断崖絶壁のカモシカ|熊本地震を経て銀座にたどり着いた、父娘の物語
熊本地震から丸9年。
そしてその熊本地震をきっかけに
わたくしどもが銀座に店を出して
同じく9年が経とうとしています。
あの日、何が起きて、どう立ち上がったのか。
なけなしの勇気をどうやって振り絞り、
覚悟を固めて「新しい地での商い」に
挑んでいったのか。
私たち家族の記録を、綴らせて頂きます。
長くりますが、宜しければ
お付き合いくださいませ。
【 プロローグ: 2016年のあの日 】
体調を崩して早めにベッドに入った
わたくしは、地の底から響くような
地鳴りとともに始まった強烈な揺れに
飛び起きました。
地震だ。
大きい。
やけに長い。
ベッドから振り落とされるのではと錯覚
するほどの地震の中、家のあちこちから
何かが落ちたり倒れたりする音が
聞こえます。
ひとまず収まったのを確認し家族の部屋に
駆けつけると、とりあえずは全員怪我もなく
ただただ「なんだ今の地震は」と呆然
としていました。
我に返って、まずスタッフの安否を確認。
幸いにも全員無事でした。それから
「店の様子を見に行こう」と父に声を
かけられ、車で店舗へ。
懐中電灯を片手に恐る恐る店の扉を
開けると、そこにあったのは見るも
無残な「私たちの生きる場所」でした。
【 1. まるで生身のような 】

