自分に向き合うための「道具」としてのエニアグラム(タイプ8の半生について)
BASE株式会社執行役員の柳川です。金融事業の事業責任者をしています。
私はエンジニア→PdM→事業責任者というキャリアを歩んできました。
現在は事業戦略、プロダクト戦略、組織戦略全ての責任を持ちながら、事業責任者を務めさせていただいています。
先日、日本エニアグラム学会のプライマリーコースというものを受講してきました。
合計18時間の長丁場のコースでしたが、エニアグラムというツールを活用しながら多種多様な方々と話せる貴重な経験をさせていただきました。
20名ほどの会でしたが、たまたま全タイプ揃っていたこともあり、話すだけで楽しく、たくさんの発見がありました。本当に人は違います。多様です。その解像が2段くらい上がりました。
なぜ今、私がエニアグラムという「ソフトスキル」を学んでいるのか。それは、生成AIの進化によって世の中の構造が激変していく中で、「人間の動機に着目する」という観点が、これからの時代に間違いなく刺さると確信しているからです。
生成AIが実務(How)をどんどん代替していくこれからの世界では、表面的なハードスキルの価値は相対的に下がります。AIにHowを奪われる時代において生き残るのは、人間の根源的な「なぜやるのか(Why=動機)」を理解し、チームを動かせる人間なのだと考えています。
そもそもエニアグラムとは何か?
ここで少しだけ、エニアグラムそのものについて補足させてください。
エニアグラムとは、人間の性格や思考の傾向を9つのタイプに分類する心理学的なアプローチです。
世の中には様々な性格診断テストがありますが、エニアグラムの最大の特徴は、表面的な「行動(どう振る舞うか)」ではなく、その行動を引き起こす根源的な「動機(なぜそうしてしまうのか)」や「恐れ」、そして各タイプが無意識に陥りやすい「囚われ」にフォーカスしている点にあります。
難しいですかね?
この「囚われ」の概念が深いのですが、この場では説明し切れないのでまたの機会で。
僕は常々「これからは自分に深く向き合うしかないよね」という話をしてきました。AI時代には「意志」が大事だからです。
でも、「深く向き合えって言ってもどうすればいいのよ」ってなってしまいますよね。ここにもどかしさと申し訳なさを感じていました。ゆえに一つアプローチ方法ととしてエニアグラムに着目しました。
表面的な行動やアウトプット(How)は、すでにAIが模倣できる時代です。しかし、目の前の人や自分が「何を恐れ、何を求めてその行動をとっているのか」という深い文脈(Why)を読み取ることはAIにはできません。だからこそ、エニアグラムを通じて人間の「動機」への解像度を上げることは、これからの人間にとっても極めて強力な武器になると考えています。
タイプの話が出てくるので決めつけか?と思われるかもしれません。性格診断系嫌いな人いますよね。
ただエニアグラムはタイプは診断して、あなたのタイプはこれですよ、というものではありません。タイプは他人に決めつけられるものでは無くて、「自分で自分を理解するための補助線」としてタイプを使うと思ってください。なのでタイプは自分で決めますし、もちろん他人のタイプも決めつけてはいけません。タイプを知ることは目的ではなく、手段なのです。
タイプに雁字搦めになることは、エニアグラムの使われ方として本意ではないのです。
エニアグラムにおいては各タイプを数字で分類します。これは言葉よりも数字の方が先入観が少ないからです。各タイプを象徴するニックネームのようなものは存在します。
しかしそのニックネームは特徴は表すものの、言葉は先入観や解釈を生むのです。そのニックネームはその性格タイプのある側面は表していますが、人間はそんなに単純ではない。
ゆえにシンプルな数字で分類するのです。でも初見は分かりにくいのよね。
正直な話エニアグラムは知れば知るほど難しいです。ですがそれゆえに有用であると感じています。
エニアグラム「タイプ8」の強さと囚われ
