面の目的の背後に、禁止規定の実体的追加、適用時期の全面的な再設定、そしてAIオフィスの執行権限の大幅な強化という、規制の骨格にかかわる変更が含まれていることがわかる。適用期限の緩和と禁止類型の拡充というまったく逆方向の修正が同一文書の中で並走している事実は、AI規制の現在地を端的に示している。
Ⅱ 主要な改正事項の検討
1 高リスクAI義務の適用時期の再設定
改正の実務的影響がもっとも顕著に現れるのが、高リスクAIシステムに関する義務の適用スケジュールの変更である。改正後の113条3項(dc)号は、AI法Chapter III(Sections 1、2、3)に定める高リスクAI義務の適用時期を全面的に再設定する〔注3〕。
仕組みはこうである。欧州委員会がコンプライアンス支援措置の整備を確認する決定を採択し、その後一定期間を経て義務が適用開始となる。Annex III掲記のシステム(いわゆるスタンドアロン型高リスクAI)については委員会決定から6か月後、Annex I掲記の製品に組み込まれるシステムについては12か月後が適用開始日となる。委員会決定がなされない場合や、当該決定を起算点とする日付がより遅くなる場合には、前者については2027年12月2日、後者については2028年8月2日がそれぞれの最終期限として機能する。当初の一般的な適用開始日である2026年8月2日と比較すると、実質的な延期幅は相当大きい。
この「委員会決定」への連動という仕組みは一定の柔軟性をもたらす半面、その決定がどのような基準でなされるかが明確でなければ事業者は対応計画を立てにくく、法的安定性という観点からは懸念が残る。
2 Article 5への新たな禁止規定の追加
適用スケジュールの緩和的措置とは対照的に、禁止されるAI行為を定めるAI法5条には2つの新たな類型が追加される〔注4〕。
(ba)号は、特定の自然人のリアルな性的部位または性的活動への関与を描写する画像・映像・音声等を、当事者の自由かつ明示的な同意なく生成・操作・再現する能力を持つAIシステム(いわゆるNCII生成AIシステム)の市場投入・使用を禁止する。(bb)号は、Directive 2011/93/EUの定義する児童性的虐待素材(CSAM)を生成・操作・再現する能力を持つAIシステムの市場投入・使用を禁止する。ただし、捜査目的での当局による正当な利用など国内法上の「without right」の抗弁が適用される場合はこの限りでない〔注5〕。
新設の1a項では「能力」(capability)の定義が明確化されている〔注6〕。対象となるのは、当該コンテンツの生成を意図するシステムと、有効な技術的安全措置を備えないまま合理的に予見可能かつ再現可能な形で当該コンテンツを生成しうるシステムの2類型に限定される。ディープフェイク技術の悪用が個人の尊厳を深く傷つける事態に対処するため、提供者に対して結果回避のためのセーフガード実装を法的に強制するものであり、2027年2月2日からの適用が予定されている〔注7〕。
この「有効な技術的安全措置」の実効性をどう評価するかという執行上の難題は今後に持ち越されるが、社会的に看過しがたい新たな権利侵害に対して事後的にでも躊躇なく禁止規定を導入するEUの機動性は評価できる。
3 バイアス検出のための特別カテゴリー個人データ処理
新設の4a条は、AIシステムにおけるバイアスの検出と是正という公益的観点から、厳格に必要とされる範囲に限り、仮名化等の適切な保護措置を条件として特別カテゴリーの個人データの例外的処理を許容する〔注8〕。従来は高リスクAIシステムの提供者にのみ認められていたこの処理権限が、その他のAIシステムおよびモデルの提供者・展開者にも拡張された点が実質的な改正内容である。差別的出力の防止という要請に応えるための実務的対応として理解できる。
4 AIオフィスの監督・執行権限の強化
条文量と制度的重要性の両面で今回の改正の中核をなすのが、AIオフィスの監督・執行権限に関する一連の新設規定である。改正後の75条1項は、AIオフィスの排他的管轄に服するAIシステムの類型を整備する〔注9〕。汎用AIモデルを同一事業者または同一グループ内の事業者が開発したシステム(ただし、Annex I掲記の製品関連システム等の例外を除く)と、超大型オンラインプラットフォームまたは超大型オンライン検索エンジンとして指定されたシステムがその対象となる。
さらに新設の75a条から75e条において、調査開始・情報請求・立入検査・コミットメント・違反認定・制裁金・履行強制金という段階的な執行手続が詳細に規定される〔注10〕。EU競争法の執行手続に類似した構造が採用されており、AIオフィスを法執行における実質的な中枢機関として確立しようとする意図を反映している。権限行使にあたってはEU基本権憲章の遵守が明示され、比例原則・防御権保障・二重処罰禁止原則等の適用も確認されている。
5 その他の改正事項