べろりとはげ落ちた天井、
剥き出しの配管や骨組み、
飛び散ったガラスの破片。
大怪我を負った身体のような、
血の匂いすら感じるような。
呻き声すら聴こえるような…いや、
この呻き声は自分たちから無意識に
漏れていたものでした。
「これは…」
様々な経験、平たく言えば修羅場を
幾度となく乗り越えてきた父も、暫く
そこから言葉がありませんでした。
深夜だったこともあり「とりあえず、
今できることは無い、一旦帰ろう」と
帰宅。
翌朝、スタッフや従兄弟たちが駆けつけて
くれて総出で店内の片付け。
半日がかりでやっと、天井以外の
片付けはひと段落しました。
あとは業者さんに手配をして修理を
お願いして…
大丈夫、やれる。元に戻せる。
自分に言い聞かせて帰宅して、
疲労困憊の体を横たえました。
そうしている間にも大小の地震が
立て続けに起きていましたが
「大丈夫、
あれ以上の地震なんかもうない」
と思っていたのです。
わたくしも、家族も、
おそらく多くの人たちも。
それがただの思い込みだったという
事を知らされたのはその僅か数時間
後の深夜でした。
【 2.本震 】
地鳴りと家族全員の携帯電話から
緊急アラームが鳴り響いたのはほぼ
同時だったように記憶しています。
家そのものを何か巨大な手で
鷲掴みにされて振り回されている
ような、立っていられない、
その場から吹き飛ばされそうな
凄まじい揺れ。
母の悲鳴と、狂ったような音量で響く
アラームと、あらゆるものが壊れる音、
ゴゴゴゴという地鳴り。
紛れもなくそこには死の恐怖がありました。
怖くて家にいられない、という母を
宥めながら、父とわたくしはインコが
いる大きな籠と母を抱き抱えるように
して車に乗り込み、狭い車内で励まし
あって過ごしました。
生まれて初めての車中泊。
車に移動してからも頻繁に揺れ、段々
本当に揺れているのかいないのかも
定かではなくなっていきました。
あの電柱がこちらに倒れてくるのでは
ないか、今にも地面が割れてしまう
のではないか。
怖い、怖い、怖い。
眠れるはずもなく朝を迎え夜明けと
同時に再び店へ。
「せっかく片付けたのに」
再び襲った大地震の影響で、昨日
片付けたはずの店内は時を巻き戻した
かのようにあらゆるものが壊れ、散乱
した状態になっていました。
【 3. 頭をめぐる絶望 】
「せっかく片付けたのに」
「せっかく今年は30周年なのに」
「せっかくここまで頑張ってきたのに」
1986年に創業したわたくしども日子
(HIKO)は、その年が30周年の節目の
年でした。
何か大きなイベントをして、お客様に
感謝の気持ちを伝えよう。
そう思っていたのに。
わたくしの頭の中は絶望感で
いっぱいになっていきました。
この状態を片付けてやり直しても、また
地震が来て全て台無しにするのでは?
今度こそ、誰かが犠牲になってしまう
のでは?
何もかもこれで終わりなのでは?
前向きになりたいのに、なれません。
しかし傍にいた父は同じ光景を
目にしながらも全く違うビジョンを
見ていました。
そして、こう言ったのです。
「銀座に店ば出そう」
と。
【 4. 父の問い 】
「え?」
私は思わず父の顔を見ました。
「人間、
いつどぎゃんなるかわからんばい。
だけん、夢ば叶えてみよごたる。」
(※人間、いつどうなるかわからないな。
だから、夢を叶えてみたい)
父は昔から、大きな夢の話を
していました。
「世界の名品を集めた店を作りたい。
世界の名品を求める方が多く集まる
場所で。その場所はきっと…」
崩れた店を前にして
父は私を見て言いました。
「この店も立て直しながら、
銀座に打って出よごたる。
ばってんこれは自分一人の
話じゃなかけん。
あんたの気持ちば聞きたか。
どぎゃん思うね?」
(この店も立て直しながら、銀座に
打って出たい。だけどこれは自分一人の
話ではないから。あなたの気持ちを
聞きたい。どう思う?)
銀座だ、銀座の名前が出た、と
心が熱くなりました。
昔父と話した夢の店。
「その場所はきっと、銀座なんだ」
「私は…」
父は黙ってこちらを見ています。
「私は…うん。私も負けたくなか。
こん地震に負けたくなか。」
そう答えたわたくしに父は
「相当きつかよ。資金繰りもせにゃあ
いかん。物件も見つけにゃんし、
新しか店に並べる商品も揃えんと。
お客さんも身内も誰もおらんところに
身一つで出ていくとだけん、並大抵の
努力じゃ間に合わんばい。あぁたに
その覚悟はあるとね?」
(とても大変な道のりだぞ。資金繰りも
しなければならないし、物件も見つけ
なくてはいけない。新しい店に陳列する
商品も揃えなくては。
お客様も身内も誰1人いない土地に
身一つで出ていくのだから並大抵の
努力じゃ間に合わないんだ。あなたに
その覚悟はあるのかな?)
と、より具体的に尋ねてきました。
その時脳裏に浮かんだのは好きな漫画の
ある一場面でした。
それは…
【 5. 問われているのは 】
「Dr.DMAT~瓦礫の下のヒポクラテス~」
という作品のワンシーン。
大変な逆境に直面し、心が折れかけた
主人公が上司から一つの言葉を
投げかけられて再度奮起、立ち上がる
場面です。
その言葉は
「今問われているのはお前の技術
じゃない!!信念だ!!」
でした。
その作品を読んでいる時はあくまで
「創作の世界の中の出来事」だった
はずなのに、自分の人生において
こんなことが起きるのか…
と、どこか冷静に俯瞰しながらも
「あります。やります。」
と応えたのでした。
そう応えなければ、きっともう、
わたくしは立てなかったと思います。
挑戦と呼ぶにはあまりにも
無謀な、壮大すぎる取り組みが
その夜始まったのでした。
【 6. 画面越しに見える笑顔 】
地震の翌々日、店の事務所でPCを
立ち上げたところ、たくさんのメールが
国内外から届いていました。
怪我はないか?不便はないか?
必要な物があれば送るから教えてほしい
取引先や仕事で知り合った方々、
お客様。
思い溢れるメッセージがそれぞれの国の
言葉で綴られていて、画面越しにその
お顔が見えるようでした。
中には毎日のように連絡してこられた
お客様も。
「そんなに頻繁に連絡したら却ってご迷惑よ」
とご家族に止められたのだそうですが
「昨日は良くても今日は困ってるかも
しれん。それにこの親子(私どもです)は
絶対に自分たちからは弱音を吐かん
から、こっちから確認してやらんと
いかんのだ」
と仰ってくださったのだと、後日お礼に
伺った際にご家族の方がお話下さいました。
そのお客様は自他共に認める「頑固者」
で何かと手厳しく、無理難題を言われて
困ってしまう事もありましたが
「この人ったら、あの頃こんな風に
HIKOさんたちのこと心配してたのよ」
と教えて頂き感激で胸がいっぱいに
なりました。
【 7. 「あの人」からも 】

