大切な命を失って心が傷ついてしまった人たちへ
大切な存在を失ったとき、
日々の景色は少しだけ色をなくして見える。
空も、風も、光も――変わらずそこにあるのに、
どこか遠く感じてしまう。
わたしも、そんな時間を過ごしたことがあります。
小さな金魚、金ちゃんを見送った春のことです。
その子は、手のひらにおさまるほどの小さな体だったけれど、
その存在は、暮らしのまんなかにぽっかりと大きく根づいていました。
朝、「おはよう」と声をかければふわっと水面に浮かんできて、
ごはんの時間には全力で泳いでくる。
何も言葉を交わさなくても、ちゃんと通じ合ってるような、そんな日々。
だけど、ある日、その日々がふいに終わった。
静かな別れだった。
でも、残されたこちらの心は、静かじゃいられなかった。
見慣れた水槽の前に立つたび、胸がぎゅっとなった。
「ありがとう」と言いたいのに、どうしても「ごめんね」が先に出てしまった。
ちゃんと伝えられていたかな。満足してくれていたかな。
そんなことばかりを考えて、涙が止まらない日もありました。
春のある日。
そんな気持ちを抱えたまま、ぼんやりと外を歩いていたときのこと。
ふいに、青い影が視界をよぎりました。
それは、アオスジアゲハでした。
鮮やかな青のラインが光って、まるで宝石のような羽。
「きれい……」と、思わず見とれたその蝶は、
なんと私のまわりをくるくると舞い始めたんです。
そして、ほんの数秒後、
そっと、わたしの手のひらにとまった。
蝶って、すぐに逃げるものじゃない?
でもその子は、しばらくのあいだ、そこにいてくれました。
羽をそっと動かしながら、まるで「来てくれてありがとう」って言ってくれてるみたいに。
なぜだか、そのときふと、こう思ってしまった。
「金ちゃん、戻ってきたの?」
根拠なんて何もない。
でも、感覚でわかったんです。
その距離感も、落ち着きも、たしかに金ちゃんっぽかった。
それはほんの短い時間だったけれど、
そのあと蝶は風に乗って、静かにどこかへ飛んでいきました。
悲しくはなかった。
むしろ、「また来てくれてありがとう」って気持ちがふわっと湧いてきた。

命って、どこまでが“終わり”なんだろう。
目には見えなくなっても、
心にはずっと生き続けていて、
そしてある日ふと、姿を変えて戻ってくるのかもしれない。
蝶のように。
風の匂いのように。
花のつぼみのように。
人によって、現れるかたちは違うかもしれないけど、
「あなたを忘れていないよ」と、やさしく伝えてくれる気がする。
今、もしもあなたが、大切な存在との別れを抱えているなら。
もしも心が、ぽっかりと穴のあいたような状態なら。
言わせてください。
その痛みは、ちゃんと意味のあるものです。
それは、あなたがどれだけその子を大切にしていたかの証です。
だから、泣いていい。立ち止まってもいい。
無理に元気になる必要はない。
だけど、いつかふと、春の光の中や、
思い出の匂いの中で、やさしい気配に出会うかもしれません。
そのときは、信じてみてください。
「また会えたんだ」って。
アオスジアゲハとの出会いは、偶然だったのかもしれません。
でも、その偶然は、わたしの心をやさしく撫でてくれました。
あの体験がなかったら、今こうしてこの文章を書くこともなかったかもしれない。
小さな命は、姿を変えても、
ちゃんとこちらを見てくれているのだと思います。
あなたのそばにも、風が吹く日がきっと来ます。
そして、その風の中に、愛おしい気配が混ざっているはずです。
それまで、どうか無理をせず、
泣きたい日は泣いて、静かに、あなたのままでいられますように。
最後まで見てくださり、ありがとうございます。
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