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メキシコ「チャプルテペック原則」 / AI倫理宣言から法制度への距離 雑感

Ⅰ メキシコのAI倫理宣言

 2026年1月29日、メキシコ政府は「チャプルテペック原則:人工知能の利用・開発に関する倫理および善行宣言」(Principios de Chapultepec: Declaración de ética y buenas prácticas para el uso y desarrollo de la Inteligencia Artificial)を発表した〔注1〕。発出主体は、科学・人文・技術・イノベーション省(Secretaría de Ciencia, Humanidades, Tecnología e Innovación, 以下Secihti)およびデジタル変革・電気通信庁(Agencia de Transformación Digital y Telecomunicaciones, 以下ATDT)の2機関である。発表の場は、メキシコシティの国立人類学博物館ハイメ・トーレス・ボデ講堂で開催されたフォーラム「メキシコの公的生活における人工知能」であった。

 本宣言は、AIの設計・実装・評価の全ライフサイクルにわたり公共政策・規制・制度的手段を方向づけるための10原則を掲げる。Secihti大臣のRosaura Ruiz Gutiérrez氏は、宣言が「指導的性格(carácter orientador)」を有し、法的拘束力のないガイドラインである旨を明示した〔注2〕。AIガバナンスの国際比較という観点から、本宣言の構造と射程について若干の雑感を記しておきたい。

Ⅱ 10原則の概観と特徴

1 原則の全体像

 チャプルテペック原則は以下の10項目で構成される。

第1原則は、AIが権利を拡大すべきであり縮減してはならないとする。
第2原則は、AI支援による決定に人間の責任者を置くことを求める。
第3原則は、説明できない決定は自動化すべきでないとする。
第4原則は集合的統治、
第5原則は公共的価値の創出、
第6原則は影響評価の実施、
第7原則は技術的主権、
第8原則は教育・人材育成、
第9原則は文化的・言語的多様性の反映、
第10原則はデータの公共財としての責任ある管理

を、それぞれ定める。

 宣言の前文にあたる動機の部分は、技術が社会的に中立でないという認識から出発し、AIを「適切に方向づけられれば、社会的福祉、不平等の縮減、より公正で衡平かつ持続可能な国の構築に決定的に貢献しうる」と位置づけている。同時に、「明確な倫理的基準なく開発・利用されれば、不平等を再生産・深化させ、新たな差別の形態を生み出し、基本的権利を侵害しうる」と警告を発する。

2 国際的文脈における位置づけ

 10原則の内容それ自体は、UNESCOの「人工知能の倫理に関する勧告」(2021年11月、加盟国193か国が採択)と高い親和性を示す〔注3〕。人権の尊重、透明性と説明可能性、参加と包摂、文化的多様性、環境の持続可能性、データガバナンスといったUNESCO勧告の主要な柱は、チャプルテペック原則の各条項に明確に反映されている。メキシコは同勧告の準備過程にUNESCOのReadiness Assessment Methodology(RAM)対象国としても参加しており〔注4〕、国内的展開として本宣言を発出した経緯がうかがえる。

 もっとも、チャプルテペック原則には、メキシコ独自の文脈を反映する規定がいくつかある。とりわけ第7原則の技術的主権の強調と、第9原則の先住民言語の保全・強化に関する言及は、メキシコの社会的・文化的現実を踏まえた定式化であり、UNESCO勧告の一般的枠組みを超える具体性を有する。先住民言語による言語コーパスの構築に言及した第9原則は、ラテンアメリカ諸国のAI戦略において際立つ独自の規定であろう。


3 ソフトロー文書としての射程と限界

 チャプルテペック原則は、その名称と発出形式が示すとおり、法的拘束力を持たない倫理宣言である。Ruiz Gutiérrez大臣自身が発表の場で、公的機関・政府省庁・自治組織・民間部門・社会部門の各主体が「自発的に」措置を講ずるための「非拘束的ガイド」であると説明した〔注5〕。

 ここで注意すべきは、メキシコには2026年2月時点でAIに特化した法律が存在しないという事実である〔注6〕。2020年以降、連邦議会では58を超えるAI関連法案が提出されているが、包括的な法制度の整備には至っていない。2025年2月にはMorena党のRicardo Monreal Ávila下院議員がAIの連邦立法権を憲法に明記する改正案を提出し〔注7〕、上院では2023年に提出されたAI連邦規制法案(Ley Federal para la Regulación de la Inteligencia Artificial)が委員会で審議中とされる〔注8〕。チャプルテペック原則は、こうした立法的空白のなかで発出された政策文書であり、将来の法制度の方向性を示す政治的意思表示としての意義が大きい。

 もっとも、法案が乱立する一方で統一的な法的枠組みが形成されていない状況は、Lexologyの分析が指摘するとおり、政治的関心の高さと規範的一貫性の欠如が同居する「断片化されたモザイク」と評さざるをえない〔注9〕。倫理原則から法制度へ至る道筋がどのように設計されるかが、チャプルテペック原則の実効性を左右する。