また、取引先の一つであるイタリアの
テクノモンスター社の社長のジャコモ氏
は格別熱心に声をかけてくれました。
というのも、ジャコモ氏は地震の前の
月に熊本に来たばかりだったのです。
「あのイタリアンのシェフや鮨屋の大将
は大丈夫か?あの刀の研ぎ師さんは
無事か?蒲島県知事は?あの時
お会いしたお客様たちは?」
と、私どもだけでなく、彼が三日間の
滞在で出会ったすべての熊本の人々を
心から案じている様子が伝わってきます。
皆さん元気ですよ、と答えると
「キョウコたちはどうだ?もし良ければ
東京に僕の部屋があるからそこで
一時的に暮らしてもいいんじゃないか」
とまで。
また、物流は地震直後はどこも空っぽ
でしたが徐々にSNSでは
「××に行ったらお米が買えた」
「ホームセンターに水が」
という情報交換が徐々に活発に。
店の隣のコンビニには他県からの
応援スタッフさんが入り、その方が
「今が一番大変ですけど、後は
良くなるだけです。大丈夫ですよ」
と笑顔で声をかけて下さいました。
何気ない一言でしたが、本当に
救われました。
【 8. オンラインストアが再始動 】

幸い、
わたくしどものオンラインストアは
地震から一週間ほどで再始動
できました。
すると今度は「応援してます」「頑張って」
というコメント付きでご注文が次々と。
中には一着50万円を超えるヴィキューナの
セーターを「売り切れるといけないので」
とご購入くださった方も。
これから夏という時期、そして高額な品。
売り切れるはずもないのに…
お客様のお心遣いのあまりの有難さに
涙が溢れました。
オンラインストアのお客様の多くは
お顔も存じ上げぬ方々ですが、
紛れもなくそこに存在し、その温かい
思いを今こうして寄せてくださっている
のだと改めて気付かせて頂きました。
オンラインストアで日々の売上を
得つつなんとか店内の修理を終え、
実店舗も4月下旬に営業を再開する
ことができました。
「大丈夫だった?」とお客様が続々と。
ご自身も被災され、それでも
「陣中見舞い!」と差し入れを持って
きて下さったり、こちらからもペットボトルの
お水を箱ごとお渡ししたりと、
「物々交換のごたる!(みたい」とお互い
大笑いしながら過ごした日々です。

東京で暮らす友達からも「仕事の合間に
和んで」と色とりどりの飴が送られてきたり。
ですがそんな中、わたくし自身は心を
病みそうになっていました。
【 9. 身勝手な劣等感 】
復興へ向かう日々、SNSを通して
たくさんの人たちが誰かのために
動いている姿を見ました。
自分の施設をペットを連れて避難
できるよう全館開放した獣医師の先生、
避難所を訪れて口腔ケアにあたる
歯科医師の同級生、
あちこちで炊き出しをする飲食店の
友人、
行き場のない子供達を集めて一緒に
過ごしたり一人暮らしのお年寄りを
尋ねて食事を配達する私塾の先生方…。
普段気軽に笑ったり語ったりしている
人たちが、技術や環境、サービス、
それぞれの生き方を通して得た物を
精一杯使って人のために奔走する背中を
私は見ていることしかできませんでした。
自分の仕事を振り返ってみれば、
いくら高級な服であっても、相場の
何十倍も高価な服であっても、一度に
袖を通すことができるのは一人だけ。
こんな大変な状況の中で自分の仕事は
社会に何の恩返しも出来ないのだ、
と思い知らされた気がしました。
勝手に自分の仕事を卑下し、
勝手に無力感を感じ、
勝手に打ちひしがれていました。
そんなわたくしのスイッチを
パチンと切り替えてくださったのは、
あるお客様のお言葉でした。
【 10.一里塚 】

