福島原発事故後のヤマトシジミの形態異常--10年調査
福島のチョウは、放射線について何を語るのか
小さなチョウ、ヤマトシジミ。河原や道ばたのカタバミに産卵し、年に5〜6回も世代を重ねる、どこにでもいる青いシジミチョウです。この身近なチョウが、福島第一原発事故の生物影響を映す「指標生物」として、事故直後から精力的に調べられてきました。
今回紹介するのは、被ばくしたヤマトシジミの形態異常を10年以上にわたって追い続けた坂内氏・大瀧氏らの研究です(福本学編『Low-Dose Radiation Effects on Animals and Ecosystems II』2026年、Springer、オープンアクセス、第13章)。前回まとめたニホンザルの章とは対照的に、この研究は事故の生物影響をはっきりと報告し、しかもその影響が一度おさまった後に"再来"しうることを示した点で、強い問題提起を含んでいます。
なぜチョウなのか
ヤマトシジミが指標生物として優れているのは、世代が短いことにあります。春から秋にかけて1か月ほどで一世代が入れ替わるため、放射性物質の影響が世代を超えてどう変化するかを、短期間で観察できます。さらに、翅の模様や形の異常は目で見て評価でき、寒さによる模様変化(温度ショック型)や近親交配で生じる特異な型(パンダ型)を専門家が見分けて除外することで、被ばくに由来する「異常」を選り分けられます。
研究では、福島市・本宮市・広野町・いわき市(福島県)と高萩市・水戸市・つくば市(茨城県)の7地点を2011〜2021年にわたって、また汚染の強い飯舘村を2013〜2024年にわたって調査しています。捕獲した個体を一頭ずつ評価し直し、公開データベースとして整理した上で、長期の異常率の変化を追いました。原発事故後の野外調査としては、類を見ない長さの記録です。
いったんは「収束」、しかし——
7地点の異常率は、事故翌年の2012年5月に最も高いピーク(平均18.0%)を示しました。その後は低下し、2013年5月に小さな第二のピーク(平均6.8%)を経て、2016年以降は「通常」とされる水準(東北南部の集団で約3.0%)に戻りました。短い世代を重ねるうちに、初期被ばくの影響が薄れていく――この経過だけを見れば、影響は収束したように見えます。
ところが、話はそこで終わりませんでした。とくに汚染の強い飯舘村では、異常率が2013年に17.9%と高く、2014年に0%、2016年・2020年に6.7%へと下がったあと、2021年7月に再び17.6%へと急上昇したのです。福島市でも2014年8月に小さな再ピークがありました。著者らはこれを、事故から10年を経た「生物影響の再来」の可能性として注目しています。同じ2021年には、鳥などの捕食痕(くちばし跡)の割合も同時に跳ね上がりました。興味深いことに捕食痕は正常個体にだけ見られ、異常個体は逃げ遅れて先に食べられてしまうため、実際の異常率はもっと高い可能性も指摘されています。
「再来」をどう読むか
なぜ、いったん収まった異常が再び増えるのか。著者らは複数の可能性を挙げています。ひとつは、放射線と気温などの非放射線要因が相乗的に働くという「フィールド効果」。もうひとつは、初期被ばくで集団が縮小し遺伝的多様性が下がった結果、有害な変異が表に出やすくなったという説明。さらに注目すべきは、食草であるカタバミが慢性的な低線量被ばくに応答して二次代謝物(例えばラウリン酸など幼虫に有害な物質)を増減させ、それを食べた幼虫が死んだり異常を起こしたりする、という間接的な経路です。汚染地のカタバミを食べさせる室内実験では、セシウム量に応じて幼虫の生存率が下がったと報告されています。
一方で、著者ら自身も、放射能汚染とは無関係の可能性を排除していません。飯舘村は標高が高く、2021年の最低気温は−14.7℃と厳しく、低温そのものが異常を増やした可能性。あるいは2020年の個体数増加が翌年の捕食者増加や近親交配を招いた可能性。地表線量率は2016〜2022年であまり変わっていないため、線量だけでは説明しきれないことも、著者らは率直に認めています。
なぜこの研究が重要か
ここで大切なのは、同じ一冊の本の中で、ニホンザルの章(多くの組織で明確な影響を確認できなかった)と、このヤマトシジミの章(明確な影響と再来を報告)という、異なる結論が並んでいることです。対象生物の違い、世代の長さ、事故直後の感受性の高い時期に被ばくしたかどうか、そして食草を介した間接効果の有無――こうした条件の差が、結論の違いを生んでいる可能性があります。どちらが正しいと急いで断ずるのではなく、複数の生物・複数の手法のデータを突き合わせて実像に迫る。その材料を提供してくれる点に、この研究の価値があると考えます。
参考文献
Sakauchi K, Taira W, Ito N, Otaki JM(2026)Decade-Long Surveys of Morphological Abnormalities of the Pale Grass Blue Butterfly After the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant Accident in the Seven Localities and Iitate Village. In: Fukumoto M (ed) Low-Dose Radiation Effects on Animals and Ecosystems II. Springer Nature Singapore, Chapter 13. オープンアクセス, DOI: 10.1007/978-981-95-5559-8
