下町音楽夜話 Reloaded 301「VAIO-S AGAIN」
■■■本稿は下町音楽夜話301「VAIO-S AGAIN」(2008年3月29日)に加筆修正したものです■■■
意外に早く4台目のVAIOがやってきた。第185曲で、VAIO-Sを購入したときの驚きを書いているが、今回も同じVAIO-Sを購入したのである。先代が2年3ヶ月で引退したのには理由があって、そろそろバッテリー関連の不具合も出始めていたのだが、まだまだ十分に使える状態ではあった。それを職場の若者に譲ることにしたのである。
如何せんシステム関連の仕事をしている人間がパソコンを持っていないということが許せない気分になってしまったのだ。他人にパソコンの使い方などを教える立場の人間が、収入の多寡という問題はあるにせよ、パソコンの魅力を知らないでいい仕事ができるとは思えなかったのである。従って、ソニーを擁護するわけではないが、2年で使えなくなったというわけではないことだけは触れておきたい。加えて、非常に気に入っているので、同じ機種をもう一台購入したのである。間違ってもVAIOがボロいという話ではない。
ここ数年、コンピュータ関連の仕事が続いていることもあるのだが、使用頻度が高すぎるせいもあるのか、デスクトップ型とノート型のパソコンを、交互に毎年買っているのだ。つまり寿命2年でずっと買い換えてきているのである。デスクトップはIBMやDELLや自作PCに毛が生えたようなものなど、とにかく安く買えるものを探してきて、自分なりにカスタマイズもしながら使い倒している。リナックスOSとデュアルブートにしてみたり、いろいろなボードを挿したり抜いたりを繰り返して遊んだり、とにかく自分の勉強のためと割り切り、普通はやらないようなことまでして、寿命を縮めているようだ。大量のMP3データを保存する傍ら、こうして下町音楽夜話も打ち込めば、独自ドメインを取得して自分なりの言いたい放題を書き連ねたホームページを公開もしている。つまり、支払った分は十分取り返しているという自覚があるほど使い倒しているのである。
その傍ら、ノートPCに関しては、NECやDELLに浮気したこともあるが、ソニーのVAIOがこれで4台目であり、いかに気に入って使っているかということをご理解いただけるだろうか。猛烈な量の文章を作成することもあり、モバイル・タイプのメリットを最大限活用して、時間さえあればところ構わず入力しているような使い方なのだ。ただしモバイルの悲しさ、キーボードは薄く設計されているので、寿命は短い。こればかりは、力を加減しているつもりでいながら、やはり夢中になればそれなりに強く叩いてしまっているようで、どうしてもキーボードに不具合が出始める。まあ2年がいいところという訳だ。
デジタル音源がかなり高音質で再生できるようになった現在、PCで音楽を聴くことが当たり前になった。その一方で、オーディオセットで聴くという、以前では当たり前だったことが、必ずしも普通ではなくなってしまったのだ。何が特別かというと、音楽を聴くということだけのために存在するオーディオセットというものが、それなりに贅沢な存在になってしまったように思うのだ。そもそも、音楽鑑賞という趣味は、「ながら」に馴染む有り難いもので、他のことをしながらでもできる、非常に制約が小さな趣味なのである。他の趣味は大抵ひとつに専念してないと成り立たないようなところがあり、時間の有効活用という意味でも、有り難いものだと思う。映画を観ながら読書はできないし、釣りをしながらドライヴはできない。そして、ここにきて痛感していることがある。それは、音楽とPCの相性の良さということだ。
とにかく、デジタル全盛時代における音楽鑑賞のあり方を提示し続けているのは、やはりソニーという会社だと思う。CDというメディアを開発した企業であるというほかにも、カセットテープの時代からウォークマンを提供し続け、音楽をプライヴェートなものにしてしまい、若者のライフスタイルや人間と音楽の関係そのものを大きく変えてしまったのもこの企業の仕掛けたことだ。
その一方で、高級オーディオ路線を開拓し、本格的に音楽を楽しみたいという欲求をもった人種にもきっちり話題を提供しているあたりが、普通ではないのだ。ここで、デジタル・オーディオの手軽さばかりを追求する方向性だけで押し通していたら、アップルのiPodが世界的に大ヒットした時点で大打撃を蒙ったかも知れない。もちろん市場のシェアというべき側面から見ればそれなりに影響はあったろうが、PCからポータブル・メディアにデータを送り込んで大量の楽曲を持ち歩くというライフスタイルを定着させてしまったことは、ソニーにとってプラスの影響も十分にあったように思う。そもそも、東芝ほどCCCDに拘りを見せなかったあたりが、こういった音楽の聴き方が定着するという予見ができていた証拠だ。
