AI学習データとイリノイ州BIPA訴訟 / フェアユース抗弁の回避 雑感
Ⅰ 著作権法からプライバシー法へ
生成AIの学習データ収集をめぐる法的紛争において、原告側の法的構成が新たな段階に入っている。米国イリノイ州において、複数のミュージシャンがSuno Inc.、Uncharted Labs Inc.、Googleを相手取り、同州のバイオメトリック情報プライバシー法(Biometric Information Privacy Act、以下「BIPA」)に基づく集団訴訟を提起したと報じられた〔注1〕。原告らは、これらの企業が同意なく自らの声印を収集・利用したと主張している。
AIによる無断学習に対してはこれまで著作権侵害を主な請求原因とする訴訟が多数提起されてきた。本件が注目されるのは、クリエイター側がその枠組みをあえて外し、生体情報保護という別の法域へと戦線を移した点にある。
1 フェアユース抗弁の構造的回避
著作権侵害を理由とするAI訴訟において、AI企業側は学習データとしての利用がフェアユースに該当するという抗弁で防御を図ってきた。ホワイトハウスがAI訓練をフェアユースに含める方向性を示唆する動きもあり〔注1〕、著作権の文脈はAI企業にとって戦い慣れた領域といえる。
翻って、BIPAに基づく請求は対象データの収集行為そのものに着目するため、著作権法上のフェアユースの論理を根底から回避する構造を持つ。ノースウェスタン大学プリツカー法科大学院のマシュー・クグラー教授が指摘するように、生体情報の訴訟は何を収集したかという事実関係にかかっており、フェアユースとは無関係に判断される〔注1〕。原告側は被告がまだ確固たる防衛策を構築していない法域へと議論を持ち込んだと理解される。
2 法定損害賠償という脅威
BIPAは私的訴訟権を認めており、原告が実際の損害を立証せずとも法定損害賠償を請求できる仕組みを備えている。この執行メカニズムが、同法を米国でも有数の強力な消費者プライバシー保護法たらしめてきた。
過去の事案がその実効力を示す。TikTok Inc.をはじめとする大手テクノロジー企業は、顔認識技術の利用を理由に数億ドル規模の和解に応じてきた。Whole Foods Market Group Inc.が倉庫従業員の声印を同意なく本人確認に使用したとの請求に対して約30万ドルを支払った事案は、声印をめぐる先行する解決例として本件との比較において参照に値する〔注1〕。立証負担が軽く、巨額の賠償リスクを伴う同法の適用は、AI企業にとって看過しがたい脅威となりうる。
Ⅱ 声印のBIPA該当性という論点
BIPAが定義する「バイオメトリクス識別子」には、指紋、網膜・虹彩スキャン、顔のジオメトリスキャンとともに、声印が明示的に列挙されている(740 ILCS 14/10)。声印が個人の声帯や発声器官の物理的特徴に由来し、個々人に固有のものであるという事実は否定しがたく、他の訴訟の文脈においてすでに個人識別情報として扱われてきた実績も存在する〔注1〕。
争点の核心は、声印一般の法的性質ではなく、AI企業が学習過程においてミュージシャンの録音から生成・処理したデータが、同法にいう「声印の収集」に該当するかどうかにある。AI企業側は収集したデータが生体情報に該当しないと反論することが予想されるが、クグラー教授が指摘するように、その場合には原告が当該データを顔スキャンや指紋と同様の個人識別能力を持つことを立証しなければならない〔注1〕。原告側の主張が荒唐無稽であるとはいえないが、AI学習データの文脈においてどのように法が適用されるかについては、まだ確立した司法判断がない。
Ⅲ むすびにかえて
AIモデルの訓練データをめぐる紛争は、データスクレイピングの適法性を問う段階から、生体情報プライバシーという別個の法益をめぐる争いへと戦線を拡大している。人間の音声や生体データを学習するAI企業は、著作権処理の適法性とは別次元で、情報収集行為そのものの違法性を問われるリスクを正面から引き受ける必要に迫られているといえる。
日本の個人情報保護法は声紋等を「個人識別符号」として一定の保護を与えているが、BIPAのように私的訴訟権と法定損害賠償を組み合わせた執行メカニズムは有していない。AIが学習データとして音声を大量処理する時代において、この執行力の差は看過しがたく、本件の帰趨は日本の立法論の観点からも注視に値する。詳細は原典をご確認いただきたい。
〔注1〕 Amanda Robert, "Musicians in This State Are Suing AI Companies Under Biometric Privacy Law," ABA Journal (March 23, 2026), https://www.abajournal.com/news/article/musicians-in-this-state-are-suing-ai-companies-under-biometric-privacy-law, last visited March 24, 2026.
(マガジン)「AIと法雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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