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人生の扉が開くとき


台湾に帯同する前に、私はいくつかの場所を訪ねることにした。
鹿児島の実家のお墓参りをし、神戸では短大時代の友人たちと会う。そして、勤めていた頃に姉妹のように仲良くしていた先輩がいる北海道にも遊びに行くことにした。
母が亡くなって、まだ一年しか経っていなかった。
けれど、その僅か一年の間に、実家は売却され、私は網膜静脈閉塞症と膠原病の治療に明け暮れ、娘は留学先のカナダから帰国し、夫の台湾駐在が決まり、先に赴任していった。
振り返ってみると、たった一年とは思えなかった。
まるで十年くらいの時間が、一気に過ぎてしまったような感覚だった。
お墓参りをした後、私は実家のあった場所の近くに車を停め、かつての家を訪ねてみた。
父が好きで集めた骨董品や調度品、アンティーク家具でいっぱいだった家から、それらはすべて運び出されていた。
母の晩年に、凄惨な現場となったあの部屋も、すっかり手直しされている。
何もない、広々とした空間。
姉と「こんなに広い家だったんだね」と話したことを覚えている。余裕でバスケットボールの試合でも出来そうなくらいだった。
けれど、庭には一つだけ、昔のまま残っているものがあった。
ウサギの石の置き物。
生前の母が、とても気に入っていたものだった。
母から聞いた話を思い出した。
愛犬が亡くなったとき、その子を庭に埋め、墓標代わりにこのウサギを置いたのだという。
私は静かに、そのウサギの前に座って手を合わせた。
母の晩年を支えてくれた愛犬。
その子が亡くなった二ヶ月後、母もまるでその子を追うように亡くなった。
父が荒れると、この子は怖がって震えていたらしい。
今はもう、あちらでママに甘えているのだろうか。
そんなことを思いながら、しばらくそこに座っていた。

その後、神戸で短大時代の友人たちと久しぶりに集まった。
何年経っても、会えばあの頃に戻ったように話が尽きない。
懐かしくて、楽しい時間だった。
けれど、どこか居心地の悪さも感じていた。
私は結婚して間もなく東京へ転勤し、その後は海外転勤を繰り返していた。
以前の私なら、何でも話せたはずなのに、いつの頃からか、自分のことをあまり話さなくなっていた。
娘の学校のことや海外での生活のことを話せば、「自慢していると思われないだろうか」と気になってしまう。
少し話しただけでも、
「やっぱりマダムはちゃうわ〜」
と茶化される。
その言葉も、冗談だと分かっている。
分かっているけれど、私はそれが嫌だった。
だから、曖昧に笑って合わせる。
相手の話を否定するわけではない。
ただ、自分を少しずつ引っ込めながら、その場にいるようになっていた。
楽しかった。
本当に楽しかった。
でも、「次に会うのは、しばらく先でいいかな」と思った。
北海道の先輩と会ったときも、同じような感覚になった。
懐かしいし、一緒にいると楽しい。
けれど、相手が当然のこととして話す日常に、私はもう以前のようには共感できなくなっていた。
否定する気持ちは全くない。
ただ、私のいる場所が変わっていた。
そのときは、なぜこんな違和感があるのか、自分でもよく分からなかった。
けれど今なら分かる。
私はいつの間にか、人生のフェーズが変わっていたのだ。
日本と海外を行き来する生活が当たり前になり、そこで出会った人たちと新しい価値観や経験を共有するようになった。
その一方で、以前の人間関係との間には、少しずつ隔たりが生まれていた。
誰かが悪いわけではない。
私が変わったことも、相手が変わったことも、どちらが正しいという話ではない。
ただ、同じ景色を見ていたはずの人たちが、いつの間にか別々の景色を見ている。
そんなことが、人生にはあるのだと思う。
自分を押し殺して、無理をしなければ会えないことが少し辛かった。
でも、その一方で、新しく出会った人たちとは、今の自分だからこそ共有できる喜びがあった。
そうして私は、人生というものは、新しい扉が開くたびに、登場人物も少しずつ入れ替わっていくものなのだと思うようになった。
昔の友人たちも、きっと彼女たちなりの新しい扉を開いている。
そして、もしかしたら何十年後かに、またどこかで再会したとき、
「あの頃は分からなかったけれど、今なら分かるね」
と、ぴたりと気持ちが重なる日が来るかもしれない。
だから、離れていくことは、必ずしも別れではない。
その人との関係を、その時々の自分に合った場所へ静かに置き直すこと。
人生には、そんな時期もあるのだと思う。

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