これは、VAIOが音楽趣味人にアピールする機能満載で発売されたあたりで、確信犯となる。とりわけ「ソニック・ステージ・マスタリング・スタジオ」という、優れて高音質で使い勝手のよいアプリケーション・ソフトをバンドルしている点が、さらにこの傾向を雄弁に物語っている。これは第185曲でも書いたことだが、簡単に言ってしまえば、アナログ音源をデジタル化して、CDを作るソフトである。VAIOはビジネス・モデル以外は全てこの機能を持っているわけで、他のメーカーより少し高めの価格設定がされたノートPCに、ちょっと前なら音楽スタジオ並みとも言える装備を詰め込んである。
とにかく、この辺りの音楽人向けの戦略の抜け目なさや方向性の正しさはやはり只者ではないように思う。自分には、オーディオ業界の再編や、レコード業界の再編も、全て見越したうえで練られた戦略のように思えてきて、この企業が思い描く未来図があまりにクリアなことに驚きを隠せないでいるのだ。バッテリー問題で大きな打撃を受けたという話もあったにせよ、この企業の魅力に関しては、当分揺るぎそうもない気がする。
ちなみに、気になることが他にもある。紙ジャケットCDのお値段である。ソニー系列のものは1,890円というお値段に対して、東芝やワーナーなどは2,600円程度と大きく差が出ている。中高年向けともいえる、1960年代70年代のロックや、かなりカルトなものまで含めて徹底的にリリースされているジャズの中心的な購買層は、やはりある程度年齢のいっている生活にゆとりが出てきた世代なのかとも思われる。昔に憧れた大好きなミュージシャンの紙ジャケットCDがリリースされれば「まとめて買ってしまおうかな…!?」と思える世代とも言えようか。
例えば10枚まとめて買うとすれば、7,100円の差である。意外に大きい。この辺の価格設定は、何とも微妙で購買意欲をそそるものだ。ただしずるいのは、初回限定と言っておきながら、しょっちゅう追加リリースされることである。中古盤店で猛烈な値札をつけている紙ジャケットCDは、懐かしさとともに、怪しい(危うい)魅力に輝いているのである。
紙ジャケットCDをはじめとしたパッケージ・メディアを高く売って、贅沢者の中高年から巻き上げている分には問題にもなるまいなどと思いつつ、若者はダウンロード販売で満足しているのだろうかと疑問に思わなくもない。しかし、ダウンロード販売の件数は急激に増えているようなので、やはりこれもライフスタイルの変化と考えてよいのかも知れない。どうしても、パッケージ・メディアに魅力を感じてしまう我々の世代には、あまりアピールしなくても、ワンルーム・マンションなどの狭い部屋に暮らしている若者には、案外魅力的なのかもしれない。
大小さまざまな「さら」で溢れかえっている我が家の中を見渡す限り、どうしてこうも場所をとるのかといつも頭を悩ませている自分が情けない。確かにモノが溢れかえっている様はあまりみっともいいものではない。魅力あるパッケージが忘れられないアナログの世界と、カジュアルでスタイリッシュなダウンロード志向の世界と、いずれの魅力も認めざるを得ない。結局何を聴くかなのだろうが、最近のミュージシャンよりも、昔に聴き馴染んだものの方に魅力を感じるのは年齢のせいだろう。それは十分に理解したうえであえて書くが、これはダウンロードで済ませようかなという考え方は、結局同時に音楽の魅力を殺いでいるようにも思うのだが、いかがなものか。
とにかく、この期に及んでアナログ盤を収集することの意味が何なのか、花粉症の薬でボーッとした頭で考えていたのだが、結局のところよく分からない。ある意味、PC人間と言ってもいい自分のような人間が、アナログLPの魅力にいまだにまいっているのだ。アナログの時代のものはアナログで聴きたいという思いが常々あるうえに、あのノイズまでもが愛おしく思えるほどに、アナログの音が好きなのである。当然、デジタルものと比べるまでもなくアナログ盤の取扱いは面倒だ。最近では魅力的な紙ジャケットCDなどもあって、懐古趣味を満たしてくれる環境は整っているし、「デジタルとアナログは上手く使い分ければいいんだ!?」という持論は何度も書いたことだ。