さて、偉そうに「他者の動機の理解が大事」などと語っている私自身ですが、かつては他人の気持ちを十分に想像できず、自分の正義を一方的に押し付けてはハレーションを起こしていました。いや、正確に言うと、近くにいる人や、境遇の近い人の正義に入り込み過ぎてしまうところがあった。(まだ修行中です)
エニアグラムにおいて、私は「タイプ8(挑戦する人)」に分類されます。
タイプ8は、本質的に「自分が正しいと思うこと(正義や真実)を強く主張し、状況を自分の力でコントロールしようとする」特性を持っています。決断力があり、弱者を守ろうとするエネルギーに溢れている一方で、そのエネルギーが裏目に出ると、他者を力で威圧し、自分の正義を押し付けてしまうという強烈な「囚われ」を持っています。
自分の年表を振り返ると、この囚われゆえに、控えめに言って戦国時代のような戦いの連続でした。
その最たる例が、ある他部署のマネージャーとの衝突です。 当時、私は他部署に対してある要望を通そうとするあまり、異常な気迫で相手を詰め寄っていました。その結果、相手が別の誰かに送るつもりだったこんな私信が、誤爆で私本人に届くという事件が起きました。
「柳川さんは、親でも人質に取られているんですか」
流石にこれを見た瞬間は「やってしまったな」と冷や汗をかきました。
なぜ、そこまで自分の正義を暴走させてしまうのか。タイプ8の特性を深く学んだことで、このバグの構造が明確に言語化できました。
私にとって心地よい状態とは、「誰かを代弁している状態」なのです。誰かのために戦い、状況を打破することで、自分には力があり、有能だと感じることができる。
もちろん、自分の中には常に「自分の正義」があります。しかし、それが他人の支持を得た途端、その正義は掛け算で強力になっていくわけです。自分が代弁する人数が増えれば増えるほど、「自分の正義こそが絶対正義である」と錯覚し、周囲の多様な正義をなぎ倒してしまっていたのです。
この話をするとタイプ8の自覚のある人は、「別に他人のために主張しているわけじゃないし、自分のためだし」と思うでしょう。
確かにそうなんです。自分の問題であるとか、自分の意志であると言うことを大事にするのがタイプ8です。でもよくよく深く考えてみて下さい。他人の支持を得たと思った時に勢いづく気持ちあるでしょ?
タイプ8の人は実はよく人を見ているんです。特に近くの人を。人の気持ちに敏感なんです。早とちりなこともよくあるんですけどね。
ポジションチェンジという強制的なコンテキスト拡張
そんな絶対正義の戦国武将だった私が、なぜ一方的な正義の押し付けを直することができたのか。(まだ手放せてはいないし、手放すものでもないと思っている。)
それは、エンジニアからPdM、そしてP&Lを背負う事業責任者へと、様々な職種やポジションを経験し、「守備範囲を広げた」からです。僕の場合はこれが聞きました。
私には、「自ら経験しないと自分ごとにできない」という特性があります。これはタイプ8ゆえにと言うところもあるのでしょう。同時に、一度経験したことに対しては「強烈に代弁したいという気持ちを強く持つ」がゆえに衝突を起こす。
つまり、他者の正義に本気で気づくためには、自ら異なるポジションに座り、出世や職種変更も含めてポジションを変えることで、コンテキストを強制的に広げるしか道がなかったのです。
自分では自分の意思で広げたくて広げたと思っていましたが、今思うと自分が生きていくためには広げるしかなかったのかもしれません。本能的にそれに気がついていたのかも。
様々な役割が抱える「切実な正義」を自ら経験したことで、ようやく一歩引いて、相手の考えを受け止めることができるようになりました。
広く文脈をカバーできる人間が有利になる
コンテキスト拡張。これは最近私がよく考えているAIの「ロングコンテキスト」の話と完全に符合していて面白いなと思うわけです。
AIは単発のタスク(短いコンテキスト)においては、すでに人間を凌駕する深い思考力を発揮します。しかし、過去の経緯や複雑な利害関係、他者の感情、未来へのプライオリティといった「長い文脈(ロングコンテキスト)」を保持し、統合し続けることは圧倒的に苦手です。
だからこそ、これからのAI時代においては、「いかに広く文脈(コンテキスト)をカバーできているか」が、そのまま人間の圧倒的な優位性になります。
