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見えない糸が編む世界〜社長が教えてくれた、インターネットの秘密〜

「また障害か……」
私は、画面に表示されたエラーメッセージを見て、深いため息をついた。
情報通信のベンチャー企業に入社して三年。今日も、クライアントのシステムがダウンし、復旧作業に追われていた。
「ネットワークって、ちょっとしたことですぐ壊れる。こんな脆弱なシステムで、本当に大丈夫なんだろうか……」
不安が胸をよぎったその時、淹れたてのコーヒーを持った社長が通りかかった。
「インターネットって、普通に使ってますけど……本当に便利ですよね」
私は、ふと社長に声をかけた。
「知りたいことが一瞬で分かるし、地球の裏側にいる人ともすぐに連絡が取れる。まるで、昔からそこにある水や空気みたいに当たり前で……魔法みたいです」
でも、と私は画面のエラーを見た。
「簡単に壊れてしまう。こんな脆いシステムで、本当に大丈夫なんでしょうか」
初老の社長は、私のデスクの隣に椅子を引き寄せ、自分のマグカップを置いた。
「魔法、か。確かに今の若い君たちから見ればそうかもしれないね。でもね、それが水や空気のように『当たり前』に感じられるのは、先人たちがそうなるように設計したからなんだよ」
社長は、マグカップから立ち上る湯気を見つめながら、どこか懐かしそうに目を細めた。
「インターネットの最大の秘密って、なんだと思う? 実はね、インターネットには、『中心』や『支配者』がいないんだ」
「誰も管理していないんですか?」
「ああ。それを『自律分散』と呼ぶ。それぞれ独立した無数のネットワークが、ただ『お互いに情報をバケツリレーのように手渡す』というルールだけで繋がっている」
社長は、デスクの上にあったメモ用紙に、簡単な図を描いた。
いくつかの点を線で繋いだ、網の目のような図だ。
「例えば、東京から大阪に情報を送る時、直接のルートが使えなくても、名古屋経由、あるいは福岡経由で迂回できる。どこか一部が壊れても、自動的に別のルートを探して通信を届けることができる。だから、君が心配していたような『簡単に壊れるシステム』じゃないんだよ」
社長は、図の中の一本の線をペンで消した。
「この線が切れても、ほら、別のルートがある」
確かに、図を見ると、一本の線が切れても、別の経路で全体はしっかりと繋がっている。
「日本のインターネットの歴史は、1980年代、ある一人の若き研究者の途方もない夢から始まったんだ」
社長は静かに語り始めた。
「当時のコンピュータは、同じメーカーのもの同士でしか通信できなかった。IBMのコンピュータはIBM同士、NECはNEC同士。まるで、違う言語を話す人同士が会話できないように、異なるメーカーのコンピュータは通信できなかったんだ」
社長は、窓の外の夜景を見た。
「でも彼は、違う大学にある違う種類のコンピュータ同士を、電話回線を使って繋ごうとした。当時は『そんなことは不可能だ』と笑われた。でも、彼と仲間たちは諦めなかった」
社長の声に、熱がこもった。
社長は、少しだけ誇らしそうに笑った。
「そして1984年10月、東京工業大学と慶應義塾大学、そして東京大学の三つの大学を繋ぐネットワーク『JUNET(ジェイユーネット)』を完成させた。最初のメールは、たった一行。『この新しいネットワークが、日本の未来を変える』。それが、日本のインターネットの夜明けだった」
「たった三つの大学から……」
「そう。でも、彼の目標はただ一つ、『地球上のすべてのコンピュータを繋ぐこと』だったんだよ。国境も、人種も、企業の壁も越えて、すべての人がフラットに情報を発信し、受け取れる世界を。だからこそ、特定の誰かが支配する中央集権的なシステムではなく、誰もが自由に繋がれる自律分散の道を選んだんだ」
「地球上のすべてを……」
「あの明かりの一つひとつに、人がいて、生活がある。僕たちの仕事は、その見えない糸の結び目を強く、より豊かにしていくことだ。水や空気のように当たり前になったこの『繋がる魔法』を、次の世代にどう手渡していくか。それを考えるのが、僕たちの役目なんだよ」
「……はい」
私は、大きく頷いた。
社長が社長室に戻った後、私はもう一度パソコンの画面に向き直った。
私が今、ここに打ち込んでいる情報が、見えない糸を伝って、地球の裏側にいる誰かに届くかもしれない。
名前も知らない先人たちが紡いだ、巨大で優しいネットワーク。
その末端に自分が繋がっていることを感じながら、私は新しいプロジェクトの企画書に、勢いよく文字を打ち込み始めた。
タイトルは、「障害に強い分散型ネットワークの構築」。
さっきまで「脆い」と思っていたシステムが、今は「壊れない強さ」を持っていることが分かった。
そして、その強さは、誰かが支配するのではなく、みんなが平等に繋がることから生まれている。
私も、その一部になりたい。
見えない糸を、もっと強く、もっと豊かに紡ぐ一人になりたい。
カタカタとキーボードを叩く音が、まるで未来への希望を打ち込んでいるように響いた。
***
【あとがき】
この物語は、「日本のインターネットの父」と呼ばれる村井純氏の業績と、インターネット黎明期の理念をモチーフに描きました。
私たちが毎日当たり前のように使っているインターネットですが、その根底には「特定の管理者を置かず、誰もが平等に繋がる(自律分散)」という、非常に民主的で壮大な思想が流れています。
1984年、村井氏らが構築した「JUNET」から始まり、「地球上のすべてのコンピュータを繋ぐ(WIDEプロジェクト)」という途方もない夢が、今の私たちの便利で豊かな生活を支えています。
スマホで何気なく検索したり、誰かにメッセージを送ったりする時、ほんの少しだけ、世界中を繋ぐ「見えない糸」の存在と、それを紡いだ人々の情熱を思い出していただけたら幸いです。

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