インド「ディープフェイク規制法案2024」の射程と日本の人工知能基本計画との比較雑感
0 はじめに
インドのAI動向については以下を参照いただきたい。
ディープフェイク規制は、技術が先、法が後であることが常といえそうである。しかも、追いかける側の法は、往々にして二つの方向に向かうことが多い。第一に、被害の深刻さに引きずられて「全部禁止」に傾く方向。第二に、技術の細部に踏み込むあまり、法が技術仕様書になる方向である。前者は表現や創作の領域を過剰に萎縮させる、後者は技術進化に負けてすぐ陳腐化すリスクに晒される。したがって、ディープフェイク規制の設計は、禁止の線引きと、真正性の担保と、執行可能性の三つの側面での対応になる。
この点で興味深いのが、インド議会下院(Lok Sabha)に私的議員立法案として提出された「The Regulation of Deepfake Bill, 2024」である〔1〕。同法案は、2025年12月5日に下院で紹介(introduced)されたと報じられている〔2〕。他方で、提出のための通知自体は2024年11月に受理されており〔3〕、法案番号も「193 of 2024」となっている〔1〕。立法過程のタイムスタンプが複層的である点自体、制度の遅れの中で、政策課題が温度を保ったまま残存していることを示しているとも取れそうである。
インド議会下院(Lok Sabha)『The Regulation of Deepfake Bill, 2024(Bill No. 193 of 2024)』(As introduced in Lok Sabha)https://sansad.in/getFile/BillsTexts/LSBillTexts/Asintroduced/193%20of%202024%20AS125202595114PM.pdf?source=legislation(最終閲覧日:2025年12月20日)。
1 「パッケージ型」立法の構造
法案の骨格は、①「ディープフェイク」や「デジタル透かし(digital watermark)」等の定義を置いた上で、②同意なし又は透かしなしでの作成・配布等を一定類型に限って犯罪として位置づけ〔1〕、③対策の司令塔としてDeepfake Task Forceを設置し〔1〕、④対策基金や公衆教育キャンペーンを制度化する、というものである〔1〕。そして、別途「開示(Disclosure)」として、インターネットで流通させる意図又は認識の下で「技術的に高度な欺罔的ななりすまし記録」を生成する者に対し、透かし付与又は権利者からの同意取得を求める規定が置かれている〔1〕。さらに、この法律は他の法律に優先するとする一般的な優越条項も含む〔1〕。いわば、刑事介入だけでなく、透明化と制度的インフラを一つの束にして提示する「パッケージ型」立法であるといえそうである。
条文の肝は、二つのである。すなわち「同意」と「透かし」である。法案は、同意の定義を「自由意思に基づく、強制・詐欺・錯誤のない合意」と比較的丁寧に書き込む〔1〕。ディープフェイクの定義も、単なる加工一般ではなく、「本人が行っていない言動を真正らしく描写し、欺罔的に説得力ある描写をする意図」を含む形で設計されている〔1〕。ここには、①本人性(誰の言動か)と、②真正らしさ(どれだけ騙せるか)と、③意図(なぜ作ったか)という三つの要素で、規制対象を「単なる編集」から切り離そうとする意思が見える。
2 被害類型からの逆算
犯罪化の射程も、無限定ではない。法案は、同意・透かしを欠くディープフェイクの作成・流通等のうち、(a)性的内容を伴う嫌がらせ、(b)暴力や紛争の扇動又は選挙を含む公式手続への干渉、(c)詐欺・なりすまし・身元窃取に関連するもの、という三類型を明示して犯罪とする〔1〕。言い換えれば、「被害の典型」から逆算して刑事介入の必要性を基礎づける構造であり、いわゆる「何でもディープフェイク罪」を避けようとしている。もっとも、入口要件として同意・透かしを先に立て、その上で意図や危険(credible threat)で絞るため、運用次第では立証の重心が「何がディープフェイクか」「透かしは適切か」に寄る。ディープフェイクをめぐる訴訟・捜査が技術鑑定ゲーム化するリスクは、どの国でも避けがたい。
さらに面白いのは、刑事規制の“重さ”に比して、刑の種類・上限といった量刑設計が条文上は明確でない点である。法案は「犯罪である」と宣言するが、具体的な刑罰規定が置かれていない〔1〕。Task Forceの機能として「個別事案ごとのペナルティの程度を決定・勧告する」旨まで書かれているが〔1〕、刑罰法規の明確性や権力分立との関係で、どのように整合させるのかは、もし立法化を本気で目指すなら詰めが必要になる。逆に言えば、現時点では「刑事介入すべき典型被害」を政治的に可視化することに主眼があり、量刑や執行の詳細は(政府法案へのバトンタッチを含め)後続作業に委ねる、という読みも成り立つ。
3 「対策法」としてのTask Force