AIリテラシーに関する4条については、事業者に対する義務的な確保要件を廃し、欧州委員会および加盟国が奨励する枠組みへと転換される〔注11〕。一律規制の非効率性への対応として正当化されているが、強制力を持つ義務から努力奨励へという転換が政策目標の実現可能性に及ぼす影響は今後見極める必要がある。AI規制サンドボックスの設置期限は2027年12月2日まで延長され(改正後57条1項)、AIオフィスによるEUレベルのサンドボックス設置の可能性も新設された(同57条3a項)。また49条2項の削除により、Article 6条3項に掲げる一定のAIシステムについてのEUデータベース登録手続が簡略化される。
Ⅲ むすびにかえて
AI法は静的な完成品ではなく、技術の進化と実社会からの要請を受けて絶えず改訂される動的な枠組みである。Digital Omnibus on AIが示したのは、過剰な負担による技術開発の阻害を防ぐための緩和と、直接的危害を防ぐための規制強化という相反する要請を、同一文書の中で同時に処理しなければならないという現代EU立法の宿命的な課題である。
今後の焦点は、このマンデートを前提とした欧州議会との三者協議(trilogue)において各条文がどの程度修正されるかにある。特に、AIオフィスの執行権限の範囲と手続的保障のバランス、そして高リスクAI適用時期の「委員会決定」メカニズムの運用基準については、議会側の対案次第で最終的な法文が相当変わりうる。AI法という枠組みの実質的な内容を規定するのはこうした修正規則や実施措置であることを、本マンデートは改めて示している。詳細については、原典をご確認いただきたい。
〔注1〕 Council of the European Union, Document 7322/26, "Outcome of Proceedings: Proposal for a REGULATION OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL amending Regulations (EU) 2024/1689 and (EU) 2018/1139 as regards the simplification of the implementation of harmonised rules on artificial intelligence (Digital Omnibus on AI) – Mandate for negotiations with the European Parliament", Brussels, 13 March 2026, Interinstitutional File: 2025/0359 (COD).
〔注2〕 Regulation (EU) 2024/1689 of the European Parliament and of the Council of 13 June 2024 laying down harmonised rules on artificial intelligence (Artificial Intelligence Act), OJ L, 2024/1689, 12.7.2024, ELI: http://data.europa.eu/eli/reg/2024/1689/oj.
〔注3〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(31)(a) (AI法第113条3項に新たな(dc)号を追加する改正).
〔注4〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(5a)(a) (AI法第5条1項に(ba)号および(bb)号を追加する改正).
〔注5〕 上掲Document 7322/26, Annex, Recitals (6a) and (6b).
〔注6〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(5a)(b) (AI法に新設の第5条1a項を挿入する改正).
〔注7〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(31)(-a) (AI法第113条3項(a)号を改正する規定。第5条1項(ba)(bb)号および1a・1b項の適用開始日を2027年2月2日と定める).
〔注8〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(5) (AI法に新設の第4a条を挿入する改正).
〔注9〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(25)(b) (AI法第75条1項を改正する規定).
〔注10〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(25a) (AI法に第75a条から第75e条を新設する改正).
〔注11〕 上掲Document 7322/26, Annex, Article 1(4) (AI法第4条を全面改正する規定).
(マガジン)「AIと法雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
3.2 クリエイターが制作したデジタルコンテンツの著作権は、クリエイターに帰属します。
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