Ⅲ 日本のAIガバナンスとの比較から

 筆者がメキシコのチャプルテペック原則に関心をもつのは、日本のAIガバナンスの歩みとの対比において若干の示唆が得られると考えるためである。

 日本は2025年5月にAI関連技術の研究開発及び活用の促進に関する法律(AI推進法)を成立させ、同年9月に全面施行した〔注10〕。同法は、EU AI規則のようなリスクベースの規制アプローチとは一線を画し、AI推進を基本理念としつつ、AI戦略本部の設置と基本計画の策定を制度化するという基本法型の構造をとる。法的義務は努力義務にとどまり、違反に対する罰則規定は設けられていない。2024年4月に経済産業省・総務省が策定したAI事業者ガイドライン(2025年3月にVer. 1.1に改訂)と合わせ、ハードローとソフトローの組合せによるアジャイル・ガバナンスが日本の特色とされる〔注11〕。

 チャプルテペック原則と日本のAI推進法を比較すると、両者はソフトロー的手法への依拠という点で共通する。しかし、日本のAI推進法は少なくとも法律としての形式を備え、戦略本部の設置や基本計画の策定といった制度的基盤を創設した点で、純粋な倫理宣言であるチャプルテペック原則とは規範としての次元が異なる。日本のアジャイル・ガバナンスが、Plan-Do-Check-Actサイクルを社会全体で循環させるという実装メカニズムの議論にまで進んでいるのに対し、チャプルテペック原則にはそのような実装の枠組みがなお欠けている。

 他方、チャプルテペック原則の第3原則「説明できない決定は自動化すべきでない」は、原則としての明快さと実装の困難さが同居する規定である。説明可能性の要求水準をどの程度に設定するかによって、原則の適用範囲は大きく変わりうる。EU AI規則第86条は、ハイリスクAIシステムの出力に基づく決定について説明を受ける権利を定めるが、その射程についてはGDPR第22条との関係も含め議論が続いている。チャプルテペック原則が説明可能性をどの水準で具体化するかは、今後の制度設計における試金石となろう。

Ⅳ むすびにかえて

 チャプルテペック原則は、ラテンアメリカにおけるAIガバナンスの一つの到達点を示す文書である。UNESCO勧告の国内的具体化として位置づけられるとともに、技術的主権や先住民言語の保全といったメキシコ固有の課題を倫理原則のなかに織り込んでいる点は評価されてよい。

 ただし、倫理原則の策定は出発点にすぎない。宣言自身が「指導的性格」と認めるように、原則から具体的な公共政策・制度・法規範への変換が次の課題である。58を超える法案が議会に提出されながら統一的枠組みが成立していないメキシコの現状を考えると、チャプルテペック原則が立法作業においてどのような規範的影響力を発揮するかが注目される。

〔注1〕 Secihti, "Principios de Chapultepec. Declaración de ética y buenas prácticas para el uso y desarrollo de la Inteligencia Artificial" (2026年1月29日) https://secihti.mx/ciencia-y-humanidades/principios-de-chapultepec-declaracion-de-etica-y-buenas-practicas-para-el-uso-y-desarrollo-de-la-inteligencia-artificial/, last visited 2026年2月6日.

〔注2〕 Proceso, "Presentan declaración de ética y buenas prácticas de Inteligencia Artificial; este es el decálogo" (2026年1月29日) https://www.proceso.com.mx/economia/2026/1/29/presentan-declaracion-de-etica-buenas-practicas-de-inteligencia-artificial-este-es-el-decalogo-367495.html, last visited 2026年2月6日.

〔注3〕 UNESCO, "Recommendation on the Ethics of Artificial Intelligence" (2021年11月) https://www.unesco.org/en/articles/recommendation-ethics-artificial-intelligence, last visited 2026年2月6日.

〔注4〕 UNESCO, "UNESCO to support more than 50 countries in designing an Ethical AI" (2023年7月) https://www.unesco.org/en/articles/unesco-support-more-50-countries-designing-ethical-ai-policy-year, last visited 2026年2月6日. 同記事はRAM対象国にメキシコを含むことを明示する。

〔注5〕 注2に同じ。Ruiz Gutiérrez大臣は宣言を「公的機関、政府省庁、自治組織、民間部門及び社会部門の各主体が自発的に倫理的かつ責任ある措置を講ずるための非拘束的ガイド」と性格づけた。

〔注6〕 Chambers and Partners, "Artificial Intelligence 2025 - Mexico" https://practiceguides.chambers.com/practice-guides/artificial-intelligence-2025/mexico, last visited 2026年2月6日.

〔注7〕 Global Policy Watch, "New Artificial Intelligence Legislation in Mexico" (2025年3月14日) https://www.globalpolicywatch.com/2025/03/new-artificial-intelligence-legislation-in-mexico/, last visited 2026年2月6日.

〔注8〕 Nemko Digital, "Mexico AI Regulation: Legal Framework & Compliance" https://digital.nemko.com/regulations/mexico-ai-regulation, last visited 2026年2月6日.

〔注9〕 Lexology, "Year in review: Artificial Intelligence Law in Mexico" (2025年11月24日) https://www.lexology.com/library/detail.aspx?g=00871576-eae7-4dce-bd9a-ff8141c530ea, last visited 2026年2月6日.

〔注10〕 IAPP, "Global AI Governance Law and Policy: Japan" (2025年11月12日) https://iapp.org/resources/article/global-ai-governance-japan, last visited 2026年2月6日.

〔注11〕 CSIS, "Japan's Agile AI Governance in Action: Fostering a Global Nexus Through Pluralistic Interoperability" (2025年10月) https://www.csis.org/analysis/japans-agile-ai-governance-action-fostering-global-nexus-through-pluralistic, last visited 2026年2月6日.

(マガジン)「AIと法-雑感」

 ※目次は以下を参照

note総則規約3条2項前段
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