下町音楽夜話 Reloaded 432「カヴァー集の意味」
■■■本稿は下町音楽夜話432「カヴァー集の意味」(2010年10月2日)に加筆修正したものです■■■
最近はヴェテラン・ミュージシャンによる、人生の総括的なアルバムのリリースやライヴ活動が多く、昔ながらの音楽ファンにとっては嬉しい状況である。素直に喜ぶ気になれないものもないわけではないが、レコード会社主導の妙な企画よりはよほど楽しめる。とりわけ精力的にそういった活動に取り組んでいるのがエリック・クラプトンである。コンスタンスにアルバムもリリースしてくるが、それに加えてクロスロード・ギター・フェスティヴァルを毎年開催して素晴らしいギタリストを紹介しているし、自身のコンサート活動も、クリームを再現したりブラインド・フェイスやARMSコンサート以来になるスティーヴ・ウィンウッドとの共演も実現した。やり残しはないかと考えてみても、もう十分という気すらしてしまうほどだ。そのエリック・クラプトンの新盤がリリースされる。またまたカヴァー曲が中心のアルバムだが、如何せん「クラプトン」というタイトルからして、自分自身のルーツ回帰を試みていることは明らかだ。
実はほぼ同時にフィル・コリンズとサンタナの新盤もリリースされ、たまたま同日に我が家に届いたもので、ついつい比較してしまったのだが、3枚が3枚ともカヴァー集なのである。昔なら大騒ぎして、大量の平積みが大手輸入盤ショップなどの店頭に出現したであろう3人である。フィル・コリンズは1990年代中盤から一気に人気を失い、最近では活動状況のニュースが伝えられることもほとんどなくなってしまった。サンタナに関しては、奇跡の復活と言われた1999年の「スーパーナチュラル」以降、若手ミュージシャンとのコラボレーションなどが話題の中心に移っており、本来のエモーショナルなラテン・ロックそのもので評価されているわけではないような気もするが、グラミー賞も獲得し、ヒスパニック人口の増加とも相俟ってか、一定の評価は獲得し続けているといった具合だ。
エリック・クラプトンは相変わらず人気が高いようだが、それでも今回の新盤はさほど騒がれたようには思えない。むしろ、サンタナの新盤の選曲の面白さやゲストが誰だといた話題のほうが目についたような気もする。3人の中で唯一エリック・クラプトンだけが新曲を織り込んで、単なるカヴァー集ではなく、自身のルーツと向き合っているような姿勢を見せているのだが、いまさらエリック・クラプトンの新曲もあったものではない、というところなのだろうか?もう古いロックのマーケットはさほど大きくないということか?…と思わなくもないのだが、それでもローリング・ストーンズやビートルズの大昔の映像を高画質で蘇らせただけのリリースでも大騒ぎするのだから、まだまだ商機は残されているような気もする。しかし、確実に50年という著作権の保護期限が近づいていることもあり、1960年代の遺産を売り急いでいるような現状は少々哀しくもある。
とにかく、いずれのアルバムも決して悪くはない。フィル・コリンズの8年ぶりの新作スタジオ録音「ゴーイング・バック」は、自らのルーツとも言えるモータウン・ヒッツへのトリビュート感たっぷりのカヴァー集である。一足先に発売になった国内盤は25曲、自分が購入したUS盤は18曲と、随分曲数が違うが、非常に耳に心地よい軽快なサウンドが懐かしい感情を喚起する。「ヒートウェイヴ」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」「ジミー・マック」などは、子どもの頃から聴き馴染んだ曲だけに、思い出したくもない小学生の頃の思い出まで引きずり出してきてくれた。これには少々まいったが、やはり懐かしいものは懐かしい。それを大ヒット曲「ユー・キャント・ハリー・ラヴ」と同様に、あのフィル・コリンズのヴォーカルで聴けるのであるから楽しい。
エリック・クラプトンの「クラプトン」は、多くのカヴァー曲を含むアルバムだが、一応自作曲もある。合計14曲は、いずれもなかなか聴きごたえがある。ジャジーかつブルージーで、1990年代前半に非常に人気が再燃した頃の質感に近い。こちらは、豪華ゲスト陣が目を引く。アラン・トゥーサン、シェリル・クロウ、デレク・トラックス、J.J.ケイル、ウィントン・マルサリスといったロック、ジャズ、ルーツ系など幅広いジャンルのビッグネームが参加している。プロデュースはドイル・ブラムホールⅡ、最近のエリック・クラプトン・バンドのギタリストとして欠かせない存在になっているが、プロデュースの腕も大したものだ。こちらのカヴァーは「枯葉」がやはり目に付くが、「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」などといった渋い選曲がアルバムのテイストとよくマッチしている。
一方のサンタナの新作「ギター・ヘヴン」は、本人が選曲したとは到底思えないものだが、面白いことは面白い。「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」といったベタな選曲は気恥ずかしい域だが、「ホール・ロッタ・ラヴ」や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などは意外に聴けるものだった。また「フォトグラフ」や「バック・イン・ブラック」といった80年代ヘヴィメタルの名曲は違和感バリバリだが面白い。またジョー・コッカーをフィーチャーした「リトル・ウィング」やジョニー・ラングをフィーチャーした「アイ・エイント・スーパースティシャス」は素晴らしい出来である。ボーナス・トラックがいろいろあるようだが、この2曲で締めくくるインターナショナル盤が、後味は最もよさそうだ。
「ギター・ヘヴン」は他の二人のルーツ回帰とは明らかに異なる企画ものである。曲の年代からして、彼のルーツとは言えないものばかりだ。しかし企画の勝利というべきか、恥ずかしさもつきまとう内容であっても、楽しめるという意味ではダントツだ。コラボレーションの相手方も非常にヴァラエティに富んでおり、様々な世代と様々な人種の人々が楽しめるものになっているのではなかろうか。
第三世界の台頭著しい昨今、案外旧世界と新世界といったレベルでの異文化の架け橋になっているのは、サンタナのような存在なのかもしれない。多くのものが変化し続ける現代、文化的には明らかに安定期ではなく過渡期である。いまだ20世紀の文化を引きずりながら21世紀のあり方を模索しているような現在のサブカルチャーは、まだまだ変容していくのだろう。これからどういった面白い文化が生み出されてくるのか、非常に楽しみだ。
一方で、過去を振り返ることを悪く言うつもりはない。20世紀の文化というのは、それだけ偉大なものであったと思っている。やれゴシックだのルネサンスだのといった、偉大なる遺産を否定する解釈はないのと同様、20世紀のモダン・カルチャーも大いに敬意を持って評すべきなのではなかろうか。ルーツ回帰的作品は、自分の過去を振り返っているだけと捉えることも可能だが、それだけ安心して聴ける側面もあり、現代人に心の安らぎをもたらすものでもあるはずだ。
■2026年の独り言■
当然ながら古いものを否定するつもりはありません。アナログ回帰が進む中で、何がしたいのか、自分の進んで行く方向を見定めているようですね。結局新しいアーティストもアナログ盤をリリースしてくれるようになって、ここで書かれているような迷いみたいなものは必要なくなっていくんですけどね。…そういう意味では少々陳腐化した文章かもしれません。