その方は時折お越しになられていた
お得意様で、その日も
「エスプレッソ飲みたい」とご来店。
日当たりの良いソファに腰かけて、
雑誌をぱらりばらりとめくり始めました。
それがその方の「いつもの過ごし方」。
どうぞ、とエスプレッソをお出しすると
ありがと、と受け取られ、砂糖をたっぷり
いれてくいっと飲み干されました。
そして一言、こう仰ったのです。
「ここがあって良かったー」
と。
嬉しいお言葉である事は感じました
が、疑問もありました。
「どうしてそう感じるのですか?」
独り言というか、無意識の一言だったの
かもしれません。
お客様は一瞬、ん?と顔を上げ
そしてそれから
「そうねぇ。ここがあるけん、早くまた
たくさん買い物できるごつ頑張ろう!
て思うけん、かな。」
(そうだね。この店があるから、早く
またたくさん買い物できるように頑張ろう!
と思えるから、かな)
と笑って答えて下さいました。
「たった今は無理でも早くそぎゃんなる
ごつって目標があるとは良かこつよ。
ここは、そん目印たい」と。
(たった今は無理だけど早くそうなる
ようにと目標があるのは良い事だ、
ここは、その目印だよ)
【 11. それが何だ?と問う父 】
良い物、気に入ったものがそばにあると
元気が出る。日々を支える柱になりえる。
それはとてもシンプルな真実でした。
たった今誰かのために何かを、という
思いの強さの分、それが同時に自分の
視野をとても小さくしていたことにその時
初めて気づいたのです。
自分で自分の仕事に、生き方に、
「価値が無い」というレッテルを貼っても
得るものなど何もない、ということに
やっと思いが至りました。
その夜、興奮気味にわたくしは父に
そのことを伝えました。
父から返ってきたのは思いもかけぬ言葉。
「あぁた(あなた)は地震に
取り憑かれとった」
(あなたは地震に取り憑かれていたんだ)
「地震が起きたことは事実。そこで
「誰かのために」て走る人がおる事も
事実。うちの仕事が直接的には
人助けに向かん事も事実。
ばってん(だけど)、それが何ね?」
「人から感謝されようがされまいが、
逆にどぎゃん悪口言われようが、自分が
選んで決めた道ば突き進むだけたい。
(人から感謝されようがされまいが、
逆にどれだけ悪口を言われようが、
自分が選んで決めた道を突き進むだけだ)
「地震だけんこぎゃん風にせなん」、て
一人で思い込んで身動きとれんごつ
なるとは本末転倒だろ。
(「地震だからこのようにしなくては
ならない」と一人で思い込んで身動きが
とれなくなるのは本末転倒だろう)
違うか?と、まっすぐこちらを見る父。
【 12.父にも葛藤があった 】

「地震に飲み込まれとるところば
今日助けてもらったて思って、
感謝して精進しなっせ。」
と。
返す言葉もありませんでした。
何かにつけて
地震だから大変、地震だから仕方ない、
地震なのに頑張っていてあの人は偉い、
私も偉いと思われたい、
そんな未熟な思いがあったことを父は
とっくに気付いていました。
今のわたくしならばそんな甘えた事は
考えません。しかし9年前はその
年月の分、未熟でした。
そのことに気付いていても、娘自身が
「これではいけない」と感じなければ、
口先だけの注意で終わってしまうことを
見抜き、黙って見守ってくれていたのです。
それまでの「思い立ったら即行動」という
生き方の父からは、到底考えられない
辛抱強さでした。
早く指摘して早く前に進まねばという
想いと、理解を伴わぬ「言われたから
やる」だけの行動は後々何の役にも
立たない、だから自分で気づくまで
待つしかないという想い。
父にもまた、葛藤があったのでした。
その気づきが、自分の中で消えそうに
なっていた勇気の灯をかろうじて
守る事になったのです。
【 13.自分で考えて自分で動け 】

父は父なりに、この逆境を何とかして
覆したいと足掻いていたのだと思います。
そして今が後継者としてのわたくしを
育てるまたと無い好機だと。
これまでのやり方ではいけない、と。
物件や自分たちの住む場所探し、
新しい店にどのような商品を並べるのか
方向性の決定、
実際にその商品をいかにそしてどの位の
ボリュームで手配するのか、
内装などの業者さんをどうやって探すか、
顧客リスト ゼロの環境に出るにあたり
どうやって告知をするのか、
そして何より
資金をどう調達するのか。
実務の多くを父はわたくしに
任せました。
それまで父任せで全く携わって
こなかった事も数多くありました。
実際に何度も足を運び東京の取引先や
同業の方々に意見を聞いたり、物件を
見学に行ったり、フランスの取引先に
アポを取って現地2泊の強行軍で商品を
仕入れるためにパリに飛んだり。
このやり方でいいのか?
と疑問に思う暇すらありません。
とにかく走る。動く。
違っていたことはすぐ修正する。
そしてまた走る。
その繰り返しです。
4月の熊本地震から約3ヶ月後の7月
下旬、この銀座の物件の賃貸契約を
結びました。
その日は奇しくもわたくしの
誕生日でした。
【 14. 扉 】
しっかりと腹を括った気でいましたが
それでも緊張はしていたようで、
契約書に実印を押す際には手が震えそうに
なりました。
「これでもう、後戻りはもうできない。」
契約後は待ったなしで店作りが進みます。

