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約束を守った子


娘は晴れて大学生になった。
慶應義塾の附属高校から内部進学で、第一希望だった理工学部へ進むことができた。
内部進学といっても決して簡単なものではない。成績によって進学先が決まり、高校では毎年数人が留年するほど厳しい環境だった。
往復三時間の通学を続けながら、室内楽部では初めてヴァイオリンに挑戦し、最後の定期演奏会では涙を流しながらも立派に演奏を終えた。
反抗期らしい反抗もなく、勉強も音楽も一生懸命取り組む、本当に手のかからない娘だった。
学内でも上位の成績だったため、医学部への進学も十分狙える位置にいた。私は当然、医学部へ進むものだと思っていた。
ところが、進学先を決める時、娘はきっぱりと言った。
「私は自分が学びたいことを選ぶ。お母さんの言う通りにはしない。」
初めて真正面から私の考えを拒まれた瞬間だった。
娘は数学が好きだった。暗記よりも、自分で答えを導き出す学問に魅力を感じていた。
その言葉を聞いて初めて気づいた。
医学部にこだわっていたのは娘ではなく、私だったのだ。
体裁や世間体ばかりを考え、本当に娘が何を学びたいのかを見ようとしていなかった。
一方で私は、学生時代、理数系の試験がない学校や学部を選んできた人間だった。
娘の方が、ずっと自分の人生をしっかり見つめていた。
この頃から娘は少しずつ私と距離を置くようになり、大学の入学式では高校時代からの友人たちと真新しいスーツ姿で楽しそうに歩いていた。
その後ろ姿を見ながら、
「もう子育ても、そろそろ卒業していいのかな。」
そんなことを思った。
ところが、その春、もう一つの大きな別れが私たち家族を待っていた。
ある雨の日の朝。
雨が止むのを待っている間、年老いた愛犬がトイレを我慢できず部屋の中をくるくる回り始めた。
私は慌てて後を追い、無事にうんちをキャッチ。
家族みんなで大笑いした。
それが、家族全員で笑った最後の時間になった。
雨が上がると、夫は先住犬を、私は生後半年ほどになったもう一匹のキャバリアを自転車のかごに乗せ、いつものように自由が丘まで散歩に出掛けた。
お気に入りのカフェのテラス席に着いた、その時だった。
夫が突然、大きな声で愛犬の名前を叫んだ。
振り返ると、愛犬は舌が紫色になり、目を見開いていた。
慌てて抱き上げると、「ワオーン」と一声だけ鳴き、そのまま私の腕の中で動かなくなった。
私は泣きながら、
「近くの動物病院を教えてください!」
と叫んだ。
通りがかったご夫婦が病院まで案内してくださり、必死に走った。
けれど獣医師から告げられたのは、
「もう亡くなっています。」
という言葉だった。
私は愛犬を撫でながら、
「よく頑張ったね。お散歩の途中で天国へ行くなんて…。楽にしてあげてください。」
そう言うことしかできなかった。
ほどなく夫が駆けつけ、大学へ忘れ物を取りに行っていた娘も病院へ来た。
家族三人に囲まれた愛犬は、まるで眠っているようだった。
帰りの車では赤ちゃんを抱くように愛犬を抱き、眠れない夜によく歌っていた「げんこつ山のたぬきさん」を小さな声で歌いながら背中をトントンした。
まだ体は温かかった。
朝、私が食べていた納豆を欲しがったので少しだけあげた。
鼻を近づけると、ほんのり納豆の匂いがした。
もっと介護をするつもりだった。
もっと長く一緒にいられると思っていた。
でも、この子は娘の大学入学という大きな節目を見届け、私がいつも耳元で話していた約束も守ってくれた。
「ひとりでいなくならないでね。パパとママにちゃんとお別れさせてね。」
その通りに、家族みんながそろっている時に旅立ってくれた。
なんて健気な子だったのだろう。
父や義母を見送った時も悲しかった。
それでも、この子との別れは比べようもないほど涙があふれた。
夫も同じだった。
亡骸を真ん中にして家族三人で川の字になり、二晩を過ごした。
火葬の日、小さな骨壺になって帰ってきた姿を見た時、ようやく現実を受け入れた。
その帰り道、家族でいつも通っていたカフェへ立ち寄ると、お店の方が大好きだったシュークリームを供えてくださり、一緒に涙を流してくださった。
この子は、生きている時だけではなかった。
旅立った後も、多くの人に愛され続ける子だった。
娘が自分の人生を歩き始めた春。
私たち家族は、大切な家族を天国へ見送った。
あの春は、喜びと悲しみが隣り合わせに訪れた、忘れることのできない季節となった。

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