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マイナスの世界を生きる私たち

 私は恵まれているのか?かつて私は自分自身を「恵まれていると恵まれていないの狭間でひっそりと暮らすひとりの大学生」と称してnoteを書いた。そのnoteの中で、私は「恵まれていることが罪なのかは分からない、だが、罪悪感は感じなくてよい」と訴えた。

 かくいう私は自分の人生を送ることに罪悪感を覚えない。しかし、罪悪感がないことは、私が恵まれていることも恵まれていないことも証明してくれない。だから、私は今までずっとその狭間でひっそりと暮らしてきた。

 私には恵まれている側面がある。また別のnoteで「私は特権性という考え方に出会って以降、次第に自分は比較的恵まれた立場にあったのだという自覚が芽生えていきました」と告白した。

 ただし、特権性を自覚することは心地よいものでは決してない。自分が恵まれた側だとわかって嬉しい、などと思ったことは一度もない。

 私は恵まれている側に置かれると居心地がわるい。私のマジョリティ性(日本人、男性、健常者など)は出生時に割り当てられたもので、自分で選び取ったものではない。外国人、女性、障害者が不利益を被る状況を是認してまで自分が有利でいたいと私は考えない。私が生まれたときから履かせられている下駄は今になって靴擦れを起こしている!

 学歴や収入などは自ら獲得するものだと考えられるが、それすらも私にとってはどこか着慣れない服のようだ。勉強ができる子どもは小中高を経るうちになるべく"いい大学"に行くよう水路づけられる。私は素直に大人や社会の期待に応えてたからこそ"いい大学"にたどり着いた。人間は他者との関わり合いの中で生きていく存在だからこそ、自分の意思に他人の意思が入り込んでくることは避けられない。かつては自分の進路のことは自分で考えて決めたと確信できていたのに、今はそれが難しい。

 恵まれていることは幸せを約束しない。"いい大学"、"いい会社"に入ったところで幸せになれると決まったわけじゃないし、毒親に育てられたからといって幸せになれないと決まったわけじゃない。幸せになれる確信がない世界で生きて、私は不安で仕方がない!

 それでいて、幸せな人にだって苦しみはある。それは他人からすれば取るに足らない問題なのかもしれないし、日常的に苦しみに耐えている人からしてみれば「その程度のことで苦しんでいるアピールをするな」と非難されることなのかもしれない。それでも苦しいものは苦しいし、吐き出せないと喉が詰まりそうになる。

 気持ち悪くなったら嘔吐するように、苦しみを吐き出そう。あなたはあなたの苦しみをありのまま叫んでいい!他人を攻撃するときの言葉はありのままではない。あなたの苦しみをあなたの言葉で聞かせてくれ!言葉にならくても構わない。それなら頭を空っぽにして一緒に踊ろう、苦しみから逃れる術を一緒に試みよう。

 私は「ノーブレス・オブリージュ」という言葉が嫌いだ。ノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)は、貴族やエリートが持つべき精神性として使われるフレーズで、権力や影響力を持つ者は社会的地位を利用して他の人々を助けるべきだという意味を持つ。他者貢献すべきという信念には同意するものの、社会的地位が高い/低いに基づいて、自分は助ける側/相手は助けられる側と区分することは傲慢なことのように思う。他の人々を助けるのは人間として当たり前のことなのだから「利他」という言葉で事足りる。

 また、恵まれている人にだってつらい時があるのだから義務に縛られなくてもいい。私は、恵まれている人に「お前は恵まれてるから良いよな」とは言わない。羨ましがって同じになろうとすることも、異なる存在として一線を引くこともしない。あなたはあなただけの人生を生きていて、私は私だけの人生を生きている。あなたと私は異なる苦しみを抱えているという点で同じだ。

 今、私は自分が「恵まれていると恵まれていないの狭間」で何をすればいいかがはっきりわかる。そもそも「恵まれていると恵まれていない」という言葉から「+100←---→-100」を連想していたせいで、自分がどの立場にいるのか(+か-か0のどこにいる?)がわからなくなっていた。人はそれぞれ苦しみを抱えているという所に着目すれば、「0←---→-100」という目盛りで考えることができ、みんなも自分も、具体的な数値は分からないけどひとまずマイナスの中にいると理解することができた。みんながマイナスにいるという一体感は、きっとあなたをひとりぼっちにさせない。

 私は自分を変えることが難しいから、社会を変える。私は「恵まれている」と言われるような属性を有している。それらは性別や家庭環境のように物理的に変更不可能なものや、学歴や収入のように自ら手放すことが難しいものばかりだ。

 誰かが私にノーブレス・オブリージュを期待する、誰かが私をプラスの世界に置いてけぼりにしようとする。私はみんなと一緒にいたいから、マイナスの世界で生きる仲間のことを思い出せるよう、noteを書いてみんなに呼びかける。

 この世界はゼロの壁を越えてプラスに転じることはない。しかし、それは絶望ではない。-1の世界はきっと信じられないくらい楽しい。苦しみの否定形で幸せになろう。-4-(-3)=-1。不満や不安を吐き出そう。マイナスの世界を生きる私たちが、きっと助けに行くから。

世界ではいつもどこかで人が死んで、現世は時限つきの地獄に見えた。
僕は地獄で大合唱がしたい。

ぎんじろう


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