心の奥-1
命を燃やせ、魂で書け。
嘘を書くな、心をそのままここに置け。
ワタシがワタシを表現するには、その業火の中に身を投じるしか無い。
これは、そのための整理。
ワタシは何故書くのか。
それは、ワタシを残したいから。
自己表現というのだろうか。
他の方法で自己表現をしている人は大勢いるし、そもそも自己表現を必要としない価値観の人もまた、大勢いる。
しかし、ワタシは自己表現がしたい。
そして書くこと以外でそれをする術が無い。
書くことですら、その道の達人には遠く及ばない。
だからせめて、言葉に命を込めて書くのだ。
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ワタシは何故「noteに」書くのか。
自己表現だけなら、メモ帳に書いて抽斗に入れておけばいい。でもそれをしない。人目に触れさせようとしている。
それは、己を見せつけたいから。
ここにワタシが居るのだと、知らしめたい。
一般的には承認欲求にカテゴライズされそうな発言だけれど、そうではないと思っている。
承認してほしい訳じゃない。脚光を浴びたいとか、凄いヤツだと思われたいとか、そんな込み入ったことは考えていない。
ただ、「ワタシがここに居ることを知っておけ」という、ある種の挑戦的な感情が湧いている。
…いや、嘘だ。嘘?
まるっきり嘘という訳ではないけれど、違う。
今。ワタシには承認欲求が芽生えている。
過去に捨て去ったと思っているのに、直ぐにむくむくと頭を擡げてくる。
そんな自分に腹が立つけれど、でも受け入れろ、偽るな。
ワタシは、少なくとも今は間違いなく、承認欲求を抱えてここに居座っている。
「ワタシを読め」
「ワタシを認めろ」
「ワタシを気になれ」
そんな気持ちを持っている。
ただし一方で、いつぞやの記事に書いた通り
ワタシは自己承認を済ませてもいる。
端的に言えば、ワタシは己を天才だと捉えている。
これを見て「尊大な野郎だ」と思う人もいるだろうけど、そうではないと知ってほしい。それは誤解だ。
ワタシは誤解されたくない。
言葉はワタシが発した瞬間にワタシの制御を離れ、全て受け手にその意味付けが委ねられることは以前書いた。
それでもなお、ワタシは誤解されたくない。
ワタシの自己認識は、「誰と比べて」天才だとか、そういった話ではないのだ。
ワタシはワタシだけを見て、比較を行うことなく”天才”だと信じている。
故に、他者を見下してはいない。
むしろこの世には千差万別の価値観、
そして悲喜交々の人生があり、
誰一人として上下の位置に立っていないことを理解しているつもりである。
人は皆独りで立っているだけで、それは金持ちも貧乏人も権力者も奴隷も平民も変わらないと考えている。
それは親ガチャ(ワタシは、この〇〇ガチャという言葉が嫌いだ)や生まれた国や時代や身分だとか、そんな境遇的な話ではなく、もっと根底の部分。
まだ上手く言えない。
ソレは全員個別で、上も下もなくただ在るだけなのだ。
自分のソレを誰かと比べることなどできはしなくて、ワタシは自分のソレだけをただ見て「素晴らしい、天才だ」と言っているのである。
故に、尊大になっている訳ではないと分かってほしい。
あるいは「天才」というワードが誤解を生みやすいのか。
「賢い」と同義で発していると受け取られることが多く、それは常に「誰かと比べて」賢いという性質を孕むために、尊大だと思われるのかもしれない。
ワタシは「天賦の才能」というニュアンスで「天才」と言っている。
ワタシはワタシを見て、ワタシには何か天から与えられた才能があると感じているということである。
故に、自惚れという評価は甘んじて受け止めなければならないが、尊大ではないと分かってほしい。
閑話休題。
今までのことをまとめると、
ワタシは、己が生きてここに在ることを残しておき、またそのことを広く世に知らしめたくて文章を書いている。
そして、多くの人にワタシのことを気にしてほしいと思っている。
これが、ワタシが折に触れて発言している
「存在意義は書くことそのもの」
の、今のところの正体である。
そしてワタシはもう一つ言っている。
「目的は収益を得ること」
である、と。
それはまた別の記事で整理する。
