「地球はみんなのものなのに」ー素朴な問いからはじまる、娘の小さな旅路
夜の寝室。
双子の寝息が聞こえると、そっと浮き上がるささやき声。普段はしっかり者の顔した長女が、甘えた声で「ねぇママ…」と話しかけてくる。
学校であったことや最近読んだ本のことなど、ぬくぬくした布団の中で、思うがままに言葉を交わす。
ある晩のこと。
長女が、ぽつりと小さな問いを投げかけた。
「ねぇ、ママ。地球はみんなのものなのに、どうして土地にお金をはらうの?」
えっ、
あっ、
おぅっ?!
想像の遥か頭上をいく質問に、私は一瞬フリーズした。
同時に、新しい世代がもつ瑞々しい感性に触れた気がして、心が高鳴った。
私は、娘の素朴な問いに返答を試みる。
「えっと今はね、資本主義って仕組みでね…、個人が土地を所有してよくてね…」
うーん、なんか違う。
娘は、微妙な表情をする。
もっとイメージしやすく、もっと分かりやすい言葉で伝えたい。
「昔のアメリカに住んでた人たちはね、木とか川とかの自然を皆のものって考えて、子どもや孫やずっと下の世代に受け渡していくことを大事に生活してたんだって」
「うん、そっちのがいいと思う」
「でも、新しく来た人たちが、ここは自分の土地だって言って、開拓していったんだって」
「え〜、それっておかしくない?」
ほぉ〜。
娘の感性は、『星の王子さま』を思わせる。
大人の皮算用や酔っ払いの姿が、どれほど不自然か見抜いてるようで。友だちや命に愛情を注ぐ大切さを、胸の奥底で知っているような。
私は、そっと聞いてみた。
「なんで、地球はみんなのものって思ったの?」
「うーん、自然は誰にもつくれない。奇跡の星、地球〜」
ちょっと恥ずかしそうな娘の声を聞いて、思い出したことがある。
大学で受けた経済の授業、テーマは「比較優位論」だった。交換経済をすると、互いが恩恵を受け、社会全体が豊かになる。そのシンプルな経済原理に、私には目から鱗が落ちた。
講義を終え、即座に質問した。
「比較優位論、大変勉強になりました。この前提に立つと、経済ってみんなを幸せにするはずなのに、どうして世界は経済問題が起こるのでしょうか」
大人になってリフレインしたら、なんて幼稚な質問だったのだろう。穴があったら入りたいくらいよ(泣)
今ならわかる。だって、社会も人も、複雑だから。クラスみんなで仲良くって言っても、一筋縄じゃいかないわけで。あの時、教授は絶対思ってたよ。「こいつ、頭ん中お花畑か」って。でも、当時の私は至って真面目だった。
そして、あの時沸いた疑問は、ずっと答えの出ないまま心の中に隠れていて、ある日、突然答えが降りてきたのだ。紅葉鮮やかな田舎道を、鼻歌歌いながら通勤している時だった。
人々が豊かになるはずの経済で、なぜ様々な問題が起きてしまうのか。
それは、
価値を交換し合う人たちが、
自分の利益のみを追求しているのか、
お互いに思いやりを持ってやりとりしているのか、
で、出てくる答えは違わない?って。
会話だって、共同作業だって、フェアトレードだって、みんなそう。
某CMの言葉を借りれば、「そこに愛はあるのか?」である。
言葉にしてしまえば単純なのだけど、今まで読んできた本や誰かにもらった言葉、考えてきたこと…バラバラだったパーツが、一気に繋がった感じ。タイムカプセルをそっと開くみたいにストンと腑に落ちた瞬間だった。
私はハッとした。
娘の生み出した問いに答えを与えるのは、他でもない娘自身なんだ。
自分の歩む道のりの中で、自分の力で導き出す。
学んで、対話して、経験して、いろんな価値観に触れて。
ふと自然にインスピレーションをもらったりしながら。
大地に蒔いた種が、数々の季節をこえて、花を咲かせ、実を結ぶように。
私が、10年かけてたどり着いたみたいに。
またきっと、寝息の横でぽつりと疑問の種が蒔かれるのだろう。その度、私は、娘と一緒に愛のある世界を探しにいく。
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