雑誌に掲載する広告を作るため日帰りで
東京の撮影スタジオにお邪魔したり、
出店祝いにと1ヶ月長く広告を掲載下さる
ことになった雑誌社の編集部へお礼に
伺ったりする合間に自分たちが住む場所を
決めるために内見巡りをしたりと、本当に
目まぐるしい日々でした。
(正直この頃の事はよく覚えていません)
そして、いよいよ銀座オープン1週間前。

わたくしが常駐のスタッフとして
熊本の店に立つのはその日が
最終日でした。
明日から上京。
感傷に浸りたい気持ちもありましたが、
続々と昔馴染みのお客様がお顔を見せに
来て下さり、あっという間に閉店時刻に。
雨の日も風の日も、悔し涙をこぼした日も、
嬉し涙が流れた日も、いつも
「明日はもっと良い日に」
と呟きながら鍵を閉めてきた赤い扉。
いつものようにカチリ、カチリ、と鍵を2箇所
かけた後、しばし扉の前で頭を下げました。
【 15. 背を押す人、手を取る人 】
いよいよ迎えた銀座HIKOの開店の日。
プレオープンにはメンズ誌の編集部の方々、
取引先、百貨店のバイヤーの方々などの
他に、招待状をお送りしていた関東圏の
お客様が続々とお越しくださいました。
中には長年オンラインストアでご愛顧
下さっていて、でもお顔を拝見したことは
ない、という方々も。

お客様の中には10年ぶりにお会いする方、
初めてお目にかかる方も。
熊本から応援に来てくれていたスタッフも
加わり、賑やかな門出の日。
実はオープンが近づくにつれ、
「自分が銀座に店を出すことは故郷を
捨てることになると思われるのではないか」
とまたネガティブな事を考えそうにも
なっていました。
ですが、
「銀座のあの名店の発祥は熊本だ、
と言われるくらいに大きな店になれ」
「元気が出るニュースだ、ありがとう」
「胸張って行ってこんね!」
と背中を押してくださった熊本の
お客様の存在がありました。
そして
「よくぞ銀座に来てくれた」
「大変だったでしょう、これからよろしく」
と手を取って迎えて下さった東京の
お客様や取引先の方々。
「オープンに間に合うように
最優先で商品を用意します」
と迅速そして柔軟に商品を用意
してくださった作り手の方々。
全ての方のためにも、出来る事を
精一杯やろうと志を新たにしました。
【 16. 逆境再び 】
いわゆる「顧客リスト」もゼロ、
頼れる身寄りもいない状態で
覚悟と夢だけを持って挑んだ銀座出店。
ありがたいことにメンズ誌の方々や
メディアの方々が「銀座にこんな店が
オープンしました」と告知をして
くださったり、SNSで繋がった方や
以前からのオンラインストアのお客様が
ご来店くださったりと、ご縁に恵まれ
ました。
何の実績も無かったわたくしどもですが
ポテンシャルに価値を見出して下さった
方々もいました。
三越伊勢丹の、日本橋三越本店
紳士服バイヤーチームの方々です。
「こんな品揃えを地方から来た、
しかも家族経営の店が続けている事。
これは凄いことです」
とお言葉を頂き、お取引がスタート。
特別な催事にお招き頂いたり、
ポップアップストアを出させて頂いたり。
前例がない取り組みだったに違いありません
が、良い物をお探しのお客様との出会いを
沢山紡いでいただきました。
それから無我夢中で走り続け、ようやく
おなじみのお客様も増え「さあ、ここから」
と前のめりになった頃にやってきたのが
コロナ禍でした。
緊急事態宣言下の銀座は、人よりも
鳩が多いほどで車さえもまともに走って
いませんでした。当然ご来店もゼロ。
オンラインストアのご注文対応のためだけ
に交代で一日数時間出勤する日々。
熊本地震よりも大変なことなどそうそう
ないだろうと思っていたところにまさかの
苦境再び…
【 17. 自力でチャンスをつかみに行く 】
ですがまさにその熊本地震での経験が
あったからこそ、コロナ禍だから大変、
コロナ禍だから仕方ない、とはならず
「だからこそできることがあるのでは?」
と挑む気力が湧きました。
ご来店が全くなかったため時間は沢山
ありました。
誰もいない店内でオンラインストアに
掲載する写真の撮り方、見せ方を徹底的に
学び直し、照明などの機材を用意して
撮影撮影、また撮影。
そして撮った写真をより実物に近づける
ため、フォトショップの使い方も研究
しました。

