名前は呪われた「記号」でしかない
職場でシャチハタのチラシを見つけた。
自分の名字は発注でしか買えないためハンコを買うのを躊躇してしまうのだ。それで今回は自分の名前について書いてみようと思った。
■自分の本名が嫌いな理由
【本名】が死ぬほど嫌すぎるため、できれば普段の会社でも本名を使いたくないのだけれど、今の日本の制度だと個人的な好みの理由で改名は認められないため「改名」は結構なハードルである。
戸籍名を変えられないなら、せめて「通称名」は使いたいものだ。ChatGPTに聴いてみると、職場での通称名使用は会社によるけど普段呼ばれる名前として「通称名」を使えるらしい。(給与振込などは本名使わなければならないけど)
AIの言葉に乗せられそのまま会社に申請してみようとしたり、普段使う名前を考えていたけど、改めて何故自分の本名がここまで嫌いなのかを考えてみた。
響きの問題とか字をよく間違えられるとか、ハンコが気軽に買えないとかあるけど、根っこの部分は「一方的に付けられた」からだと思う。

たとえ親が愛情込めて考えてくれたものだとしても、「君に似合うから~❤」と本人の意識とは関係なく好きでもないピンクのフリフリドレスを着せられるようなものではある。
もし戸籍登録のために、出生届と同時に名前の提出も必要なら、登録する「名前」は「名前」で提出して、後で成人したタイミング等の時に、本人の名乗りたい名前に変えられる制度があればいいのに…と思った。
■成人しても難しい?
とはいえ、成人した「18歳」もしくは「20歳」だとしても、親の庇護のもとにいる内は簡単に変えられない問題な気がした。
「お父さん(お母さん)が一生懸命考えてくれた名前だから大切にしなさい!」と名前を変えたくても親の意見で変えない選択をする人も出てくるでしょう。
愛情を否定したいわけじゃないけど、「親の愛情」を盾に個人の意志を無視して縛り付けている感じがしていた。
■「名前」以外にもありそう
名前とはズレるけど、これと似たようなことだと成人式の振袖のことを思い出した。
自分はたとえレンタルでも安物でもいいから好きなデザインの振袖を着たかったのに、わざわざおばあちゃんが「30万円もする良い着物だから」と母親のお古の振袖を着ることになった。
「母から娘に引き継がれる」と言えば聴こえはいいけど、自分の好みではなくまず似合わないと思った振袖を着せられることは悔しかった。

ここも「私はこれが着たいの!」と強く言えなかった自分のせいではあるけど、毎年奇抜な格好で成人式に出る新成人のニュースを見る度に複雑な気持ちになる。
「成人式」は、成人する本人だけでなくここまで育てた親や見守ってきた親族等にとっても晴れやかな行事ではある。
だから、きちんとした振袖を着ようと自分で言い聞かせていたけど、奇抜な格好の人を見ると、たとえ若気の至りだとしても自分で決めているため、ある意味「自立」してるように見えた。親の意見で振袖を着ている自分なんて「大人」には成れてなかったように思えた。

…そう考えると、最近のラン活もそうなのかな?
ランドセルについても、今は色々なカラーのものがあるから好きな色を選べるけど、それも本人がたとえ「パープルがいい!」と希望言っても、
「こっちの方が安いし6年間使えるから茶色にしなさい!」
「おばあちゃんが折角赤いの買ってくれたからこっちを使いなさい!」
とか言われたりするのかなと思った。
振袖にしても、ランドセルにしても、本人の意志よりも家族の意見が優先されることに「家」制度の弊害を感じた。
■これから実現したいこと
今まで振り返ってみて、「あれは嫌」「これは嫌だった」と不平不満ばかり語っていたけど、一番は「家」とか「社会」とかに縛り付けられてることが嫌なんだと思う。
親の愛情は分かるし否定はしないけど、それを「一方的」に押し付けるのはやめてくれって感じかもしれない。
「本名」からの解放は、無理矢理着せられたピンクのフリフリドレスを自分から脱ぎ捨てることと同じ。とはいえ、全部がいらないじゃなくて、「本名」は銀行口座開設や公的手続きのために使う「アカウント」ぐらいの認識で割り切れたらいいなと思う。
まずは会社で「通称名」使えるから調べて行動してみようか。
けど、本当だったら【明智麻里子】として生きれるようになれるのが理想だけどね。
ここまで読んでくれてありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)