結局のところ、音のよさだけでアナログ盤に拘っているのではないのだ。そういうときの音のよさということ自体、すでにデジタルに凌駕されている部分もあり、ノイズがなく低音や中音域が細ることもないデジタル音は、機械的に計測すれば、圧倒的に高音質ということになるだろう。それでも、面倒な上にプチプチとノイズが入るアナログの音がいいと思えるのは、やはり懐古趣味以外の何ものでもない。それに加えて、聴き馴染んだものがよいという安心感もあったりするのだろう。むしろ、未CD化音源がまだまだあるからという理由は、よほどのマニアでもない限り通用する理屈ではなくなってしまった。
そして、ソニーはこの期に及んで面白い商品を投入してきた。来月15日に発売になる、USB端子を備えたレコード・プレイヤー「PS-LX300USB」である。ここまで、はっきりとターゲットが想定される商品というのも珍しいのではなかろうか。中高年が死蔵しているアナログ・レコードを、デジタル音源に置き換えて楽しみなさいというわけだ。価格は2万5千円ほどなので、決して高級オーディオと呼べる代物ではないが、一方でちょっと気軽に手が出せる価格設定は、やはりやってみようかという気にさせるものだ。自分の場合は、以前からそれなりに投資して諸々の機器を揃え、アナログ・レコードの音源をCD-Rに焼き付けて、ドライヴのBGMなどとして楽しんでいるが、決して手軽という環境ではない。この「PS-LX300USB」とVAIOなどのPCとを繋いで変換すれば、実にお手軽に高音質を楽しめるわけだから、さほどPCに詳しくない中高年の方にとっては願ってもない環境を提示してくれているわけだ。
さて、では一体どういったアナログ・レコードをPCで楽しめというのか、考えてみると案外面白い。自分の場合は、当然ながらCD化されていないものやCDが入手困難なものを中心に楽しんでいる。例えば、1980年代に多くリリースされた12インチ・シングルなどは、CD化が進んでいない部類の代表である。意外に有名ミュージシャンの未CD化音源が多く眠っている、まさに穴場なのである。エアロスミスやヴァン・ヘイレン、スティングなどといったところだ。また、最近はヒットが出ていないこともあり、すっかり過去の人になってしまった感のあるハワード・ジョーンズなどもそうだ。コンピュータを駆使して良質のポップソングを提供し、1980年代中盤に立て続けにヒットを飛ばした彼の音源は、意外にCDにはなっていない。「ホワット・イズ・ラヴ」「オール・アイ・ウォント」「ノー・ワン・イズ・トゥ・ブレーム」など、クオリティの高いバラードの名曲の宝庫だったのに、勿体ない。また、1970年代に一世を風靡したウェストコースト・ロックのマイナー作なども多い。爽やかなコーラスをフィーチャーしたこういった音楽が、もっともアナログ再生に適していたのではと、いまだに信じている。それらの音源を、手軽にデジタル環境で楽しめるのであれば、まさに願ったり叶ったりではなかろうか。
毎日アナログ盤に針を落とすかというとそんなことはない。最近はそうした気分的余裕もなく、針を落とすくらい大した手間ではないだろうと思わなくもない一方で、やはり手軽なCDやPCにコピーしたMP3などで聴くほうが圧倒的に快適で便利なことは否定しない。特に最近は音楽趣味人のためのPC環境が整ってきており、圧縮したデジタル・データの再生音が、本当に素晴らしいレベルになってきているのだ。もう、リヴィングに大きなステレオ(こういう言い方自体既に時代遅れの極みかもしれない)を置いて、音楽を楽しむ時代ではないのかも知れない。アナログ盤を愛でる感覚と、音楽を楽しむという行為が、以前よりも距離のある別の行動として語られるべきものになりつつあるようにさえ感じるのだ。
結局のところ、オーディオ装置がなくても、PCがあれば、ダウンロード販売で最新の音楽が楽しめてしまう時代の音楽鑑賞は、パッケージ・メディアの極みとして、ジャケット・アートも一つの大きな楽しみであったアナログ・レコードによる音楽鑑賞などとは、全く別の価値観で語られるべきものなのだろう。相変わらず猛烈な勢いで進化するデジタル社会の魅力というものは、機械好きには堪らないほど楽しい世界でもある。まさに日進月歩のコンピュータ業界ではあるが、進化のスピードは恐ろしく速い上に、次から次へと新しいサービスも始まっている。アナログだ、デジタルだ、という話自体が陳腐化してきたようにすら感じてしまう今日この頃である。
■2026年の独り言■
これも部分的に陳腐化してしまった文章でしょうが、2008年の時点でどういう感覚だったかを知るには良い素材ですね。その後のPCオーディオの充実は素晴らしいものです。アナログ復活は時間をかけて徐々に徐々にきますからねぇ…。
システムやPC関連は進化の速度が他と違うのか、何を書いても陳腐化は避けられないですね。