この法案が「規制法」というより「対策法」の性格を帯びるのは、Task Forceの機能設計である。同組織は、国家安全保障上の含意の評価、蔓延状況の把握、検知技術の研究開発、他機関支援、プライバシーや市民参加(選挙を含む)への影響評価、ブロックチェーン活用可能性の検討、官民学連携の促進等を任務とする〔1〕。加えて、対策基金を創設し、民間企業への資金拠出を予定すること、さらに公衆教育キャンペーンを1年以内に開始することも掲げる〔1〕。財政面でも、年間100 croreルピー規模の経常支出等が見積もられている〔1〕。ディープフェイク問題は、違法コンテンツの摘発だけで解ける問題ではなく、検知技術の軍拡と、社会のリテラシーの底上げを同時に要求する。そこに国家が「研究開発と啓発」まで含めてコミットする設計は、政策として綺麗に見える。
4 比較法的視点:日本の「反転攻勢」戦略との対比
このインドの「垂直的な刑事介入」のアプローチに対し、対照的なのが日本の最新の動向である。日本政府が策定を進める「人工知能基本計画(案)」は、基本構想として「世界で最もAIを開発・活用しやすい国」を掲げ、規制よりも産業競争力の回復(「反転攻勢」)に重心を置く〔7〕。インドがディープフェイクを「規制すべき害悪」として捉え、いわば刑罰の威嚇で抑え込もうとするのに対し、誤解を恐れずにいうと日本はAIを「日本再起のエンジン」と位置づけ、リスク対応さえもイノベーションの基盤として組み込み対策を検討しているといえる。
この違いは、ディープフェイク対策の具体論において鮮明になる。インド法案が透かし(digital watermark)の欠如を犯罪構成要件の一つとして扱う(=ハードロー)のに対し、日本の「適正性確保指針(案)」は、電子透かしや来歴管理の実装を、あくまで事業者の「自主的かつ能動的な取組」として促す(=ソフトロー)〔8〕。日本の指針は「努める」「取り組む」といった努力義務のトーンで貫かれており、画一的な義務化による萎縮を避け、アジャイルなガバナンスを志向していることが読み取れる。
また、実施体制においても、インドが新設する「Deepfake Task Force」にペナルティの勧告権限を持たせようとする〔1〕のに対し、日本は「AIセーフティ・インスティテュート(AISI)」の人員増と機能強化によって、技術的評価と規格形成を主導させようとしている〔7〕。インドが「法と罰」で秩序を作ろうとするのに対し、日本は「技術と信頼」で免疫を作ろうとしていると言えるだろう。
5 規制の収束点へ
もっとも、透かしは魔法の技術ではない。透かし付与を義務化しても、除去・改変・再撮影(いわゆるscreen capture)で痕跡が薄れることは普通に起きる。生成者側の透かし付与が徹底されない限り、真面目に守る者ほどコストを負い、悪意ある者ほど規制を潜り抜けるという逆進性も生じる。結局、透かしを「規制の要件」に置くなら、技術標準(何をもって透かしと認めるか)、検知手段(誰がどう検証できるか)、そして実装責任の分担(モデル提供者・ツール提供者・投稿者・プラットフォームのどこに義務を置くか)を、法とソフトローの合わせ技で組み立てる必要があると言えるのかもしれない。
この点で比較対象としてEU AI Actの第50条が示す設計思想は示唆的である。同条は、ディープフェイク等の「人工的に生成・操作されたコンテンツ」であることの開示を義務付けつつ、創作・風刺等の例外を設ける〔4〕。さらに欧州委員会は行動規範(Code of Practice)の策定を後押ししており〔5〕、法が原則を引き、ソフトローが実装を整える分業体制にある。日本のアプローチもこれに近いが、より「イノベーション促進」に軸足を置いている点が特徴的である。
インド法案は、現状の条文上、EUのような明文の創作・風刺例外も見当たらず、日本のような「開発しやすさ」への配慮も(Task Forceによる支援はあるものの)規制の文言からは後退して見える。しかし、インド法案が仲介者(intermediary)への義務をあえて薄くし、既存IT法制への接続を意識している点は、実は日本の「アジャイルなガバナンス」〔7〕や「既存法制の活用」という姿勢と通底するかもしれない。
結局のところ、ディープフェイク規制の勝負どころは「どこまでを刑罰で担い、どこからを透明化とプラットフォーム運用と社会的免疫で担うか」である。インド法案は、同意+透かしという分かりやすい二本柱を立て、被害類型の核心(性的搾取・詐欺・選挙干渉)を刑事介入の中心に据える。対して日本は、AI法というハードローの傘の下で、指針と技術支援によるソフトな規律を浸透させようとしている。
アプローチは真逆に見えるが、目指す「規制の収束点」は同じである。すなわち、真正性の証明(provenance)が標準装備され、悪意ある偽造だけがコストを支払わされる市場環境の構築である。
インドの私的議員立法案がそのまま成立する見込みは高くないとしても〔6〕、この法案は「刑事介入すべき最低ライン」を世界に提示した点で意義がある。実務の視点からは、どの国でどのような法形式(ハードローかソフトローか)が採用されるかに関わらず、プロダクト設計と社内ガバナンスはこの収束点を先回りしておく方が安全であるかもしれない。