こうした試行錯誤の甲斐あって、
お客様方から「画面で見た印象の
通りの商品だった」と嬉しいお声を
いただくことが増えました。

届いた、お礼のお手紙とDVD
NHKのサラメシにメールを送って出演が
決まったのも、「ピンチだ、いい事が無い、
と決め付けず自分で機会を作りに行く」
という執念が実らせた結果です。
多くの方が「サラメシ見たよ!」
「元気が出た!」とお声をかけて下さり、
ご注文や御来店にも繋がりました。
出演から5年経った今でも
「番組を見て来ました」という方が
いらっしゃるほど。
あの流れが無かったら、今こうして商いを
続けている事は難しかったかもしれません。
【 18. そして出会いは紡がれる 】
この9年を振り返ってみると、特に日々の
支えとなったのはSNSでの繋がりでした。
Twitter(と今も呼ぶ)やInstagram、
Facebook、threads…。
沢山の情報が川の水のように目の前を
流れて消えていく中で、わたくしどもが
紡いだ言葉の笹船を見つけて拾い上げて
くださった方々がいました。
今この長い長い物語をご覧下さっている
貴方もその一人です。
身寄りなく勢いと覚悟だけを胸に
上京したわたくしどもにとって
いいね!を押して頂けること、
あたたかなコメントをお寄せ頂けること、
そして「投稿を見ました」とご来店
頂けることがどれだけの支えに
なってきたか…。
「わたくしどもはここにいます」
「世界にはまだこんな素晴らしい
名品があります」
「どうか気付いてください」
と懸命に上げ続けた声に立ち止まり、
耳を傾けてくださった皆様に
改めて御礼申し上げます。
なんとか商いを続けてこれたおかげで
2025年は故郷熊本の百貨店
鶴屋様にもご縁を頂き、銀座に来て
以来8年ぶりに懐かしいお客様方と
またお会いする事も出来ました。
【 エピローグ:最後にお伝えしたいこと 】
これは決してサクセスストーリー
ではありません。
頑張ってきた事を褒めて!
という意図でもありません。
今もしも逆境にある方がこの投稿を
目にとめて下さって
「こんな親子がいるのか。
こんな心の持ち方があるのか」
と少しでも感じて下さったら、
わたくしどもの体験から「何か」を、
できる事なら小さな勇気の灯を
受け取って下さったら嬉しいな、
という思いで綴りました。
起きたことは変えられませんし、
無かった事にすることもできません。
ですが、
目の前にそびえる壁が大きければ
大きいほど、分厚ければ分厚いほど、
超えることが出来ればその壁は何よりも
頑丈で頼もしい「足場」になります。
今は越える事が難しいと思えても、
やり方を変えたり、誰かの手を借りたり、
壁に挑む自分そのものの在り方を
変えたりする事で、
拓ける道はあるのではないでしょうか。
わたくしどもの店は、いわゆる
「売れ筋」や「有名ブランド」ではなく、
まだ多くの方がご存じない名品を探し
ご紹介しています。
知名度ではなく品質や希少価値に
こだわりぬいた品々を揃えるという
スタイルは、今や稀有な存在かもしれません。
その意味では「競合他社」はほとんど
存在しません。
ですが、一歩足をかける場所を誤れば
崖の下へ――。
熊本地震、コロナ禍…さまざまな逆境に
限らず、いま振り返ればわたくしどもの
毎日はいつだって「断崖絶壁」の上でした。
我々親子は、まるでそこに生きる
カモシカのようなものです。
これからも、きっと苦難はやってくる
でしょう。
それでも知恵を巡らせ、汗をかきながら、
わたくしどもは生きていきます。
挑み続けていきます。
そしてその道の途中で、皆さまと
お目にかかれたなら――
こんなに嬉しいことはありません。
最後までお読みいただき、誠に
ありがとうございました。
