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下町音楽夜話 Reloaded 584「心象風景とECM」

■■■本稿は下町音楽夜話584「心象風景とECM」(2013年8月31日)に加筆修正したものです■■■

先日、ラルフ・タウナーの2001年のアルバム「アンセム」が紹介されているのを目にして、そう言えば聴いてなかったなと思い出し、注文してみた。リリース当時、このアルバムのジャケットが気に入り、何度も買おうと思い立ち、何度も思いとどまってしまったのだ。自分の場合、ジャケ買いが非常に多い。40年以上も音楽を聴き続けていると、ジャケ買いに関する嗅覚も鋭くなって、自分好みのものを見つけ出す能力が鍛えられているのである。

ラルフ・タウナーの「アンセム」は、見た瞬間からこれは絶対に自分好みのアルバムだと確信したものの、裏切られたときの悔恨が恐ろしくて、なかなか手が出なかったのである。如何せん、好みのジャケットである。車のフロント・グラスについた雨粒、ワイパーが拭った痕跡、フォーカスは雨粒寄りだが、かなり甘い。通して見える景色は、ボヤボヤである。この写真をアルバム・ジャケットに使おうと思うその感覚だけで、彼の美意識を支持したくなる。

「心象風景」という言葉をご存じか。ウィキペディアでは「現実ではなく心の中に思い描いたり、浮かんだり、刻み込まれている風景。現実にはありえない風景であることもある。」と定義している。当時思ったものだ。この写真は、自分の心象風景ではないか…と。どこかで見たことのある風景、心に刻み込まれている風景に似ているのか、どこということを思い出せるほどの具体性はないものの、デ・ジャ・ヴ、既視感を思い抱かせる風景の典型ではないか。ただし、誰もが雨の日に田舎道を車で走った経験があるとは思えないし、そこからイメージする決してハッピーではない感情を歓迎する人間ばかりではないはずだ。たまたま、自分にとっては、あまりにも印象的なこの写真が、とても大切なものになってしまったということなのだ。

問題は、そこに収められている音楽とジャケット写真にギャップがある恐れだ。ECMの透明感と空間的な広がりを持った音の個性は、決してイメージを損なわないでいてくれるであろうと期待はできる。しかし、気に入らなかったとき、どうしようもない挫折感と悔恨が心の奥深くに残るような恐怖にも似た感覚が拭えなかったのだ。12年もの月日が経ち、自分の手元にそのCDがやってきてもなお、その感覚は拭えなかった。直ぐに聴く気になれず、しばらく眺めていたものだ。そして得られた安堵は、心の深いところまで染み渡るものであった。予想していた音と同じとは言えない。それでも、期待を裏切らないでいてくれるクオリティは維持していた。

自分が「最も好きなジャケットは?」と尋ねられたとき、多くの場合、パット・メセニー・グループの「オフランプ」を挙げる。フリーウェイを下りる瞬間に見えるであろう路上のサインを切り取った光景が、何故それほど好きか自分でもうまく説明できない。しかし、30年経っても大好きなジャケットの筆頭だ。ECMの代表的なアルバムともいえる一枚であり、パット・メセニーの代表作でもある。自分のみならず、多くのリスナーが支持する何かがこのアルバムにはあるのだ。哀愁、情熱、希望、逡巡、さまざまな感情を描き出すギター・シンセの音、恐ろしくなるほど心の奥深くまで染み込んでくる。「オフランプ」以外にも、自分にとって忘れられないジャケット写真が、ECMには数多く存在するのだ。イラストのものもあるが、そちらには全く興味がない。とにかくECMのジャケットの魅力は写真である。そこに通底した美意識は、音楽の価値を一層高めている。

結局のところ、アイヒャーの美意識ということになるのか。それにしても、この手触りの冷たさはいったい何を意味するのか。…ドイツの空気か。メセニーのフリーウェイと同じ語法で捉えていいものか迷わなくもないが、一つの終焉と新しいことの始まりに対する漠々とした不安、懐かしさから得られる安堵感、いろいろな感情が混じり合った混沌とした空気、焦点を結ばない閉塞感、僅かな希望…、一枚の写真から得られる感情があまりにも多く、また自分の気分でも変わるであろう印象があまりにも複雑で、特定の感情を持ち得ない、不思議な存在となる。

ラルフ・タウナーの「アンセム」の場合、ジャケットから思い描いていた世界がそこにあったわけではないが、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」のA面を聴きながら人生の目的を考えるのと同等のレベルで、思索に向いた内容であることが嬉しい。実のところ、「考え事をするときのBGMに最適ですよ」というだけのことかもしれないが、こういうアルバムの存在は結構ありがたいものである。まずは、ジャケット写真をじっくり見ていただきたい。きっと何か響くものがあるはずだ。


■2026年の独り言■


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