かつての私は、自分の正義という極めて狭いコンテキストしか読み込めず、すぐにエラー(衝突)を起こしていました。しかし、ポジションの変化を通じて自分自身のコンテキストウィンドウを広げたことで、ようやく他者の背景を読み込み、一旦受け止めてラポール(信頼関係)を形成する心の余白が生まれました。
「今の点(目の前の議論)」で相手を打ち負かすのではなく、「未来につながる線」として捉える。最終的に目指す場所に行き着くのなら、今のこの瞬間の「点」は相手に委ねても「まぁ良いや」と思える。
広く文脈をカバーできるようになったこと。それは単に周囲との衝突が減ったというだけでなく、事業責任者としての今の自分にとって、最大の武器になっていると感じています。
ただ、私が普段から、「守備範囲を広げろ」と伝えているのは、一般論ではなく、自分自身がそうやって生き延びてきた切実な経験から来る言葉です。ある意味押し付けです。押し付けだということは理解しなければならない。
ハードスキルがAIに代替される時代。だからこそ、エニアグラムなどのソフトスキルを通じて自身の「囚われ(動機)」を知り、経験を通じてコンテキストを広げ続けることには、とてつもなく大きな価値があるのだと思うわけです。
(捕捉)「ソフトスキル」の時代が来る理由
ソフトスキルの時代が来ると思っている理由を補足しておかないと混乱あるかなと思い、書いておきます。
これまでの資本主義の限界(ハードスキル偏重)
これまでの企業研修や育成は、コーディングなどの「ハードスキル」が中心でした。理由はシンプルで、「教育した分が成果として返ってくる」という投資対効果(ROI)の説明が会社に対してしやすかったからです。一方で、本当に大事なはずの「人間としての成長(ソフトスキル)」は、投資回収性が見えにくいため後回しにされてきました。
AIによる合理性の逆転
しかし、AIの登場によってゲームチェンジが起きました。ハードスキル的な実務をAIが代替できるようになることで、これまで後回しにされてきた「ソフトスキルの育成(人間の成長)」にコストをかけることが、経営的に最も合理的な判断になり得ます。
出力が爆発する「ソフトスキル × AI」の掛け算
AIは入力した以上のものを返さない「鏡」です。AIをうまく使うには「何のためにやるのか(Why)」を深く考え、自分主語でポジションを取る必要があります。つまり、人間側のソフトスキル(思考の深さ、意志、言語化力)が高ければ高いほど、掛け算的にAIからのアウトカム(出力)が爆発的に跳ね上がります。
AI自身が「ソフトスキルのトレーナー」になる
AIを使いこなし、Whyを深掘りしていく試行錯誤のプロセスそのものが、結果的に人間のソフトスキルを鍛えることに繋がります。さらに、AIのコンテキストをうまくマネジメントしてAIに魂を込めれば、AI自身を「人間のソフトスキルを育てる優秀なコーチ・トレーナー」として活用できるようになります。
従来から僕はソフトスキルの成長に着目していた
従来から僕はソフトスキルの成長こそが、人としての成長だと考えていました。大袈裟にいうならばっころの成長ですね。ただそこにリソースを割くことはエゴだったわけです。しかしこのエゴが、ただのエゴではなくなるかもしれない。ゆえに僕は興奮しているわけです。
編集後記
ここまで書いておいてなんですが、今でも気を抜くとすぐに「私の正義」で相手を制圧したくなる重力が働きます(笑)。人間の本質的な囚われは、そう簡単には消えません。消えませんし、消す必要はないんだと思います。いいところでもありますからね。
僕はこれからエニアグラムをもう少し学んでいこうと思います。そしてその学びを共有したいなと思っています。とりあえずタイプ診断はできる状態になりましたが、まだまだエニアグラムの奥は深いのです。
学ぶと同時に実践する場として、エニアグラムを組み込んだ「あるプログラム」を計画中なので、その話はまた別でさせてください。
エニアグラムとAI活用と成人発達理論を融合したプログラムを開発して、ワークショップを開催していこうと思っています。
まずは社外からやっていく予定なので、募集させてください。興味ある方お待ちください。