ただし、透明化だけでは、信じたいものを信じるという人間の心理には勝てない。真正性の表示があっても拡散は止まらず、むしろ抽象的にしかあえて言わないが、「ラベル付きの嘘」が武器になる局面すらあるかもしれない。結局、規制は、技術(検知・透かし)、制度(責任と手続)、教育(リテラシー)の三位一体でしか機能しないように思える。Task Forceという名称が示す通り、相手は単一の犯罪類型ではなく、情報環境全体の脆弱性なのかもしれない。
6 思考の材料
ディープフェイク規制については、イタリアも大いに参考になると考える。
出典
〔1〕 インド議会下院(Lok Sabha)『The Regulation of Deepfake Bill, 2024(Bill No. 193 of 2024)』(As introduced in Lok Sabha)https://sansad.in/getFile/BillsTexts/LSBillTexts/Asintroduced/193%20of%202024%20AS125202595114PM.pdf?source=legislation(最終閲覧日:2025年12月20日)。
〔2〕 Press Trust of India, “Lok Sabha Introduces Bill To Regulate Deepfake Content With Consent Rules”, NDTV(2025年12月6日)https://www.ndtv.com/india-news/lok-sabha-introduces-bill-to-regulate-deepfake-content-with-consent-rules-9761943(最終閲覧日:2025年12月20日)。
〔3〕 Lok Sabha, “LOK SABHA BULLETIN-PART II (General Information relating to Parliamentary and other matters) … Friday, May 02, 2025 …”(「The Regulation of Deepfake Bill, 2024」につきNotice received on the 13th November, 2024を含む)https://sansad.in/getFile/bull2mk/2025/02-05-25.pdf?source=loksabhadocs(最終閲覧日:2025年12月20日)。
〔4〕 Regulation (EU) 2024/1689 of the European Parliament and of the Council of 13 June 2024 laying down harmonised rules on artificial intelligence (Artificial Intelligence Act), Article 50, EUR-Lex(OJ L, 2024/1689, 12.7.2024)https://eur-lex.europa.eu/eli/reg/2024/1689/oj/eng(最終閲覧日:2025年12月20日)。
〔5〕 European Commission, “Commission publishes first draft of Code of Practice on marking and labelling of AI-generated content”(Press release, 17 December 2025), Shaping Europe’s digital future https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/news/commission-publishes-first-draft-code-practice-marking-and-labelling-ai-generated-content(最終閲覧日:2025年12月20日)。
〔6〕 PRS Legislative Research, “Private Members’ Bills in Lok Sabha: 2010”(Vital Stats)https://prsindia.org/parliamenttrack/vital-stats/private-members-bills-in-lok-sabha-2010(最終閲覧日:2025年12月20日)。
〔7〕 人工知能戦略会議『人工知能基本計画(案)~「信頼できるAI」による「日本再起」~』(資料1-2、2025年)。
〔8〕 人工知能戦略会議『人工知能関連技術の研究開発及び活用の適正性確保に関する指針(案)』(資料1-4、2025年)。
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
3.2 クリエイターが制作したデジタルコンテンツの著作権は、クリエイターに帰属します。
