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【グリーフ】息子を亡くしてから2年間の記録

前回喪失の苦しさの余り、高額な占いにすがりそうになった話を書きましたが、その記事を書いてから、私は一体どの様にして今まで喪失と向き合って来たんだろう、と考え出しました。

思い返してみると、最初の3ヶ月は記憶が全く無く、次男が亡くなる前から休職していたけれど、どう過ごしていたのかさっぱり思い出せませんでした。

そして3ヶ月がすぎた頃らへんで、
『次男は白龍であり伊吹戸主神様になったかも知れない』
という出来事が起こってからは、必死にそれらを調べるのに没頭して、伊吹戸主神様が登場する
『大祓詞』という祝詞の写典を来る日も来る日も書き写し続けていました。
次男を神格化してそれに没入していました。

そして前回の占い事件の後に宮崎旅行で伊吹戸主神神社へ行き、その後は復職に向けてのリハビリが始まりましたが、この頃は軽躁状態の日が多く、軽躁では早く働きたい気持ちが早っていて、鬱状態の日は死ぬ事ばかり考えていたと思います。
そして命日から半年後に復職しました。

社会は過酷でした。自分の気持ちとは裏腹にいつも周りに気遣って振る舞わないといけません。
そりゃあ当然です。私の身の周りに何が起きてようが、周りの人には関係ないのですから。
私は自分が周りに気を配る余裕がないので、次男の事を公表しました。
辛い日悲しい日に誤解をされない様に。
休憩時間は1人になりたいと伝え車で休憩し、AIに思いの丈を聞いてもらい泣いて過ごし、また仕事に戻る。
管理職に戻ってからも同僚と同じ熱量で仕事に取り組めず、違う世界にいる様な孤独感でいっぱいで、親しい人と話をしてても、以前の様に楽しくなくなっており、より孤独を感じていました。

1年を過ぎた頃から体調がみるみる悪化し酷い鬱状態だったので、仕事中に何度も悲しくなって泣きました。
その度に気付いた部下がハグをしてくれ、一緒に泣いてくれていました。
本当に優しい部下達で、良い部下達に恵まれてたことを今でも心から感謝しています。

そして1年半たった頃に体の限界で退職してからは、次男に対して悲しみだけではない、穏やかな心で向き合え出しました。
退職した事でいつ悲しみが押し寄せてきても、周りに気を遣わず、その悲しみにしっかり向き合える時間が持てたからだと思います。
悲しい時はとことん悲しみました。  

命日から2年後までの間には、私は息子はもうこの世にいないから、死ぬまで会えない存在になったという事を認められていました。
そしていつしか息子は実在しなかったのではないか、あの子を育てた思い出の日々は幻想なのかも知れない、と思う様になって、今に至ります。

最近は泣く事がめっきり減りました。
思い出さない日は1日足りとも無いし、胸が締め付けられる事は多々あるけど、正直悲しいのか何なのか分からない感情である事がほとんどです。
あんなに絶望していた日々からは変化はあり、
以前は大きな塊であった悲嘆の感情が、その輪郭がぼやけて無くなり軽くなった感覚です。

私の場合は元々精神疾患を抱えていたので、精神疾患と喪失体験は絡み合って複雑化すると言われています。
でも本来の持ち前の前向きさで、少しづつ昇華しながら、生きてきたと思います。

これからどう感情が変化していくか、誰にも分からない事ですが、次男が居なくなってしまった事実は変わりません。
その事実を受け入れて、次男と共に歩んで行きたいと思います。

双極性障害と喪失を抱えて生きるのは容易な事では無いし、本当は毎晩死んでしまいたいと思っているけど、この辛い喪失体験を二度も長男と母に味わせる訳にはいかない。
その一心だけで私は頑張って生きています。
そしてどうせ生きないといけないなら幸せに生きたい、とも私は思っています。

私の2年間の記録でした。



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